朝日新聞(12月28日)の夕刊、<窓>論説委員室から
「ある会社員の定年」
日立製作所で先月末、朴鐘碩(パク・チョンソク)さん
が60歳の定年を迎えた。
高校卒業後、求人高校をみて応募した。ところが韓国籍
であることを理由に、採用を取り消される。朴さんは裁判に
訴え、1974年に勝訴した。「日立就職差別裁判」として
知られる。
晴れて日立社員になったのは、コンピューター産業の草創期。
仕事を徹夜で覚え、ミスにおびえつつ、ひたすらプログラムを書いた。
やがて不思議に思うようになる。
労組の職場集会に出ても、ほとんど発言がでない。不満はある
はずなのに。組合の役員経験者が、なぜか会社幹部になっていく。
おかしいと思ったことを、声にした。根回しを無視し、職場の代議
員選に毎回出た。もちろん惨敗ばかりだ。
上司は入社の時から腫れ物に触るようだった。同僚からも組合
からも煙たがられる。出世とは無縁、何とも不器用な会社員人生ー。
そして定年の日。
片付けがあるからと、わざと作業服で出勤した。定時のチャイムが
鳴ると、部署を超え、大勢の人がフロアに集まってきた。
朴さんは驚いた。多くの目が柔らかに笑っている。花束贈呈。長い
長い拍手が続いた。 (石橋英昭)
塚本です
返信削除掲題記事私も読みました
異なるものに対し、本能的な排除の感情は、根底に皇国史観思想が大きく影響していると私は考えております。
最後に、無名の心ある多数の社員から、花束が贈られた事に、心が救われた思いがして、日本文化の光りと陰を感じました。
21世紀。人間・世界の在り様が、新しい価値を求めている予感を抱いております。
崔さんの、エネルギッシュでダイナミズムな活動に敬意を表します。
池谷です。さわやかな記事でした。ほっとしました。
返信削除小さな記事でしたが、目頭があつくなりました。
返信削除朴さんのことはこの記事で初めて知りましたが、不器用でも素晴らしい生き方をされてきたんですね。
それが人を動かすことになるんでしょう。
それをあたたかく見守っていた同僚がいたことも、このことを取り上げた記者がいたことも、素晴らしく思いました。
朴さんの退職後の暮らしも実りあるものでありますように。
名古屋の蔡孝と申します。
返信削除このブログを読ませていただき、胸が熱くなりました。
歳月の流れは様々な変容をもたらしましたが、振り返れば彼の始めた闘いがその原点で消えることの無い静かな光を放っているように思います。
勝手ながらフェースブックに紹介させていただきました。ご不快、不都合であればすぐ削除いたします。
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