2011年11月13日日曜日

日韓蒙の脱原発国際連帯運動で何ができるのかーモンゴル編(その1)

日本キリスト教会館内での記者会見の様子で、壁に韓国とモンゴルからの中継映像が映し出されている。右側は韓国からの映像で、話している人物は金鐘哲氏、韓国で韓国最大の反原発の立場をとる季刊誌の主宰者、発行20年を誇る

モンゴルからの中継からクリックした写真、白い洋服を着た人物はSelenge、TV局のインタビューを受けている

壁映し出されたNuclear Free Asia のロゴ、モンゴルの青年たちの制作


10月26日からの2週間の日程で韓国1週間、モンゴル1週間を訪れました。韓国のキリスト教関係者、市民運動関係者、環境運動の団体など、多くの人に会い、日韓連帯の具体的なイメージを話し合い、そこから何か具体的な連帯運動を考えたいと思っていました。私は、韓国の歴史家として日本でも出版され、韓国に関心が高い日本の人たちの間では絶対的に信頼されている、韓洪九さんと連絡を取ったのですが、そこに同席したのが、水原大学の李教授でした。

氏は、李明博大統領の目玉政策の一つである、四大河川事業反対運動のリーダーの一人で、今回、1000名の大学教授による「反核エネルギー大学教授の集まり」を組織化すべく奔走していた人物でした。話すうちに、私がモンゴルに行き9日に日本に帰り、11日に記者会見する予定であると話したことから、李教授は11日、その団体の立ち上げの記者会見を11時から、即ち、11月11日11時からという、11にこだわった(3・11、9・11)記者会見を準備していることがわかり、それでは日本でも同じく11時から記者会見をしましょうということになったのです。

モンゴル、ウランバートル空港で私を迎えてくれたのは、L.Selengeさんという、モンゴル「緑の党」元党首の女性でした。私は1週間モンゴルで滞在する予定でしたが、彼女とのアポ以外は何の予定も立てていませんでした。彼女は、国立民俗博物館の小長谷教授の紹介です。毎日新聞が日米蒙の契約を暴露し、その中でコメントを出された方ですが、私は初めてモンゴルの実情を伺い、私はなんにもモンゴルに関しては知っていなかったということを実感しました。「モンゴルはどのようになっているのかー小長谷さんのおはなし」 http://www.oklos-che.com/2011/09/blog-post_10.html

その日の夜、彼女と、「緑の党」現共同代表の一人であるBatbaatarさんと3人で食事をし、翌日(11月2日)の記者会見の段取りを話し合いをしましたが、どうもそこで語られる内容は、私には信憑性の薄い、単なる噂話の域を出ていないと感じ、翌朝、その話を裏付ける資料を求め、それを基にして話し合うことになりました。しかしはやり私は納得ができず、記者会見の延期を申し入れ、4日の午後にもつことにしました。記者会見の内容はブログに記しています。「モンゴルでの記者会見を終えて」 http://www.oklos-che.com/2011/11/blog-post_04.html

私の知りたかったことは以下の2点です。
1)日米蒙の、毎日新聞が暴露した契約(ウラニュームの発掘から使用済み核燃料の引き取り・加工・埋蔵)はどのようになったのか、モンゴル大統領がモンゴル国内外の批判に応えて国連で演説した、海外から核燃料は持ち込ませないということですべてけりがついたのかという点
2)モンゴル自身、原発を建設するという話があるがそれは本当か、という点

まず大統領の演説に関しては多くの人が信用していないということでした。私は、海外からの使用済み核燃料をモンゴルに持込みさせないと言うことは、実質的に日米蒙契約の破棄の宣言なのではないのかという点の確認を求めました。彼らは(3日の会議では、モンゴル「緑の党」で最も影響力があるイデオローグ的な存在のBさんが参加、またその日の夜は、同じく党の実力者の一人で、FaceBookで1万人の会員をもつ、行動派の女性と食事をし、党とは別に若い、FB愛好者の反核運動に関わる青年たちがいることを知りました)、海外からの核燃料持込み問題よりも、国内の2020年に建設される原発から出される「死の灰」がモンゴルに埋められれば同じことだと主張しそのことの重要性を強調して、なかなか話が歩み寄れませんでした。

そのうちに彼らは、モンゴル大統領の国連での演説は、大統領・首相・国会議長が中心となる安全保障委員会が承認しない国からは使用済み核燃料を受け入れない、ということであり、安全保障委員会の預かり知らないところで3ヶ国契約締結を進めた関係大臣は責任をとらされ、解雇されたと言い、日米蒙の契約(合意)は破棄されたとの報道は一切なく、その安全保障委員会がいつの日か承諾すればそれは復活する状態である、という理解でした(破棄ではなく、ペンディングの状態)。そして驚くべきことに、その安全保障委員会が唯一、モンゴルからのウラニュームを輸入し、原子炉で活用した後の核燃料はそのままモンゴルに持ち込まれ埋蔵することに同意した国が、アラブ首長国連邦(UAE)であると言うのです。

それを聞いた私はすべてが氷解しました。UAEの原発を建設するのは韓国です。そのウラニュームをモンゴルから輸入し、使用済み核燃料はモンゴルに戻し埋める、これは核拡散を願わないアメリカの政策とも一致します。韓国の環境グループや活動家は、アラブがウラニュームをアメリカから入れ、使用済み核燃料は韓国に持ち込むことを韓国政府が約束したと理解していました。どこの国も原子力に関する契約の詳細を公表しないことになっているため、誰も事実関係はわかりませんが、韓国に再処理の工場や埋蔵する場所を決定し実行することは簡単にはできないでしょう。既に何度も政府案を運動で葬り去っています。ましてやアラブの使用済み核燃料を韓国に持込み埋めさせることは絶対に地域住民、国民が許さないでしょう。この点は、4月の国会議員選挙、年末の大統領選挙の結果で、日本とは違い、ドラスティックに変わる可能性があるのです。

2020年にモンゴルで建設される原発予定地は3ヶ所で、それでいいのかそれ以外の土地がいいのか現在調査を始めたのが韓国の企業です。運動側は必死になってその企業名を探し出そうとしています。そのうちに名前は出てくるでしょう。そのとき、韓国は、モンゴルの反原発運動を掲げる市民たちと連帯できるのか、問われるでしょう。

私たち「在日」は戦後初めて、韓国の大統領選挙に日本にいたまま海外国民として(現在、海外に住む日本人にも投票する権利が認められたように)選挙権を行使することになります。私は「在日」は自分の足元の問題に集中して取り組むことが韓国の問題とも通じるということを口を酸っぱくして語ってきましたが、ようやく、「在日」も脱原発を求めて韓国の大統領選挙に自分たちの主張を明らかにして、どちらの政党候補が脱原発を明確にするのか、「選挙運動」を展開できるようになります。その際、ネットの力は大きいということを思い知らせたいものです。

私はこのようなことを念頭に置きながら彼らとの話を進め、11月11日11時(日本・韓国時間、モンゴル時間では10時)に同時記者会見をし、インターネットで3ヶ国中継をしようという合意に達しました。そしてそれを担うのは、緑の党ではなく、FB愛好者の若い人たちであると確信したのは、帰国前日に持った(7日)会議でした。そして私は彼らこそがこれからのモンゴルを変えていく中心になっていく人物だと思いました。

留学組ではない、モンゴルで教育を受けネットで世界の事情に通じている彼らこそ、モンゴル変革の核にならなければならない人物たちでしょう。そして後から少し遅れて会議室に入ってきたのは、ウラニューム鉱山で働いていた技師だと打ち明ける30代初めの青年(20代後半? 私が会った青年たちは総じて早婚で28-29歳ですでに2人の子供持っており、とても落ち着いた印象を受けました)で、次回、彼のことを記しましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿