OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2010年5月3日月曜日
鄭香均(チョン・ヒャンギュン)の定年を祝う集い
鄭香均(チョン・ヒャンギュン)の定年を祝う集い
昨夜、鄭香均の定年を祝う食事会に20名近い人が集まりました。集いは二次会に及び、写真は二次会での彼女の挨拶と近況報告をする最新のものです。とても定年を迎えたとは思えない若さでしょう。相変わらず、東京都職員からの嫌がらせメールが来るそうですが、
泰然と受け流しているようで、さすがに最高裁判決で負けたあとの記者会見で、<可哀そうな日本人(Poor Japanese)>と言い放った面目躍如です。
集まった友人たちは、40年前、川崎で日立闘争・地域活動を担ったときからの人から、「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」のメンバー、今の「新しい川崎をつくる市民の会」のメンバー、南高校の問題で知り合った人を含め、若い研究者(そのうちの一人は、わざわざ京都から来てくれました!)も参加しました。
参加者で月並みな挨拶をする人は誰もおらず、この間自分の生きてきた生活をしっかりと述べ、酒が入った場にも拘わらず心にしみる話しで、旧友を温め、また新たな出会いを喜び、これからの闘いに思いを強くしました。参加してくださった皆さんに感謝です。
鄭香均は定年後、ようやく、よく寝、食べ、泣くことができるようになったと言っていましたが、後1年で定年を迎える朴鐘碩と同じく、「在日」の歴史に残る人物と時代を共にし、
一緒に闘ってきたことに心からの喜びを感じます。彼女の話しや、朴鐘碩の会社の経験談からも、彼らが人知れず苦しみ、悩み、その中から道を切り開いた人物であることを思うと、心からの敬意を表したいと思います。
ヒャンギュニ、お疲れさまでした。あなたとこの40年歩みを共にでき、心から感謝します。これからも「当然の法理」の闘いを私たちは続けます。一緒に、楽しくやりましょうね。そしてこの目で、「当然の法理」が崩れ去るのを目撃しましょう。あの、ドイツの壁が歴史の流れで崩れたように。
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