2009年12月22日火曜日

渡辺さんの「環境衛生問題は、一体誰が作ったのか?」に賛意を表します。

一体わたしたちの近代日本は誰の犠牲の上に成り立っているのか? 今の競争力、経済力。>どれだけの人が、環境被害に合ってそして、悔しい思いをし、救済されずに、涙を飲んだ>か。そこで生じている南高問題はどのように解決すべきなのか、よく考えて欲しい。

渡辺さんが毎日、ブログの更新をしています(「本気で臨海部の未来を考える会BLOG」
(http://www.owat.net/rinkaibu-mirai/rinkaiblog.html)。
川崎の公害は、臨海部の「工場や交通による排気」ガスによる被害でした。南高校の問題は、それとは関係のないように見えますが、まさに渡辺さんが看破しているように、これまでの公害を生みだした環境を再生しようとする、川崎市の政策の中心のひとつに置かれているのが、臨海都市拠点としての浜川崎駅周辺地区なのです。その地区の中心にあるのが、南高校です。

しかし臨海部の再開発は、これまで公害を生みだした社会の構造を批判的に総括したうえでなされているのでしょうか。多くの学者が臨海部の「環境再生」に向けて現状の分析、検証、提案をして、それを行政は自分たちに都合のいいように選択して、施策にしています。しかしその学者たちが、都市再生緊急整備地域に位置つけられている浜川崎駅周辺地区で南高校の跡地をめぐって3年も計画がとん挫している事実を知らないのではどうしてでしょうか。

現場の重要性を説く学者もまた、現場を離れた観念操作をしていたのではないでしょうか。『環境再生』を私は高く評価しますが、しかし16名の著者の誰ひとり、臨海部に外国人住民が多いこと、その人権をめぐっての考察をした人はいません。彼らはその外国人多住地区を何度も訪れたはずなのに、外国人の問題が「見えなかった」のでしょう。「持続可能な社会」(Susutainable Commity)の内容が根本的に問われる所以です。

私は、そもそも都市計画が国と行政の発意で大きな枠が決められ、それに従って地域のあり方が決められてきたその手順が、まったく逆であったと思うのです。地域住民の意向をまず聞き、それに基づいて市民の総意である全体像が作られるべきものが、大企業の意向を最優先し、その便利性を図る形で交通網が整備されるというこのあり方が問題なのです。その結果が、まるでモンスターのような臨海部のコンビナートの姿であり、産業道路の上を走る高速道路をつくり排気ガスをまき散らす結果になったのです。そうなるのはわかりきっていました。

南高校跡地の活用の論議は、国策に従って産業優先の都市計画をしてきたこれまでのあり方を根本的に批判し、住民中心のまちづくりをしていくことを宣言することになるのです。

川崎に住む外国人住民もまた政治参加を果たし、住民としてあるべき「開かれた地域社会」建設に参加することになるでしょう。川崎の埋め立て作業が始まったのは、まさに日韓併合のその年からで、来年100年を迎えます。私たち「在日」が自分の住むまちづくりに参加するのは当然のことです。

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