OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2009年12月19日土曜日
いい本に出会いました、「地域再生」の歩みの参考に
『環境再生―川崎から公害地域の再生を考える』(永井進ほか編著 有斐閣選書 2002)を読み終えました。南高校跡地の問題に関わり、また「在日」の地域社会での政治参加について模索してきた私にとっては、まさに最良のヒントを与えられた本でした。
川崎南部の公害問題を通して「維持可能な地域社会」(Sastainbale Community)をどのようにつくりあげることができるのかについて、3名の編者と16名の著者によって書かれた力作です。この「維持可能な」というのはもっとなんとかならないのかという気もしますが、行政への影響も大きいようで、思い出してみれば阿部市長の最初の当選の時にもこの単語は使われていました。しかしそれは福祉や外国人施策に力をいれてきた、財政破産寸前の川崎市を行財政改革していくものとして語られていました。
しかしこの本では「維持可能な社会」をこのように定義しています(宮本憲一)。「平和、環境・資源・生物多様性の維持・保全を枠組みに、絶対的貧困の除去、民主主義、基本的人権と自由が総合的に実現する社会」。ここに外国人の政治参加を保証する住民自治の実現がはいれば私は全面的に賛成します。
最後にこの本では、「環境被害のピラミッド構造」を直視し、川崎の公害問題を社会全体の在り方の問題として把握します。従って、公害の直接的な原因とみられた「交通体系や道路構造のあり方、それらを規定している臨海部コンビナート地帯を中心とした産業構造や都市構造のあり方、さらには川崎におけるコミュニティや市民参加のあり方をめぐる諸問題」まで分析や考察をしようとしています。
ここで指摘された問題点がその後の川崎の施策の中でどのように評価され、具体的なものとなってきたのか、私は徹底的に調べようと思います。南高校の跡地の問題が、アスベストの発見によりさらに多くの解決すべき問題が潜在的にあるとわかってきましたが、なによりも、この問題が川崎の都市計画の一環であり、川崎が直面している「環境からの再生」を図るために避けては行けない、最も根本的な問題であるということがわかってきました。
地域住民は南高校跡地を公園とか緑の批難所にしたいという素朴な要望をもっているのですが、その想いを川崎全体の歴史と現実の中で、そしてこれからの社会をつくりあげるのに最も重要な核として、都市計画そのものの中で位置付け説明されなければならないでしょう。
来年は日韓併合100年、期せずして川崎の埋め立て工事が始まってから100年が経ったそうです。川崎の海は工業の発展を目指した国策に翻弄され、完全にWater Frontを無くした、コンビナートに占拠された化け物のような都市になってしまいました。南高校跡地の活用を軸として、市民を中心とした「地域社会の再生」「川崎の再生」に向けた第一歩にしていきたいものです。
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