いよいよ今年最後の週になります。みなさんはどのように
過ごされるのでしょうか。滝澤さんから問題提起された、
「まちづくり」「都市計画」が行政側の言質になっている
という点に関して考えています。
勿論、「共生」と同じで、言質そのものに本来的な意味が
あるのでなく、上野さんが私たちの本の中でも指摘されて
いるように、その言質は時代ごとに、全く意味内容が
変わっています。ですから、運動側が自分たちの意図
する意味にしていけばいいという一面もあるのですが、
「共生」が「多文化共生」になる過程で、完全に支配者側
の言葉になったことを考えてみると、やはり私たちが
求める時代に合ったキーワードを作るべきですね。
そこで「麻生まちづくり市民の会」のHPを参考にしてください。
http://web-k.jp/asao-shimin-no-kai/
私たちが使う言質とほぼ同じです。でもよく見ると私たちが
求めるものと何か違うように思います。
みなさんはどのように考えられますか。
いろんな経験を持つ人たちが、「時代の言葉」を使って、
麻生区で必要とされている市民運動を活発にしている
ようです。私たちが参考にすべきことが多くあります。
しかし歴史の過程の中で現実の問題を捉え、その問題を
生みだした社会の構造、基盤を変革するという意気込みを
感じることができないのです。事務所まで区役所に置いて、
行政にもの申す事ができるのでしょうか。
今朝起きてふと思ったのが、住民が「生き延びる」地域社会の実現、
ということです。これは英語のSustainable Communityの私訳です。
普通はこれを「持続(維持)可能な社会」と訳しています。
阿部市長はもちろん、行政はよく使っています。しかしこれは
政治家、官僚の上から目線での言質だと感じます。阿部市長は、
これまでの福祉中心の体制では川崎市はもたない、だから
行財政改革をすると宣言したのですが、そのときに使われたのが
この単語です。
『環境再生』で宮本憲一は、Sustainable Communityを
このように定義付けしています。
「平和、環境・資源・生物多様性の維持・保全を枠組みに、
絶対的貧困の除去、民主主義、基本的人権と自由が総合的に実現
する社会」
宮本憲一の定義にもどこか海外での定義の臭いがします。
しかし基本的には、「住民自治の実現」と外国籍住民を含めた
「全住民の平等」の概念をいれれば賛成です。普通、「まちづくり」
というのは行政も、市民運動側も景観や建物の建築基準を強調する
ことが多いのですが、彼の定義には、それを含めてもっとソフトを
強調している点を私は評価します。
「住民が生き延びる」地域社会(Sustainable Community)とは、
「平和と民主主義を希求し、国籍に拘わらず全ての住民の自由、
平等、基本的人権を保証し絶対的貧困を除去すると同時に、
環境・資源・生物多様性の維持・保全を根底に据えた、
住民が主体となった住民自治を志向する地域社会」というのはいかがでしょうか。
--
崔 勝久
SK Choi
skchoi777@gmail.com
携帯:090-4067-9352
0 件のコメント:
コメントを投稿