2009年12月15日火曜日

野中広務と姜尚中の対談を目の当たりにして


昨日東大で、「闘いとしての政治」「信念としての政治」というタイトルで、野中広務の講演、それに姜尚中と森達也(ドキュメンタリー作家)の鼎談があり、満員のところ、A女史の手引きで無事、傍聴できました。

野中広務と辛淑玉との対談を読んでいた私は、野中の老獪さを感じていたのですが、今回「社会的差別との闘い」というテーマもあったものの、野中広務は終始、政治家として戦争を忌み、平和を求め国民の繁栄を願う<保守>政治家の信念を披露、84歳の遺言と胸を張り発言していました。それはそれで彼の人となりを垣間見る思いがしました。確かに後藤田と通じるものがあるのでしょう。小沢批判は最後の最後まで厳しいものでした。

姜尚中は、野中広務が非差別部落出身と公言し差別の経験に触れたので、その点を彼の政権内での経歴、麻生首相の巷間伝わる差別発言とのからみで発言を引き出そうとするものの、ものの見事に空振りでした。彼は安易に部落差別を語る人ではなかったのです。彼の半眼に開いた両棲類のような眼、政治家としての信念を語る語調から、野中の両義性を賛美し少数者(非差別者)としての発言を引き出そうとする姜や森の誘いには一切、応じませんでした。

部落差別は現実を直視することでしかなくならないと正論を発する森達也の言葉にも、眉ひとつ動かさず無視しました。そこに私は部落差別の深淵を感じざるをえませんでした。結局、野中広務をして部落差別の現実を吐露させたのは、姜尚中や森の言葉ではなく、辛淑玉の、自分の信念によって身内との崩れる人間関係に涙する姿しかなかったようです。

<情>の人、多数派の幹部でありながら大政翼賛会的な集団化に警鐘を鳴らす人、などなど野中広務を評価する流れが出てきたのはどうしてなのでしょうか。辛淑玉との共著がヒットしたことがきっかけなのでしょうか。私は野中論議が非差別部落問題につながることはないように思います。「当然の法理」を前提にして外国人を排斥してきた戦後日本の在り方について質問をしかたったのですが、短い時間では噛み合わないなと感じ、質問書を途中で破ってしまいました。

自分では部落差別の現実にものを言わないものの、周りの人が取り上げることを野中広務はどのような思いで見ているのでしょうか。一筋縄ではいかない政治家は戦争を知らない世代に<平和>だけを語り死にたいと思っているようです。彼が自民党の幹部として犯した罪のことはもう触れられることはないようですが・・・

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