昨日、東大の本郷キャンパスでの「同時代史学会」学会の研究発表会に、横浜国大の加藤さんのご紹介で参加しました。加藤さんが紹介くださったのは、その日のテーマが「60年代論の再構築」であり、「越境する市民権運動―川崎市南部における日立裁判支援運動と黒人神学」だったので、当事者として話を聞いてみないかということでした。
HPで発表者の土屋和代さんのレジュメを読み、実は、あまり気が進まなかったのです。というのは、以前、東大の博士論文で川崎の「多文化共生」を教育の分野から取り上げ、日立闘争をその後の川崎の「共生」運動のキートーンとして位置つけながら、当該の朴鐘碩と私への接触がなく、数度の手紙での問題点の指摘に対しても全く反応がなかったという、韓国の研究者との苦い経験があったので、今回も同じ思いをするのは嫌だなと思っていたからです。
しかし、この学会は、若い学者に発表の機会を与え、それを経験あるいろんな分野の学者が愛情をもって鍛えていく、問題意識の交換をしていく場だと感じました。最初の発表の「青春文学と青春歌謡にみる60年代」は、斎藤さんの軽妙な語り口(歌を口ずさみながら)だったので、そうかここはこんな雰囲気の学会なんだといい印象をもちました。次に登場したのが、日立闘争を取り上げた土屋さんの発表でした。
日立闘争当事者が参加すると加藤さんから事前に知らされていた土屋さんは逆に話しづらかったのではないかと心配しました。4-5年にわたってインタビューや資料収集を重ね、淡々と話される土屋さんに私は大変、いい印象を持ちました。地域での黒人差別の問題を直視し、その運動の必然性、正当性を黒人神学として保守的な信仰理解から展開していたコーン博士は、まさに私が学生時代、「在日」のアイデンティティに悩み、日立闘争に関わっていたときに読み、また実際に川崎でお会いした人物でした。
土屋さんは、その黒人神学を受容し「在日」の立場で実践した人物として李仁夏牧師をとりあげ、市民運動のトランスナショナルな一面を実証するのに成功していました。李先生こそ、「在日」を代表する知識人であり、日立闘争の中心人物、差別との闘いを地域で切り開いた人物なのですから、彼の思想(神学)と実践とを結びつけようとしたのは当然です。しかし、やはり私が危惧したとおり、思想と出来事の因果関係を土屋さんは逆に捉えていました。彼は目の前でアイデンティティに悩む「在日」青年の悩みを受け止め、実践を支え、ともに闘い、そこで見えたことを思想として書き表したのです。彼の思想(神学)に影響を受け、運動がはじまったのではありませんし、運動が彼の神学に影響を受けたとは言えません。彼はその運動の意味を解き明かしたのです。
コメンテータからも鋭い質問がありました。その中で二点、ひとつは、「在日」のアイデンティティの回復を目指す運動と、行政との交渉(改良運動)の関係。二つ目は、「在日」の地域での運動の中での分裂は、他の地域でもあったのか、ということでした。しかし土屋さんの報告では、「在日」の地域での運動の内部分裂という現象は説明されていたが、それが何であったのかという点では十分な理解がなかったのではないかと感じました。
当事者として発言を求められた私は、2分ばかり、「在日」の差別と闘う運動は全国的に「多文化共生」に収斂されている、その「共生」は政府・企業を巻き込んだ新自由主義の流れの中で捉えるべきだと話しました(これではわかりませんね、何のことか)。
その後の懇談会では、いろんな方にお目にかかりました。新しい出会いを喜んでおります。また土屋さんとも話す機会があり、年甲斐もなくこちらの問題意識や、過去の経験等を話したのですが、土屋さんの今後の研究の参考になったのかどうかはわかりません。しかし60年代に日立闘争勝利の後、地域活動を始めた私たちは既に「貴重な存在」になっていて、現在の閉そく状態を突き破るためにも、その時の出来事を理解、把握することが重要だと語られていたことには賛同します。
学問(研究)は過去の出来事(歴史)を捉える事ができるのか、これは大変困難な仕事と思われます。文献、インタビューをできるだけ多く集めるだけでなく、その真偽さえ批判的に捉えなおし、歴史という広大なステージの中で、ひとつの出来事を複合的に理解して、またそれを歴史とは何であったのかと総合的に解釈していくわけですから。研究者って大変ですね。土屋さんをはじめ、学会の皆様のご活躍を心より祈ります。皆様の研究成果から学び、実践の場で活かしたいと願ってやみません。
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