OCHLOS(オクロス)は民衆を意味する古代ギリシャ語です。私は民衆の視点から地域社会のあり方を模索します。すべての住民が一緒になってよりよい地域社会を求めれば、平和で民衆が安心して生き延びていく環境になっていくのでしょうか。住民は国籍や民族、性の違い、障がいの有る無しが問われず、貧困と将来の社会生活に絶望しないで生きていけるでしょうか。形骸化した戦後の平和と民主主義、経済優先で壊された自然、差別・格差の拡大、原発体制はこれらの象徴に他なりません。私たちは住民が中心となって、それを憂いのない地域社会へと変革していきたいのです。そのことが各国の民衆の連帯と東アジアの平和に直結する道だと確信します。
2009年10月28日水曜日
新たな出立ー荒野に向かって
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読み終えたので、何か前に読んだものでも読もうと本棚に向かい、聖書関係のところで立ち止まりました。田川建三には手が伸びず、どういうわけか、関根正雄の『古代イスラエルの思想―旧約の預言者たち』(講談社学術文庫)に手が行ってしまいました。
読み始めると最初のところに、「族長の時代」「旧約思想の出発点」とありました。関根正雄は、「書斎で学者が考えて思想をつむぎだした」のでなく、「本当に亡びに瀕する一族が何とかしなければならぬという時に、霊感を受けて方角決まり、出発の時も決まって、一族のいわば生死をかけた出発がなされ、そこから思想がはじまった」と記します。
新たな「約束の地」を求めて出発する決断をもって信仰の祖とアブラハムを見てきたこれまでの信仰理解に対して、そうではなく、「自分の今までの生活環境から根こそぎされてしまった、そういう不幸な人間」としてアブラハムを捉えます。アブラハムの出立についての一番歴史的事実に近い伝承は、「われわれの先祖は、さすらいの一アラム人であった」(申命記25-5)であり、それはヘブライ語の原語からすると、「亡びに瀕した一アラム人」ということのようです。(イスラエルの歴史は旧約聖書のアブラハムのカナンへの出発から始まるとされていますが、それは紀元前2000年のことで、その人たちは、人種的にはセム族に属するアラム族とされているそうです。)
私は、新たな勇気を与えられたような気がします。「約束の地」は後世の後付けでしょう。アブラハムは、実は何の保証のないところで、一族を率いて失意のうちに、しかしそこから出ることに神の祝福を感じて、荒野に出立したに違いありません。
我、ここに立つ、いざ、荒野に旅立たん。私たちの闘いはここからはじまるのです。
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