2020年7月1日水曜日

"隔ての壁を取り壊して新しい民族へ" ー 黄南徳

私が親しくしている韓国人の牧師で宣教師として日本に来られた黄南徳牧師が、福岡県の糸島でなさった説教に私のブログ掲載に際して改めて筆を入れられたメッセージをご紹介します。このメッセージは韓国人、日本人、在日を問わず普遍的な内容を秘めておりキリスト者でない方々にもご紹介したいと思ったからです。読者のみなさんのご意見をお待しています。                 崔 勝久

        隔ての壁を取り壊して新しい民族へ"
                             黄南徳(ファン・ナムドク)

 しかしあなたがたは, 以前は 遠く 離れていたが, 今や, キリスト · イエス において, キリスト の 血によって 近い 者となったのです.實に, キリスト はわたしたちの 平和であります. 二つのものを 一つにし, 御自分の 肉において 敵意という 隔ての 壁を 取り 壞し,規則と 戒律ずくめの 律法を 廢棄されました. こうして キリスト は, 雙方を 御自分において 一人の 新しい 人に 造り 上げて 平和を 實現し,十字架を 通して, 者を 一つの 體として 神と 和解させ, 十字架によって 敵意を 滅ぼされました.キリスト はおいでになり, 遠く 離れているあなたがたにも, また, 近くにいる 人¿にも, 平和の 福音を 告げ 知らせられました.それで, この キリスト によってわたしたち 方の 者が 一つの  結ばれて, 御父に 近づくことができるのです.(エフェソ書 2:13-18)

 今日の本文、エフェソ書はパウロが 西暦 62年にローマの刑務所から書いた文章として知られています。 彼は獄中で‘エフェソ書だけでなく‘フィリピ書'、‘コロサイ書'、‘フィレモン書'を書きましたが、この4つの手紙を‘獄中書簡'と呼びます。
特に今日読んだエフェソ書はパウロが第2次伝道旅行の時に建てたエフェソ教会に送った手紙として、主に一致、一つになることを強調しています。パウロは 神も一人であり、信仰も一つ、洗礼も一つなので、キリストにあってエフェソの信者たちが一つになるようにと切に勧めました。

 ここで一つになるようにというこの言葉は、エフェソ教会だけでなく、当時の小アジア地域にある他の多くの教会にも当てはまる言葉でした。 なぜなら、福音がエルサレムとユダヤとサマリアを越え、小アジア地域に伝わる中、教会があちこちで建てられ、ユダヤ人と異邦人がともに信仰生活をするようになるのですが、彼らの中で葛藤が生じるようになったのです。このユダヤ人と異邦人の間の葛藤は、当時初代教会の問題でした。 ユダヤ人の伝統的な選民思想に根ざした異邦人へのユダヤ人の根深い差別が、教会共同体の中にも現れているのです。 ユダヤ人が普段持っていた考えはこうです。

 たとえばユダヤ人は神様にこんな感謝の祈りを捧げたと言います。 神様、私をユダヤ人に生まれるようにしてくださったことに感謝いたします。 神様、私を男に生まれるようにしてくださったことに感謝します。 神様、私をあの犬に生まれないようにしてくださって感謝します。


 この祈りによると、ユダヤ人は異邦人として生まれたことを呪われた人のように思い、異邦人たちを軽蔑すべき動物のように考えたのです。
もちろん、この祈りは新しい初代教会共同体の祈りではありませんでしたが、ユダヤ人が異邦人にどのように接してきたかを現わす排他的選民思想を示しています。 問題は、ユダヤ人がキリスト教徒となったものの、律法(トーラー)に規定された諸規定を異邦人のキリスト教徒にも守るよう求めたことです。
そして、挙句の果てに浮上した論争が、割礼と非割礼の問題でした。 割礼はユダヤ人の男の子が生まれて8日目に行う儀式で創世記17章を見れば、神様とイスラエル民族間に締結された契約の象徴でした。

神はまた, アブラハム に 言われた.「だからあなたも, わたしの 契約を 守りなさい, あなたも 後に 續く 子孫も.あなたたち, およびあなたの 後に 續く 子孫と, わたしとの 間で 守るべき 契約はこれである. すなわち, あなたたちの 男子はすべて, 割 受ける.包皮の 部分を 切り 取りなさい. これが, わたしとあなたたちとの 間の 契約のしるしとなる.いつの 時代でも, あなたたちの 男子はすべて, 直系の 子孫はもちろんのこと, 家で 生まれた 奴隷も, 外國人から 買い 取った 奴隷であなたの 子孫でない 者も 皆, 生まれてから 八日目に 割 受けなければならない.あなたの 家で 生まれた 奴隷も, 買い 取った 奴隷も, 必ず 割 受けなければならない.それによって, わたしの 契約はあなたの 體に 記されて 永遠の 契約となる.包皮の 部分を 切り 取らない 無割 男がいたなら, その 人は 民の 間から 斷たれる. わたしの 契約を 破ったからである.」(創世記17:9-14)

 ところで、この割礼を異邦人のキリスト者も同じように受けなければならないと、ユダヤ人のキリスト者が主張したのです。この問題はガラテア書によく見られますが、パウロはガラテア書5:25:6でそれぞれ述べています。

ここで,わたしパウロはあなたがたに断言します. もし割礼を受けるなら,あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります.”(ガラテア書 5:2)

“キリスト · イエスに結ばれていれば,割礼の有無は問題ではなく,愛の実践を伴う信仰こそ大切です.”(ガラテア書 5:6)

 パウロとはだれですか。 彼はローマの市民権を持っており、律法学者ガマリエルの下で学び、旧約聖書とユダヤ教の伝統をよく知っていました。そのような彼が、古いユダヤ教の伝統主義、律法主義から果敢に脱し、ユダヤ人と異邦人が一つになる共同体を目指しました。ユダヤ人中心のエルサレム教会を越えて、ユダヤ人と異邦人が一つになる新しい教会の一致を言っています。"この一致とは、異なるものを単純に合わせる化学的な結合ではなく、イエスの犠牲で結ばれた霊的な関係のことです。ユダヤ人と異邦人がイエスの十字架と復活によって神様と近くなり神様の家族になります.この神様の家族の中心には平和の主キリストがおられます。

実に,キリストはわたしたちの平和であります. 二つのものを一つにし,御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し,”(エフェソ書 2:14)

 ユダヤ人と異邦人が一つになったのは、人間的な交渉ではありませんでした。それは平和のキリストにあって、イエスの血によって一つになったのです。 だからひとつになるということは、十字架に架かってくださったキリストの犠牲によって成り立っているのです。
     
“規則と 戒律ずくめの 律法を 廃棄されました. こうしてキリストは, 双方を御自分において一人の 新しい人に造り上げて平和を実現し,”(エフェソ書 2:15)

 神はユダヤ人と異邦人の間での仇となる根深い律法の壁を壊しました。ユダヤ人と異邦人を民族的に、人種的に分ける差別の障壁をなくすために、自分の体を投げ出してくださいました。そうやってキリストにあって彼らが一つになりました。

 皆さん、キリストにあってユダヤ人と異邦人が一つになったように、私たちも一つの群れとしてこの場にいます。 同じ神様、同じ信仰を告白し、同じ洗礼を受けてここに集まりました。牧師と平信徒、専門家とそうでないもの、 男と女、 古くからの教会員と新しい信者の間、 また異なる世代間で一つになることをさえぎる、隔てのかべがありますか? 我々はキリストにあって一つになりました。 差別や排除しようとする律法主義のかべを越えてキリストにあって一つになりました。

ところで今日読んだ本文15節を見ると、<新しい人>と出てきます。しかし、ハングル共同翻訳書を見ると<一つの新しい民族>と出てきます。


パウロはユダヤ人と異邦人が一つになる<新しい人><新しい民族>とみなしたのです。 律法主義、人種主義、階級主義、性差別主義など、行き詰まったかべを取り壊して異なる民が、異なる民族が新しい人、新しい民族になる希望をキリストのうちに見ました。 キリスト教共同体の中でユダヤ人と異邦人が一つになることは、このように究極的に人類が一つになる新しい民族の夢につながります。 イエス·キリストの十字架の苦難と犠牲と復活は、人類のための救いの事がらだからです。

 私は20192月に日本キリスト教会にエキュメニカル宣教師として派遣を受けて福岡に来ました。 所属している教団で実施される宣教師の訓練を、夫婦で1ヶ月間受け、派遣礼拝を捧げて日本に来ました。 その動機は数年前から日本の平和運動家たちと一緒に毎年8月に韓国の広島と呼ばれる陜川を訪ねたことに遡ります。 陜川は原爆被害者がたくさん集まって住んでいる所です。

 194586日、広島と89日、長崎に原子爆弾が投下され、当時、死亡者は広島で20万人、長崎で8万人と推定されています。 このうち韓国人は、広島で死者35千人、長崎で15千人と推定されています。解放後は、北朝鮮に行った人たち、そして韓国に来た人たちがいますが、被爆第1世代が帰国して彼らの子供たちと陜川(キョンサンナムド・ハプチョン)に多く住んでいます。 今はそこに<陜川原爆被害者福祉会館><陜川原爆資料館>があります。

 毎年8月には陜川に行って原爆被害者たちに会って国際セミナーを開いてきましたが、 日本と韓国の平和運動家たちが一緒に会って話し合ううちに私は自らの無知に目覚め、日韓を中心とする東北アジアの平和のために働かなければならないと思うようになりました。
 私が日本に来て最初にやったことは"東アジア平和センター福岡"を設立したことです。日韓 理事会を組織して開設式を行いました。 そして去年の8月に、第1回青年平和学校を沖縄で開きました。日本の学生が3名、韓国の学生が3名、中国の学生が1名参加しました。

 沖縄と言えば、人々は美しい観光地だけを考えますが沖縄は第2次世界大戦末期に本土の日本軍により沖縄の原住民たちが戦場に追い込まれて多くの無辜のたみが、犠牲になったところです。 第2次世界大戦後、米軍基地が建設され、今も引き続き建設されています。 平和学校を開いて午前には平和についての講義を聴いて午後には平和記念公園、ひめゆり平和記念資料館、そして米軍基地が建設される辺野古などを訪問しました。

 今年は日本の学生10人、韓国の学生10人を募集して8月に韓国の済州島にて、第2回青年平和学校を開催しようと準備してきました。 しかし、新型コロナ・ウィルスの蔓延のため、プログラムが難しくなりました。

 済州島の状況は沖縄とよく似ていて、そこには海軍基地があります。 多くの済州道民と平和うんどうかが建設に反対しましたが、20162月に竣工しました。済州海軍基地は、建設過程での環境破壊問題だけでなく東北アジアの平和を脅かしています。 この海軍基地をアメリカが軍事基地化しようとしています。 済州島にはすでに米軍の海軍艦だけでなく原子力潜水艦まで停泊しているのです。

 このように沖縄と済州島は東北アジアの平和を脅かすアメリカの軍事基地化に利用されています。 このような平和の島、済州島を守るために平和運動をしていたソン·ガンホ先生は、3月に海軍基地に入り、"軍事基地のない平和の島"と書かれたプラカードをもって活動したために逮捕され、今刑務所にいます。 彼は私たちと一緒に 8月の済州島のプログラムを準備している人でした。 彼の拘束は平和を念願する私たち皆の痛みであり苦難の象徴です。 我々は、平和を語る者ではなく、平和を作る、人にならなければなりません。

 地球で唯一の分断国家である朝鮮半島で、南北の和解と平和を妨げる壁は何でしょうか。日本と韓国の和解と平和を妨げる壁は何でしょうか。 差別を生む律法主義勢力は何でしょうか。

 ラビ·ジョナサン·サックスが彼の著書"差異の尊厳(Dignity of Difference)"で言うように、私たちは他者の顔から神様を見ることができなければなりません。 すべての人類の顔から神様を発見することは、新しい人、新しい民族になれというイエス·キリストの教えのようなものです。

 エフェソ書著者ははっきり言います。 キリストが仇となったものを十字架で消滅させ、人類を一つにしたのだと。 したがって、キリストに従う私たちは私たちを<新しい人><新しい民族>になるようにする神の恵みによって、からしの種のように小さく始まりましたが、麹のように広がる神様の国のための平和の道具にならなければなりません。
日本と韓国の平和、東北アジアの平和、さらにはこの地の平和のために祈り、また働いてくださるようお願いします。

"皆さんの教会が今日、この時代、塞がれた壁を崩すイエス·キリストにつき従い、平和の福音を伝える使徒になることを切に願います"


父と子と聖霊の御名によって。

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