2019年3月31日日曜日

3・1独立運動100周年記念集会 「3・1独立運動とはーみ国を来たらせたまえ」澤正幸 牧師

朝鮮の3・1独立運動に対して当時も今も、日本社会は関心を示すことがなかった、その根本原因は日本社会において確固たる存在であり続けている天皇制にあるのではないか、それは戦後社会にあっても植民地支配の清算がなされていないということではないのか、私は澤さんの論文をそのように読みました。
澤正幸さんは牧師であり、天皇制の問題を教会に身を置く者として深く洞察を進めていきます。しかしそれはキリスト者だからということにとどまらず、歴史の中で日本人として存在している者として避けて通ることのできない課題であるはずです。澤さんの承諾を得て、私のブログで澤さんの講演録をご紹介いたします。  崔勝久

        西南KCC主催 3・1独立運動100周年記念集会

               「3・1独立運動とは」
              副題「み国を来らせたまえ」
                 2019年3月3日

            日本キリスト教会福岡城南教会牧師 

                  澤 正幸

 今年は1919年、韓国全土で民衆が韓国独立万歳を叫んだ3・1独立運動から百年の年です。その時のことをわたしの亡くなった兄、澤正彦が記した、「喜びの関門、韓国3・1精神に学んで」という文章は次のように書き出しています。
 「1919年3月1日午後2時、ソウルの中心街にある泰和館という料亭では、民族代表33名が、またパゴダ公園では学生たちが、3・Ⅰ独立宣言文を読み上げた。(中略)
『我らはここに我朝鮮国の独立たることおよび朝鮮人の自由民たることを宣言す。此をもって世界万邦に告ぐ、人道、平等の大義を克明にし、此をもって子孫万代に伝え、民族自存の正権を求有せしむ・・・これは天の明命であり、時代の大勢であり、全人類共存・同生権の正当な発動であって、天下の何物もこれを阻止抑制することはできない・・・。ああ新天地が眼前に展開す、威力の時代が去り道義の時代が来た・・・良心が我とともにあり、真理が我と共に行く・・・。

公約3章
1 今日我らの行動は正義人道生存のためにする民族的要求にして、すなわち自由精神を発揮
するものにして、決して排他的感情に逸走すべからず。
1 最後の一人まで最後の一刻まで民族正当なる意思を快く発表せよ。
1 一切の行動は最も秩序を尊重し、我らの主張と態度をしてあくまで公明正大ならしむべし』」

 澤正彦は独立宣言文を紹介した後、さらに3・1運動の展開をつぎのように記しています。「3・1独立宣言文朗読のあと、民族代表はすぐ自首する中で捕らえられ、学生らはソウルの街をデモ行進した。この示威はあちこちで押さえられたが、3月1日に始まり、ほとんど2ヶ月間韓国の南端から北端まで、独立万歳の集会示威があり、3月から4月にかけて全国の万歳集会は、ある統計によると1214件に及んでいる。また満州、中国、ハワイ、アメリカ在住の韓国(朝鮮)人にまでこの運動は波及して行った。(中略)朝鮮半島の隅々にまで、独立、自由万歳の声が波及する間、約7千5百名の死者、約2万人の逮捕者を出し、焼却され、破壊された教会数は50に及ぶといわれる。」 註 阪神淡路大震災の死者は6434名、それを上回る人々が殺された。「民衆は非暴力に精神を掲げて日本軍警に立ち向かった。・・日本軍警の弾圧は苛烈を極めた。『射撃時間約3分・・即死したる者51名』」
「3・1運動は民族代表として、キリスト教、天道教、仏教界の人たちが先頭に立ち、一般の参加者は、農民、商人、労働者、通りがかりの人々、老若男女、あらゆる階層の人たちであった。日本人相手のキーセンといわれる人たちも『万歳』を唱えて行進したことは有名である。

水原の堤岩里教会は水原の市内にあるのではない。水原からバスにゆられて1時間半、2時間も行ったひなびた農村である。ここでも4月に入って青年たちが教会に集まって「万歳」を唱えた。この3・1運動に加わらなかった当時の韓国人と言えば、総督府に仕える官吏と末端の役人、警察官位ではなかろうか。その意味でも、あの独立宣言文はすべての韓国人に理解され、奮い立たせるものをもっていた。3・1精神が韓国の民衆のレヴェルまで届いたといえようか。(略)それこそが、この運動が長期にわたって全国津々浦々まで伝わっていった理由であろう。」

 それから百年がたった今年、韓国では3・1の精神が今日に至るまで、韓国の民主化闘争や、先のパク・クネ大統領を弾劾に追い込んだキャンドル革命に脈々と受け継がれてきたことが記念されています。
 しかし、翻ってこの日本で、3・1運動百年に関心を抱くひとがどれだけいるでしょうか。韓国の民衆にとって非常に大切な歴史であることを、理解し、それに共感を抱く日本の民衆は存在しているでしょうか。そうではないと思います。かえって民衆レベルでの大きな乖離が存在し、それが日韓両国民の連帯を妨げています。民衆レベルで乖離があるだけでなく、両国の教会の間にも溝があるのではないでしょうか。

 朝日新聞に1919年についての特集記事が掲載されました。その記事には、当時、世界のあたらしい潮流のなかにあった韓国の3・1独立運動について、日本がその新潮流を読み間違ったと書かれていました。世界の時代の流れが脱植民地支配の方向に向かおうとしていたときに、日本はそれを抑圧し、自由と独立を否定する側にたってしまった。そして、それから百年がたった今、韓国の民主化、南北統一による朝鮮半島の平和、東アジアの平和に時代の潮流が向かおうとしているときに、再び日本はこの潮流を読み間違おうとしているのではないのか。
 3・1百周年のこの時、日韓両国の関係は戦後最悪の状態にあると言われるのは、元を正せば日本が、1919年から1945年の敗戦にいたるまでたどった道が、自由、独立、民主主義を追い求める世界の流れに逆行するものであったとの反省に立って、戦後新しく歩み始めたはずであったのに、そうではない道に、それとは逆行する道、すなわち日本が過去において歩んだ道に対する反省に立つことをやめて、むしろそれを肯定するような方向に歩み始めているから、それが、1919年以来の歴史を一貫して歩もうとする韓国との間で対立をもたらすからではないのでしょうか。

 3・1運動が直接面と向かってたたかった相手は日本です。しかし、そのメッセージは日本に敵対するのでなくて、「日本を邪悪な路から救い出し、東洋平和の責任を全うさせる」ために、日本にも連帯を呼びかけながら、朝鮮民族の独立を目指すというものでした。あのとき、「朝鮮だけでなく、道を誤った日本をも救う。そのために自分たちは立ち上がるのだ」という韓国の人々の声に耳を貸さず、聞く耳を持たず、共に東洋の平和を!と叫んだ民衆を押さえ込み、その中から多くの犠牲者を生み出した日本は、百年前も百年後の今も、韓国民衆の叫びと願いに共感する心を持っていないようです。その隔たりは、一般の民衆のあいだにあるばかりか、両国の教会の間にもあるように思えます。

 百年前、韓国の民衆を押さえ込んだのは、日本の警察、軍隊、朝鮮総督府、天皇が統治する日本国家でした。そして、百年後の日本はどうかといえば、依然として天皇を中心として国民の統合をはかろうとする国ではないでしょうか。そこでは3・1独立宣言で高らかに謳われている普遍的価値、自由、人権、平和、民主的共和制よりも、外国の人たちにとってはわけのわからない「特殊な、世界に類のない」日本だけに固有な伝統と文化に価値がおかれています。
 両国民の心の隔たりは昨今の韓国国会議長、文喜相氏と日本政府の間のやりとりに典型的にあらわれています。過去の植民地支配と戦争についての最高責任者であった昭和天皇の子息である現天皇が、韓国に対し謝罪して当然ではないかという文氏に対して、日本は天皇に謝らせる気は毛頭ないので、両国は互いに、心とこころが通じ合う真実な和解からはほど遠い状態にあります。

 その間にたって、日本と韓国、両国民の和解のための架け橋になりうるのが両国の教会であり在日の教会です。日本の教会は韓国の3・1精神を、その希求する独立、自由、平和、道義、平等、良心、真理といった価値の普遍性のゆえに受け入れ、自ら3・1の精神に立っていきてゆく可能性をあたえられている貴重な存在です。にもかかわらず、日本の教会は過去においても、現在でも残念ながらその可能性に十分目覚めているとはいいがたいのではないかと思います。ではどうしたら、日本の教会が3・Ⅰ精神を受け入れるようになれるのか、そのためには、単にそれが普遍的であることを認めるだけでなくて、さらに二つのことが必要であるとわたしは考えます。

 一つは、日本の教会が、韓国の民衆や教会と同じく、日本国家を支配する天皇制による抑圧のもとにあって、過去、苦しめられていた被害者であることを自覚し、今もそこからの解放と自由を求めて闘わなければならない存在であることに目を開かれて行くことです。
 そのためには、第二に、日本の教会が、天皇制の抑圧の下で自分たちよりもさらに大きな苦しみを受けていた韓国の教会や民衆の側に共に立とうとせず、その苦しみを見過ごしにしてきた過去の罪を神と人の前で悔い改めなければならないということです。その悔い改めは当然、今なお自分たちよりも日常的に人権を否定され、天皇制社会のもとで差別を受けている隣人とともに立つことにつながらなければなりません。

 ここで一つの文章、これもわたしの亡き兄、澤正彦の文章を引用させていただきたいと思います。「教会の他者性」と題した文章で彼はこう述べます。

「日本がいわゆる朝鮮伝道を行ったという時期に、朝鮮の礼拝堂は焼かれ、牧師、長老、伝道師は獄中で拷問を受け、教会員は礼拝する場所を失った。教会の礼拝の中に、いつのまにか、宮城遥拝、神棚が入って来た。
 このような事態は未だ自分の身に及ばずといえども、キリスト教徒なら誰でも理解でき、共感できる、怒りと悲しみの材料であった。日本の教会は、朝鮮の教会の毎日曜の礼拝が妨げられることを見過ごしにした。見過ごしにした事によって、自らの礼拝も不真実なものになった。隣の教会が自らの意思によらず、他の力によって礼拝が妨げられている状態を、たとえそれが一つでも二つでも多少に関わらず見過ごした瞬間から、その礼拝は偽りの礼拝になった。それはこの地上に見える教会の他にキリストの教会はなく、個々の教会はそれぞれキリストの身体につらなる肢体であるという信仰から当然引き出せる信仰である。『もしひとつの肢体が悩めば、他の肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ』(Ⅰコリント12・26)。

 ところで、105人事件、3・1運動、神社問題を通して、多くの教職者が逮捕され、裁判を受け、教会堂に石油がかけられて焼かれ、信徒が殺され、あらぬ神への礼拝を強制され、教会の信仰告白が曲げられて行った時、日本の教会は全く沈黙した。見知らぬ顔をしたわけではなかったであろうが、その一つ一つを自らのこととして決死の闘いをすることがなかった。一歩遅れ、二歩遅れるうちに、麻痺状態になり、朝鮮の教会が日本の力によって一つ二つと消えてゆくことに、何も感じなくなった。そればかりではない。他人事を装っていたことがわが身にふりかかってきた時、立って闘うときを逸した教会は自らの信仰告白を失い、形骸化した教会を守ることしかできなかった」

 わたしは、この文章をルカ福音書18章9節〜14節の「ファリサイ派と徴税人の祈りのたとえ」に重ね合わせて読みました。このたとえは、ファリサイ派の偽善と独善が、決して主イエスの弟子である教会と無縁ではないこと、わたしたちの教会の礼拝もまた偽りの礼拝になっていることがしばしばあること、それは歴史上、繰り返されて来たことをこのたとえは鏡のように映し出しています。
 たとえば、アフリカの奴隷貿易のためにガーナの海岸に築かれた要塞が今も残っていますが、そこを訪れて驚き、愕然とさせられることは、地下の奴隷を鎖につないでいた牢獄の真上に、プロテスタント教会の礼拝堂が築かれ、そこで神が礼拝されていたということです。そこで礼拝していたのはオランダの改革派教会でした。そのオランダ人の子孫は20世紀、南アフリカで悪名高いアパルトヘイト政策を神学的に支持していた教会です。

 ところで、日本の教会は、自分たちがいかに戦争中、迫害を受けたか、孤立の中で、それでも礼拝を一度も欠かさずに守り抜いたかを誇りとして来ました。特高の監視を受け、空襲警報の鳴り響く中で、それでも礼拝を死守して来たと言われています。けれども、日本の教会が戦争中も礼拝を守り続けたことをもって自己を正当化し、自己義認をはかることはできないと思うのです。なぜなら、その礼拝は偽りの礼拝だったからです。あのファリサイ派の祈りの中に、悲しみ嘆いて神に祈る徴税人のための執り成しの祈りははいっていませんでした。それは十字架上で「父よ、かれらを赦したまえ」と祈り、共に磔になった犯罪人のために祈られる主イエスの祈りとはほど遠い祈りです。日本の教会の祈りと礼拝も、悲しみ嘆く人を覚えて祈る主イエスの祈りとはほど遠い、具体的に韓国で苦しみ叫んでいた隣人を覚えることのない、独善的、偽善的礼拝だったのです。

 李仁夏先生の子息の李省展教授が、日本基督教団の成立を痛烈に批判している文章を最近読みました。それは李光洙という日帝時代の悲劇的人物についての講演の末尾に書かれた文章です。李光洙は3・1独立宣言の下地となった、それに先立って東京YMCAで読み上げられた2・8独立宣言の起草者であり、3・1と深い関わりのあった人ですが、のちに日帝に擦り寄り、節操をまげ、晩節を汚した、韓国人からは恥とされる「親日」の象徴的人物です。李教授は韓国がそのような人を生んだのは、日本による「皇民化政策」が原因であって、彼はその被害者でもあることを述べ、さらにこう続けます。少し長いですが、引用します。

「筆者は南総督着任から始まる『皇民化政策』は朝鮮人のみならず、総動員体制に組み込まれて行く日本人をもより強力に『皇民化』していったものと日頃考えている。それは、朝鮮に於いて統計的に神社参拝をする日本人が朝鮮人同様に増加していることからも言える。総動員体制下の日本におけるキリスト教会やキリスト教学校もまたこのこととは無関係ではなかった。
 長老はミッションスクールの神社参拝問題に見られる用に、植民地において『私学』としての自主的教育権が、国家権力により極端に規制されてゆく中で、帝国本土内では皇紀2千6百年の祝祭に動員され、キリスト教界も独自に青山学院で約2万人を集め、皇紀2千6百年奉祝全国基督伸と大会が40年10月に開催され、多くのキリスト者とキリスト教系の学校が参加し、『全基督教会合同を期す』と宣言したのであった。
 さまざまな団体の統合が『報国』という名の下に国家権力の圧力により推進されて行く中、キリスト教界では、この奉祝の信徒大会における教会合同宣言を経て、翌年には日本基督教団の設立が現実のものとなる。明治学院理事長でもあった富田満日本基督教団統理は、42年1月に伊勢神宮を参拝し、天照大神に教団設立を報告している。また奉祝信徒大会を経て、『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督信徒に送る書翰』が公にされるのであるが、その書翰では、完全なる『外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立』が謳われており、諸教派を打破して『一丸とする一国一教会』となったのは『世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実』であるとした上で、神の導きと、『天業翼賛の皇道倫理を身に体した』日本人キリスト者にして初めてなされたと述べている。このような帝国内の総力戦体制下の民衆を含めた大規模な思想動向は、植民地における『親日』や『転向』の問題に限定されるのではなく、改めて現代日本においてもより広範なアリーナで議論されなければならないのではなかろうか。」

 李光洙という韓国の生んだ優れた知識人が「親日」となり、「転向」したその悲劇に、李教授は日本のキリスト教会の変質を重ねて見ておられます。韓国人が李光洙から目を叛けたくなるように、日本基督教団の設立の歴史から日本のキリスト者は目をそむけたくなるかもしれません。しかし、今年の3・1記念日の文大統領の演説でも強調されていたように、「親日」の歴史の清算はまさに現代の、今日の韓国の課題であり、それと同様、日本基督教団設立の問題は、今日の日本のキリスト教会の緊急の課題です。

 かつて、日本の教会が天皇制支配に抵抗できず、かえってそれに擦り寄り、最終的には完全に天皇制と一体となった、その完成形が日本基督教団でした。その日本基督教団がいまなお現存しているという現実を直視しなければなりません。戦後、日本基督教団は戦争中、アジアの諸教会に対して「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督信徒に送る書翰」を送ったことを反省して、1967年に「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を表明して、アジアの諸教会に謝罪し、和解を求めました。しかし、その罪責告白において、戦争に対する反省はつぎのようになされていますが、すなわち「教団の名によってあの戦争を是認し、その勝利のために祈り、努めることを内外に表明しました」と告白しますが、教団設立それ自体については、こう言っています。「わたしたちはこの教団の成立と存続において、わたしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。」1967年の戦争責任告白においても、教団設立自体は「1941年6月24日くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって」日本基督教団が成立した(日本基督教団教憲前文)との立場が保持されています。教団設立それ自体に対する悔い改めと罪の告白はありません。このことが、今日でも、天皇制が国家と社会を支配している中で、教会がその支配に抵抗しようとしない罪と弱さにつながっているのではないでしょうか。そして、天皇制の問題に関わろうとせず、天皇制の支配に抵抗することもない教会とその礼拝は、天皇制の支配に脅え、また天皇制の支配からの自由と解放を叫ぶ民衆、キリスト者、教会が
脅迫されるのを見過ごしにすることによって、神のまえに偽りの礼拝となっていることを、わたしたちは知るべきであると思います。

 わたし自身は1951 年に、教団合同の歴史を悔い改めて、教団を離脱し、新しい信仰告白共同体の形成を目指すべく出発した日本キリスト教会の志を継承しようとする者の一人ですが、その日本キリスト教会にあっても、天皇制支配に対して抵抗しようとせず、天皇制の問題は信仰の問題ではないと考える考えが依然として強いのではないか、それを神学的に掘り下げて、闘う教会となって行くための課題は今なお大きいことを覚えています。

 わたしはこの講演の副題を「み国を来らせ給え」としました。わたしたちが祈り求めている神の国とは何でしょうか。それは終わりの日、終末的な、未来のことでしょうか。主イエスはルカによる福音書17章21節で「神の国は見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と言われました。
 イエス・キリストは復活され、天に昇られ、全能の父なる神の右の座にあって、天においても地においても一切の権威を授かっておいでになります。その主が「見よ、世の終わりまでわたしはあなたたちと共にいる」と約束された、その主の現臨の約束は、「二人、または三人がわたしの名によって集まるところにわたしもいる」との礼拝における主の現臨の約束に結びついています。この礼拝の主イエス・キリストの現臨をもたらす、「二人、または三人が主の名によって集まる」とはどういうことでしょうか。それはいと小さい者の叫びに耳を傾け、その祈りを父なる神に執り成されるイエス・キリストにならって、わたしたちが互いの声と叫びに耳を傾け、とりわけ小さくされている人、幼子、乳飲み子、孤児、寡婦、寄留の外国人のために祈り、その人たちの叫びをともに叫び祈る、それが主イエスの名によって二人、三人が集まるということです。礼拝に集まっている者の間でそのことがなされない、そのような関係がわたしたちの間に存在しない礼拝は、たとえ、何千人、何万人が集まっていても、そこにイエス・キリストが臨在されない礼拝です。そして、大祭司イエス・キリストがそこで祈っておられない礼拝は礼拝ではないのです。イエス・キリストはご自分の兄弟であるいと小さい者のひとりと共におられるのに、その小さい者を見下し、軽んじ、無視する礼拝にキリストはいまさないからです。

 戦争中の日本の教会の礼拝はそのいみで礼拝でなかったといわなければなりません。教会を守ったかもしれませんが、主は自分の命を守ろうとする者はそれを失い、わたしのために命を失う者がそれを救うと言われたのです。自己保存を図るだけの教会は、教会としての命を失っている教会なのです。わたしたちは、今こそ、過去の歴史を鏡として自らを顧みて悔い改めたいと思います。

 天皇制に反対の声を上げない教会、声を上げることによって日本社会から孤立し、そこで生きて行けなくなることを恐れて沈黙する教会は、みずからを守ったとしても、命を失います。天皇が人間であるのに、人間としての責任を負わないことをおかしいと言わない。言えば命を狙われる。それで沈黙してしまう。そもそも、人間でしかない天皇を人間以上の神に近い存在、否、現人神とする思想に反対の声を教会が挙げないことは間違いです。本当の人間らしい人間であること、思想、信仰の自由、職業選択の自由、基本的人権を保障された人間であることが許されないひとを、日本の象徴としている憲法は改正すべです。それゆえ、普通の人間であるかどうか曖昧な存在である天皇が、神と人の前で自分の罪を公に認め、謝罪できない制度、謝罪させない天皇制という制度がおかしいことを、おかしいと言わないで、このようなおかしさを、自分には関係のないことといって黙って見過ごしにする信仰はまことの信仰なのでしょうか。教会は上に立つ権威のために執り成して祈ることを神から命じられています。この執り成しの祈りを上に立つ権威としての天皇のためにもささげるなら、わたしたちは、いまの憲法の定める象徴天皇制も、もっと人間らしい、もっと正しく、世界の全ての人に開かれた、普遍性のある制度に変えてくださいと神に祈るべきであると思います。

 神はイエス・キリストをすべての権威にまさる権威としてたて、そのお方を教会の頭としてたててくださいました、教会はその主のみ言葉と聖霊によるご支配に服従し、み言葉を、聖霊による「パレーシア」をもって、大胆に、臆することなく、誰をもはばかることなく、宣べ伝えます。パウロは言います。「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」(2テモテ2:9)これがキリストにおける神の国の一翼です。そして、もう一つ、神は地上に政治的権威を立てて、彼らを通して統治されます。かれらはローマの信徒への手紙13章にあるように、神に仕える神の僕です。彼らは、わたしたちの国の天皇が異教的権威であるように、パウロが服従を勧めているローマ皇帝もまた異教的権威でした。しかし、その異教的権威が神の僕として、神に仕えるのは、教会がみ言葉の宣教によって仕えている教会の主イエス・キリストが政治的権威に対しても主権を持っておいでになり、指導者たち権威を持って支配するその政治的領域に於いても主の戒めに従い、神に仕えて行くよう教会がはっきりと神の戒めを指導者に対して語り、あるときには警告し、かれらのために祈ることによってなのです。
 わたしが祈り求める神の国、神の支配は、イエス・キリストが主としてこの世界を支配されるために、教会と国家が正しくそのつとめを果たす秩序なのです。

 1919年3月、万歳独立運動が澎湃として韓国全土をおおったとき、韓国のキリスト者は韓国人口の1%だったと言われています。でもその少数のキリスト者がパン種のように、韓国全体が神の国にむけて立ち上がるうえで働いたのではないでしょうか。パン種がなければパンはふくれないように、神の国の到来に向けて、少数の韓国キリスト者は欠くことのできないパン種として用いられることが許された、それが3・1の歴史です。その歴史はわたしたちに限りない勇気と希望を与えてくれるのです。
 主よ、みくにを来らせてください。この国に、東アジアに、全世界に!



大韓イエス教長老会(合同派)3・1百周年記念礼拝における挨拶

2019年2月24日
ソウル西大門教会

日本キリスト教会九州中会議長 澤 正幸

3・1の百周年を記念する礼拝にお招きをいただき、日本の牧師としてここでみなさんに挨拶する機会をあたえていただいたことを、神様とみなさまに感謝します。
3・1独立運動が大きな犠牲を伴ったこと、日本の軍隊による鎮圧の犠牲となって7千5百名の方々が殺され、2万人の人が逮捕され、獄につながれたことを思う時、日本人であるわたしの心は、痛みと悲しみで一杯になります。
日本が36年間、韓国朝鮮を植民地支配した歴史、そこで犯された略奪と蛮行の数々、韓国の方々の魂と誇りを傷つけた侮辱の数々を知ろうとしない日本人、その歴史に目を閉ざしている日本人のあまりに多いことを、悲しみをもって覚えます。

今、韓国の国会議長の方が、従軍慰安婦のハルモニに対して、日本の首相や天皇から心からの謝罪があって当然であると発言されたことに対して、日本政府は、謝罪を拒み、かえって反発し、国会議長の方が発言を撤回し、謝罪することを要求しています。
もし、ドイツ政府と、ドイツ国民が、第二次世界大戦においてヒトラーのナチスドイツが行った犯罪の数々について、謝罪を拒んだなら、世界に受け入れられるはずはありません。それなのに、どうして、日本政府が、また日本国の象徴である天皇が、韓国朝鮮に対して犯した罪について謝罪しようとしないのか、謝罪できないのか。謝罪を拒んだまま、アジアにおいて、世界において正しい、国、正しい国民として受け入れられることができるでしょうか。

日本の国が、その政府が、また日本の象徴である天皇が、歴史の審判者であられる神様の前に、歴史の事実を直視する勇気を持ち、罪を認め、謝罪し、和解を求めるようになることを、日本のキリスト教会は祈り、願っています。
しかし、みなさんは、日本のキリスト教徒の数が人口のわずか1%にも満たないことをご存知であられるでしょうか。
日本において絶対的な少数者であるキリスト教会が、日本の国と、日本国民を変えて行く上で、あまりに小さく、弱く、影響力をもてないとしても、わたしたちは、今日、百年前、朝鮮の独立をもとめて叫びを挙げた人々の頭上を覆っていた暗闇の深さは、今、わたしたち日本の教会を覆っている闇の深さよりももっと、暗く、深かったことを思います。にもかかわらず、百年前、韓国朝鮮の人々が、その深く、絶望的な闇の向こうに希望の夜明けと、朝を待ち望んで立ち上がったこと、独立万歳を叫んで立ち上がったことを思って、わたしたち日本のキリスト者も、信仰と希望と愛を持って立ち上がりたいと思います。
そして、3・1独立運動の精神が、決して空しくなく、平和と自由をこの世界にもたらされる神様の歴史支配と摂理に沿うことが、この百年の歴史を通して示されていることから勇気を与えられたいと思います。
それゆえに、3・1百周年のこのとき、みなさんと共に、この東アジアに真実な主なる神による和解と平和、愛と喜び、神への賛美が満ちるときを目指したいと思います。「み国を来らせ

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