3・1以降の日本社会の問題についてーアジアとの関連において
武市一成
2019年2月現在、日本の朝鮮半島植民地支配の責任を、加害と収奪という歴史的事実に立って追及している象徴的な存在がふたつある。ひとつは、就学支援金の支給対象から、朝鮮民主主義人民共和国との外交関係を理由に、朝鮮学校を外していることに対して、毎週金曜日に東京の文部科学省前で抗議活動を展開している朝鮮学校の生徒たちである(文科省前金曜行動)。生徒たちは、日本政府を相手取った民事裁判の原告でもある。もうひとつは、ソウル日本大使館前の「平和の碑(少女像)」の横にテントを張り抗議の意思を表明する韓国の大学生たちである。
前者は、2010年に開始された「高校無償化制度」から、2012年2月に朝鮮学校が排除されたことを受けて、朝鮮大学校の学生たちが2013年5月に始めたもので、2018年12月で250回を数えている。後者は、2015年12月28日に、日本政府と大韓民国政府の間で交わされた「12.28日韓慰安婦合意」において、日本政府が「平和の碑」の撤去を要求したことを受けて、これを守るために韓国の大学生有志が集まり、『日本軍性奴隷制問題への謝罪賠償と売国的な韓・日合意の廃棄に向けた大学生の共同行動』としてテント内での座り込みによる抵抗を始めたものであって、これは昼夜交代で毎日行われ、今日も続いている。「平和の碑」を守るというのは、象徴的な意味においてであって、実質この活動は、日本の朝鮮半島の植民地支配を糾弾するという意味合いを持ち、事実、現在では『反安倍反日青年学生共同行動』と名前を変えて、「『戦争ができる日本』のために平和憲法を戦争憲法へと露骨に改正しようとしている」安倍政権に反対する行動を展開している。
これら両者の間にはいくつかの共通項が存在している。それは、運動の担い手が外国人-日本人の私から見れば-であり、学生であるということ。そして、いずれも、同様の運動を縦横に広げていく拠点としての持続性と求心力を持っている。さらに、両者が、糾弾の声を、それぞれ文部科学省と日本大使館という公権力に向かって突きつけていることは、植民地支配の責任を負う主体が国家である以上、当然のことである。大学講師として教壇に立つ日本人である私は、外国人と学生によって担われているこれらの行動を、真剣に受け取らざるを得ない立場にある。なぜなら、日本国内において、日本の侵略責任と植民地主義を、公権力に向かって指弾する日本人の動きは、まことに脆弱だからである。
まず、「12.28日韓慰安婦合意」(以下「合意」)が発表されたその日から、日本のメディアは、新聞もテレビも、まるで事前の打ち合わせがあったかのように、1993年8月4日の「河野談話」よりも格段に後退した内容であり、事実上日本の植民地支配の問題を不問に付すものと言っても過言ではない「合意」の履行を韓国政府に迫る報道を一切にはじめ、これを批判したり、異論を唱えたりする言論は、大手商業メディアから一切消えて、野党も、「合意」を前提とした元日本軍「慰安婦」問題の解決を主張し始めたのである。「合意」の内容を批判する議論は、私の知る限りでは、私自身の「韓国の少女像撤去には反対」というタイトルの投書が『東京新聞』に掲載された2017年1月11日まで、日本の商業メディアには現れなかったと考えられる。
「合意」の履行を迫る際に、日本メディアに共通して見られた論調は、「北朝鮮の問題で、日韓が一致団結しなければいけないこの時に、日本との協調を乱すような行為は許されない」という一点に集約されていた。日本メディアのそうした論調は、戦時強制動員(徴用工)の賠償に関する韓国の大法院判決について論じる際にも維持されているが、その際、日本メディアは、韓国と朝鮮民主主義人民共和国との間に結ばれた板門店宣言(2018年4月27日)と平壌共同宣言(2018年9月19日)、及び米朝首脳合意(2018年6月12日)について、まるでそれらが存在していないかのように、全く言及せず、その態度は現在も継続している。さらに、2017年に、朝鮮民主主義人民共和国がミサイル発射実験を頻繁に行い、米朝間の緊張が高まった時には、有事における、韓国からの邦人退避についての議論が、大手メディアによって公然となされ、アメリカによる軍事攻撃の時期を予想する議論が、外務省発行の『外交』誌上にも登場するなど、まるでアメリカによる軍事攻撃を期待するかのような雰囲気さえ醸成された。このような状況を背景に、朝鮮学校差別を巡る一連の裁判も、2017年7月28日に、大阪朝鮮学園が大阪地裁判決において勝利した以外は、これまで全て敗訴となっている。
以上のことは、一体何を意味しているのであろうか。かつて、日本は、朝鮮半島を植民地化することにより、韓国/朝鮮という存在を抹消しようとしたのであるが、その意識は日本人によって深く内面化され、1945年の敗戦以降も維持されて、今日まで来ていると考えなくてはならない。現在、日本社会が、官民を挙げてやっているのは、日本の植民地支配の痕跡を消すということである。それは、日本の朝鮮半島の植民地支配の責任を、韓国や朝鮮民主主義人民共和国が問題にすることは、いかなる形においても許されないという態度であり、この一点において、日本のメディアは、保守もリベラルも完全に一致している。従って、「平和の碑」は、日本の植民地支配の責任を象徴的に表すものであるがゆえに、その存在自体が許されず、撤去されなくてはならないというのが彼らの論理であり、大阪市の吉村洋文市長は、「合意」ですら言及していない、サンフランシスコの「像」の撤去まで要求し、要求が受け入れられないことをもって、同市との姉妹都市関係を一方的に解消するまでにいたっている。
これらのことは、結局のところ、日本で「戦後民主主義」と呼ばれるところのものが、何を意味しているのかを示して余りあるものである。日本は、1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約に署名し、翌1952年4月28日に対日平和条約が発効し、いわゆる国際社会への復帰を果たすが、それと同時に、日本にアメリカ軍の駐留を認める「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」も発効し、沖縄は日本から分離されて米軍の直接統治下に置かれ、1972 年5月15日の返還後も、沖縄は、日米の戦略拠点として軍事要塞化されて今日にいたっている。
また、1947年の外国人登録令を経て、1952年4月19日の法務省人事局長通達「平和条約発効にともなう国籍及び戸籍事務の取扱について」により、在日朝鮮人は、対日平和条約の発効と同時に外国人としてあつかわれることが決定した。さらに、朝鮮戦争において、日本は「国連軍」の後方基地としての役割を担い、事実上朝鮮戦争に参戦し、結果「朝鮮特需」と呼ばれる好景気が日本にもたらされ、戦後の不況に呻吟していた日本経済が高度経済成長の波に乗ることが出来たのは周知のところである。朝鮮半島が冷戦構造の中で分断されることによって、日本は、西側反共陣営の一角として、大韓民国と、政治的妥協の産物である日韓基本条約により、賠償ではなく、経済協力金の拠出をもって国交を結び、朝鮮民主主義人民共和国とは国交を結ばなかった。結果、日本は、植民地支配の責任をとる機会を得ず今日に至っているが、その無反省な態度は、強制動員の結果として生じた在韓被爆者にたいする40億円の支払いを、賠償ではなく「人道支援」という名目で行い、「合意」にもとづき設立された「和解・癒し財団」に10億円のみ拠出し、韓国に丸投げするなどという上から目線の態度に一貫して現れている。また、日本政府は、在日朝鮮人を管理するにあたり、朝鮮半島の分断状況を最大限に活用してきたが、朝鮮学校への弾圧などは、その最もたるもののひとつである。
このように、朝鮮半島の分断状態は、日本の「戦後民主主義」を規定する重要な要素であり、その構造が失われるのは、日本の権力層には死活的な意味を持ちうる。「合意」以降の展開が明らかにしたものは、いわゆるリベラルと言われるような言論人やメディアも、この構造の受益者であったと言う事実である。そして、そのようなリベラル言論人やメディアが盛んに持ち出したのが、「和解」というテーゼである。それは、日韓国交正常化40周年の2005年に『朝日新聞』が出した次のような社説に如実に表れている。
「未来に向けて、日本は過去の歴史に謙虚でなければならない。韓国の人々の痛みを思う想像力が大切だ。韓国も、過去の被害ばかりを振りかざさない寛容さがほしい。『東アジア共同体』という夢や北朝鮮という不安、中国の台頭などにどう向き合っていくか。日韓が力を合わせてあたるべき課題は多い。このアジアで最も手を組みやすいのは日本と韓国のはずだ。民主主義や市場経済という価値を共有し、社会の発展レベルも似ている。文化の近さもある。それをうまく生かさない手はない。」
この社説に見えるのは、日本人がなすべきは、精々「韓国の人々の痛みを思う想像力」を持つにとどまるのであり、「過去の被害ばかりを振りかざさない寛容さ」を持てと、被害者に歩み寄りを要求さえする、謙虚からほど遠い姿勢である。結局、「合意」以降、私たちが目にしている状況は、この延長線上にあるものであり、さらに言えば、それは1952年にさかのぼるものだと言える。
「戦後民主主義」は、日本という国のA面、すなわち公定の「戦後史」であって、朝鮮半島の植民地支配をはじめとした、日本の侵略責任を隠蔽することによって成立してきたものである。そうである以上、日本の教育現場やメディア空間で語られるのも、もっぱらA面の歴史になるのは必然である。従って、隠されたB面を可視化し、学ぶ側に提示することが、今後、日本の教育者が取り組み、実践すべき事柄である。
冒頭の議論に立ち返れば、現在日本の植民地主義の問題を公権力に突き付けている主体が、何ゆえ朝鮮学校の生徒たちであり、韓国の大学生であるのかと言えば、両者が「戦後民主主義」のA面に隠された部分を知っている存在であり、声を上げなければ、彼らの存在自体が脅かされるような状況が、現在の日本社会に現出しつつあるからである。従って、彼らの運動に、今後、どれだけの日本人が、自分たちを重ね合わせて繋がっていけるかに、東アジアの平和的な共存の可能性がかかっていると言える。
2019年2月3日
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