2018年4月30日月曜日

国籍条項問題とは何か ー川崎市当局との交渉から見えてきた地平についてー

国籍条項問題とは何か
ー川崎市当局との交渉から見えてきた地平についてー
(5月1日、更新)
                                   崔 勝久

内容(目次)
1.はじめに
2.序文
地方自治体の自立について
地方自治体の持つべき理念について
「公権力の行使」の川崎的解釈の裏にあるもの
「川崎方式」の本質について
「市職労」の問題について
7-1. 市の労働組合について
7-2. 「運用規定」の本質について
7-3. 行政の巧みな支配の構造について
8.結び
9.補稿ー民族差別と闘う市民運動について
9-1. 「民闘連」の実態について
9-2.地域活動について
9-3.外国籍公務員について
 
1.はじめに
 国籍条項問題とは何なのか、まったく御存知でない方も多くいらっしゃると思います。御存知の方は、「外国人」を公務員にならせない、国籍による差別だと理解なさっていらっしゃるようです。そうには違いないのですが、これでは周りに多々ある差別のひとつと相対化されるように私は思うのです。   
 私はこの小論で、川崎市の「川崎方式」に関わることを記しました。国籍条項問題の本質は「川崎方式」においてもっともその正体を明らかにしていると考えるからです。その本質とは、排外主義イデオロギーのことです。そしてこの排外主義イデオロギーによる差別を公権力が是認し制度化したという意味で、またこの制度が日本国家の意志を体現しており、他の地方自治体も追随してきているという意味で、そして最後に、これらの動向を市民運動側が一定の評価をしているということで、私は「川崎方式」とそれを評価する動き、およびそれを支える思想を徹底的に問題にしなければならないと考えるのです。
 身辺の様々な日常的にある、あるいは身辺で起こる差別を許してはならないことは言うまでもありません。私は、「川崎方式」はそれら全ての制度化・構造化された差別の象徴であると考えます。差別は心の問題ではなく、社会的、歴史的なもので、その歪みを反映しています。「川崎方式」を直視することによって、この日本社会の歴史的、社会的な歪みを直視しようというのが、この小論の趣旨です。
 
2.序文
 「共生の街」つくりをスローガンにする川崎市は、外国人への開かれた市政を宣言し、全国的にマスコミを通して有名になりながら、どうしてかくも実体として、閉鎖的で、民族差別を制度化したことに無自覚なのでしょうか。  
 私たちは、川崎市が外国籍者への門戸の開放と同時に、国籍を理由に昇級と職務の制限を制度化する、いわゆる(入れてはあげるが、中では差別する)「川崎方式」によって、逆に門戸を閉ざし差別を固定化したと理解しています。それは公権力による差別の是認です。市長の「英断」が評価される中で、これまで市に「門戸の開放」を求めてきた市民運動体や組合から、差別を制度化したことへの批判とそれと取り組む具体的な運動がなされなくなったことに危機感を抱き、私たちは「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」を結成しました(2007年)。そしてこの間、学習会と討論を重ねて、ようやく市当局との直接交渉を始めました。その中で私たちは、「川崎方式」が様々な問題を持つことが分かってきました。   
 しかしながら「川崎方式」が何故、全国に広がる兆しを見せているのでしょうか。また「川崎方式」のスローガンである「多文化共生」がどうして幅広く、運動側だけでなく、地方自治体、政府、大企業の間に至るまで使われるような社会現象になっているのでしょうか(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の基調報告参照)。私たちは「川崎方式」がもつ問題点を徹底的に解明することによって、現代日本社会の病根にメスを入れることができるのではないかと考えます。
 
 一方、民族差別と闘う市民運動の立場から見れば、川崎では日立闘争、指紋押捺闘争の歴史を背景にして、児童手当や市営住宅入居等、外国籍者を排除してきたこれまでの市政に問題提起し、それらの権利を獲得してきた経緯があります。また地域の拠点として従来あった社会福祉法人青丘社と、地域での軋轢を克服してできた「ふれあい館」は「共生」のシンボルとして広く認知されています。即ち、川崎は民族差別と闘う市民運動のメッカとして知られるようになりました。その中心を担ったのが、民族差別と闘う連絡協議会(通称「民闘連」1974年)です。市当局は同時に「共生の街」作りをスローガンにし、「人権・共生推進担当」(現在は、人権・男女共同参画室)を市民局の中に設け、外国人の人権擁護という立場から熱心に取り組んでいるということが全国的に高い評価を受けるようになっています。 

 外国人市民代表者会議も作られ(1996年)、川崎は市と市民運動の両方の側から見ても、外国人の人権運動に関しては全国でもっとも先を行く都市として知られているのです。NHKで自治省の反対を押し切って実行したと報道された、川崎市長の「門戸開放」(1996年)は「英断」であると市の組合や市民運動体から高い評価をうけましたが、実はその「門戸開放」「川崎方式」こそ、市民運動体、市の組合、市当局が一緒になって取り組んできた「成果」、「集大成」でもあったのです。   
 
 市長の「門戸開放」宣言と同時に、外国籍公務員には182職務と管理職への昇級は制限する(一旦、中に入れたら差別する)ということが発表されていたのですが、その内容は1年にわたって完全に秘密にされ、朴鐘碩君の情報公開要求も却下される始末でした。組合も市民運動体も「外国人」には就かせないとした182の職務内容は何なのかを問いませんでした(しかしおかしいですよね。普通、これこれはだめよと言われたら、どうしてだめなのですかと聞きませんか)。そして1年後、市は「運営規定」を発表し、ここにおいて182職務の内容が公表され、差別制度が確立されました。市の組合と市民運動体は「多文化共生」の為に市のパ―トナーになる道を選び、差別の制度化をなくしていく具体的な運動はもはやしなくなってしまったようです。「要求から参加へ」(「ふれあい館」館長の講演より「RAIK通信」97年)の時代になっていったのです。   

 彼らが選択した道は本当に社会の変革につながり、民衆の解放に至るものなのでしょうか。私たちはその答えを「川崎方式」をめぐる諸状況の分析の中に求めます。私たちは彼らをそのようにしてしまう社会の構造をしっかりと見つめ、批判的にとらえます。その批判の刄は権力者のみならず、自らの生き方、組織のあり方にまで及ぶでしょう。このような問題意識から、この間見えてきた地平を記したいと思います。
 
. 地方自治体の自立について
 地方自治体における人事の問題は、地方自治法によって地方自治体独自で決定することになっているのに、どうして川崎市は国の顔色を窺おうとするのでしょうか。地方自治体は今、国家との関係において経済、施策、理念の面でいかに自立していくべきなのかが問われています。

 地方自治体とは「国の統治作用」を行うことを本来的な任務としているのでしょうか(鄭香均さんに対する東京都の一貫した主張。「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」代表に宛てた、川崎市長からの2月12日付けの回答)。今、政府が実施しようとしている日米新ガイドライン(戦争マニュアル)の問題も、法律でもないのに地方自治体が政府の指示に従うのは「当然」とする政府見解に対して、川崎市が住民自治の立場から、戦争に二度と巻き込まれないようにする姿勢をいかに貫徹するのかということでは、私たちの取り組む国籍条項の問題と深く関わっています。

地方自治体の持つべき理念について
 歴史を直視せず未来を語ることはできるのでしょうか。戦争責任を自らの問題として受け止めることなく、地方自治体の未来を描くことが許されるのでしょうか。  
 私たちが出した高橋清元川崎市長宛への公開質問状の中で、市の戦争責任をどのように考えるのかということに対してこのような回答がありました(98年12月18日)。  

  戦前は、地方自治制度が現行のように憲法上の制度として認められたものでないため、
 一自治体の首長として戦争責任を明らかにすることは困難であると考えます。また、現市長
 が公人として責任を具体化しなければ、多文化共生を進められないとは考えておりません。 

 川崎市は一般論としては戦前、戦中の歴史を語りながら、自らの問題として戦争責任を考える姿勢をもっていません(例えば当時、市の課の中に、戦争動員体制の強化と他民族支配を前提とした、朝鮮人の日本社会への融和を目的とする「内鮮協会」の事務局が置かれていたことを読者は御存じでしょうか)。南京虐殺事件の映画会を暴力的に妨害する右翼と対峙するどころか、治安を理由に主催者に再考を求めた市当局の姿勢からもそのことは推測できます。  

 川崎市は「共生の街」をスローガンにして、法律でもない「当然の法理」という政府見解を絶対視し、外国籍者差別を当然とする考え方を自らの意志で積極的に具現化してきたのです。一般的には、あの戦争は全て国が悪かったということではすまされない、むしろそれを支えた個人、マスコミの責任はどうであったのかが問われはじめています。私たちは、戦争を具体的に担った、それが例え国家からの命令、または国に従うしかなかった制度上の問題であったとしても、今後は二度と同じことをしない為にも、地方自治体の戦争責任が問われると考えます。川崎市は「戦争責任」を明確に自覚せず、歴史的な検証に耐えうる政治理念と思想を欠除させたまま、「多文化共生の街」というスローガンをたてました。歴史と現実に立脚しないスローガンは理念になりえません。

 川崎市が具体的な戦争責任を表明し、「川崎方式」が外国籍公務員に対する差別であることを認めることから全ては始まります。外国籍者やホームレス、老人、障害者といった社会的弱者を含めた全ての住民を地域の対等な構成員とする理念を持たずして、21世紀に向けた住民自治は不可能です。

.「公権力の行使」の川崎的解釈の裏にあるもの
 国や地方自治体が国民国家の原則であるとして「当然の法理」を理由に外国籍者は公務員にならせないと言い張っていたならば、ある意味では排外主義イデオロギーの問題は露呈していなかったかもしれません。しかし日立闘争の裁判勝利以降(1974年)、一般企業において国籍を理由にした差別は認められなくなり、弁護士資格もまた国籍条項を撤廃せざるをえなくなりました(2007年)。

 事実として外国籍公務員が誕生し、鄭香均さんのように高裁で勝利する例(1997年、最高裁では敗訴2005年)も現れはじめています。東京都や川崎市は「当然の法理」では既成事実化している外国籍公務員の存在と、彼らへの差別を説明できないものですから、「日本の統治作用」という論理を持ち出しはじめました。勿論、これは日本国家の見解です。こう言えば普通の人は納得せざるをえないとでも考えたのでしょうか。日本の国は日本人が統治するのだという論理で、現状の差別を正当化できると判断したわけです。    

 川崎市は国の「当然の法理」を自分達なりに現実的に解釈し直して、「公権力の行使」とは、市民の自由と権利の制限をするものであるとして、採用した外国籍公務員を182の職務に就かせないようにしました。具体的には、建築許可、食品検査、病人の隔離をする保健婦、税金の徴集、墓地への立ち入り検査、狂犬病予防に係わる犬の捕獲等の仕事で、よせばいいのに、それらは「日本の統治作用」に関するもので「公権力の行使」であるから外国籍公務員はだめだと説明しています。これらの職務が「日本の統治作用」になるのかどうかはみなさん、御判断ください。ちなみに川崎市の判断では、犬への注射も「日本の統治作用」「公権力の行使」にあたるので、外国籍公務員には認めないそうです。  

 しかしこれらの仕事は全て法と規範に基づいてなされるもので、公務員であれば誰であってもその範囲内で行動しなければならず、外国籍公務員が勝手にやれるものではありません。それらの仕事をする公務員の属性(性、国籍、思想等)が問題にされる余地はないのです。これは法治国家の原則です。それをどうして外国籍公務員ではだめだというのでしょうか。彼らの論理は完全に破綻しています。 
    
 私たちは、「川崎方式」の根底には、「外国人」は何か悪いことをするかもしれないという根深い偏見と、外国籍公務員が一般市民と同僚に命令することによって惹起される反発を想定した、偏狭なナショナリズムが存在すると推測せざるをえません。この偏狭なナショナリズムこそ、排外主義イデオロギーの核となるものです。私たちはここに、多くの人が納得する「公権力の行使」「日本の統治作用」というお上の言葉で、偏見と排外主義イデオロギーを隠しながら差別を正当化しようする、川崎市の真の姿をみるのです。

. 「川崎方式」の本質について
 川崎市長は「川崎方式」はベストで、国の法律が制定されるまでは変わることはないと断定的な主張を繰り返しています。しかしその一方、市民局の中に「人権・共生推進担当」を設け、外国人市民代表者会議の裏方と一般市民啓蒙の役を担わせ、開かれた市政のイメージ作りを目的に、かれらに外国籍職員の処遇の見直しもさせているのです。この矛盾する二重性をどのように考えればいいのでしょうか。私たちはここに、国家と市民への顔をふたつもちそれを恣意的に使いわける、為政者の政治的な手管を見ます。日本のマスコミは彼らの意図を見抜けず、彼らの市民への顔だけを見てそれを高く評価するという過ちを犯しています。しかしこれはふたつの矛盾した政策ではなく、慎重かつ大局的に練り上げられてきた「外国人」対策なのです。 
     
 一般市民にリベラルな印象を強く与える「多文化共生の街」作りを掲げた「川崎方式」こそ、本質的には、多くの飴を与えながら在日外国人を統合していこうとする、日本国家の遠大な国策に沿ったものであると私たちは考えます(「民闘連」での坂中講演参照)。それは国民の支配・管理の徹底化をはかり、日本の防衛を口実に軍事大国になりながら、低賃金の外国人労働者を社会に吸収しようとする国策に合致します。国そのものが戦争責任を曖昧にし、危険な方向に向かっているのに、どうして外国人対策だけが別途に講じられることがあるでしょうか。「多文化共生」という言葉にごまかされないで、「多文化共生」がどのような社会的な背景において広く使われるようになってきているのか理解する必要があると思われます(「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の基調報告)。「日鮮融和」「五族協和」を謳い戦争を進めてきた過去の歴史から多くを学びましょう。

.川崎市職労(川崎市職員労働組合)の問題について
 川崎市は「門戸開放」宣言後一年経って「運用規定」を発表しそれによってはじめて公式に外国籍公務員を差別する制度を確立させました。国籍条項の撤廃を求めてきた市の労働組合は、その「運用規定」に反対する具体的な運動を起こすことはありませんでした。私たちは、彼らのその意味を推測するしかありません。はっきりしたことは、市職労は川崎市への具体的な抗議活動をしなかったということと、市の差別制度化の問題点を解明し情宣しなかったということです。批判運動の回避の政治的理由は私たちにはわかりません。しかし市の問題点の解明をできなかった理由ははっきりしています。それはかれらも市当局と同じ体質を持つが故に、自ら関わった「川崎方式」を差別であると見抜けなかったからではないでしょうか。

7-1市の労働組合について
 川崎市が組合と協議することなく、名目上単なる人事のマニュアルでしかない「運用規定」の中で、外国籍公務員の職務と昇級についての制限を制度化したことは、組合組織、活動に対する挑戦としてとらえられるべき問題であるはずです。どうして市職労は、自らの構成員である外国籍公務員の権利の剥奪を制度化した「運用規定」の問題を全組合員に知らせ、その制定に抗議し、撤回を求めないのでしょうか。私たちとの直接交渉の席上、市当局は「運用規定」の説明を組合幹部にしたがなんの意見もなかったと明らかにしました。もし例えば女性であるということを理由にして、職務と昇級の制限が制度化されたら、組合幹部はそれを見過ごしたでしょうか。一般組合員は沈黙を守るでしょうか。しかるに外国籍公務員の場合、組合幹部が一切のアクションを起こそうとしなかったのは、彼らもまた、「外国人」への偏見と偏狭なナショナリズムを払拭しきれず、自らの体質として持っていたからではないでしょうか。

7-2.「運用規定」の本質について
 市が作成した「運用規定」は本当に外国籍公務員を目的に作られたのでしょうか。確かに「運用規定」の正式名は「外国籍職員の任用に関する運用規定」になっています。しかし、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」という独特なネーミングをした副題にかかわらず、この「運用規定」は「本市の総合的な人事管理システムの中に位置づけ」られると明記されています。市が「門戸開放」した時、外国籍公務員の182職務の制限を発表しながら、一年にもわたってその内容の開示を頑に拒んできたのは、「中長期的視点に立った」「市全体の総合的な新しい人事システムを整備」するのに準備期間が必要だったのです。つまり市は、「運用規定」は外国籍公務員に関する運用規定の整備の為といいながらその作業をとっくに終え、実は真の目的としてある、全公務員の合理化、管理の強化をはかる内容を整備していたのです。これが「運用規定」の本質です。
 市は外国籍者への門戸開放と銘打ちながら、実際には地方公務員の労働運動そのものに大きな網をかぶせる人事制度を確立したかったのではないかと推測されます。市職労働者は、外国籍者の為にではなく、自らの問題として自らの解放の為に、「運用規定」の撤廃に取りくむべきであるという私たちの主張の根拠はここにあります。

7-3. 行政の巧みな支配の構造について
 国際交流センター(財団法人川崎国際交流協会)は市の第三セクターで、「ふれあい館」と合わせ「共生」の実践のモデルケースらしいのですが、かれらは同センターへの登録をしようとした私たち連絡会議に対して、「市に批判的な団体は登録できません」と拒否しました。また、市当局は先に触れたように、私たちには182の職務制限の内容の公開を一年間拒みながら、マスコミと市民運動体である「民闘連」へは情報を流したことが前回の直接交渉の場で明らかにされました。市当局は事実関係を明らかにすることを約束したのですが、調査の結果、どうして彼らに情報が流れたのかわからなかったと嘘ぶいています。        
  
 そして第2回目の交渉の直前、「人権・共生推進担当」は、外国人市民政策ガイドラインのたたき台を外国人市民代表者会議に提示し、その内容が翌日、新聞発表されました。内容そのものは、同会議委員長が「市内部からこういう考え方が出てくることは感動的だ」(1月18日、毎日新聞)という程、よく書かれており、これまでの努力の跡を窺わせるものです。しかし、「人権・共生推進担当」の責任者はそのコピーを朴鐘碩君に手渡した後、同会議委員長に報告し善後策を相談したらしく、同日の夜に3回も朴君に電話をし、明朝一番に会社に伺いたいと言ってきました。渡したコピーを返して欲しいというのです。どうして市当局は、同会議委員長と相談して一度出した公文を返してほしいというような、不可思議な態度に出たのでしょうか。  
  
 私たちはこれらのことから、「外国人」の人権を擁護すべきであると考え差別をなくそうと「共生」を訴える個人、団体に対して、行政はこれらの人たちの思いを逆手にとり、「共生」を名目にした特権を授けて取り込みながら、反対するものを徹底的に管理の枠の中にはめ込んでいくか排除していることを知りました。彼らは自らのイメージアップにつながる成果は全て情報管理をして、自らの権力基盤の強化につなげようとしているのです。私たちはここに、行政の巧みな支配の構造を見ます。彼らは問題提起者を受け入れ、巻き込むのです。そしてそこから両者の癒着が、かれらの言葉でいう「共生」や「参加」が始まります。既得権が発生します。その関係を維持するため、彼らは自らの権力基盤、支配構造を脅かすものに対してはかくも閉鎖的で排外的な対応をするのです。

8.結び
 「川崎方式」をめぐる諸状況がどのようなものであるのか、おわかりいただいたと思います。私たちは民衆の、そして何よりも自分自身の自立を求めます。今、川崎の圧倒的多くの民衆は「川崎方式」の本質、実体を知らされていません。そのような中で、限られた者たちだけの間で着々と外国人対策が進められているというのは、どこか根本的に問題があるのではないでしょうか。それは民衆に解放をもたらすものではなく、いつも民衆を非当事者の立場に固定し、権力者の基盤を強化するだけです。それでは社会の本質的な差別の構造は隠蔽されたままになります。  
 
 この間川崎の運動に関わってきた人たち、今、外国人市民代表者会議等で外国人の権利を主張し始めている人たちは、国籍条項の問題をみんな知っています。しかし大多数は、「川崎方式」の問題の本質が何なのかを知らないで、それは数ある差別のひとつであると考え相対化しているようです。彼らは、「川崎方式」というのは公権力が「外国人」への偏見と排外主義イデオロギーによって差別を是認し制度化したものであることをいまだ理解していないようです。犬への注射が「日本の統治作用」で「公権力の行使」にあたるため、外国籍公務員には認められないと明記されていることを知らないようです。

 これらの事実を知れば、「川崎方式」こそ、「外国人」差別の象徴として、徹底的に議論をしていかねばならないという私たちの主張は理解してもらえると私は確信します。「川崎方式」が「外国人」差別であることを川崎市に認めさせ、撤回させる運動に、多くの人が自分の属する組織や団体の立場を超え、一人の人間として賛同しあって共に闘うことができるようにと願ってやみません。      
 
 くり返しますが、私たちはいかなるタブーも認めません。現実をしっかりと見つめ、おかしいことをおかしいと素直に言うことから始めようではありませんか。全ては自らが立ち上がろうとする、「個からの出発」からはじまるのだということをお伝えしたいと思います。

9.補稿ー民族差別と闘う市民運動体について
 私は「国籍条項問題とは何かー川崎市当局との交渉から見えてきた地平について」の小論で、「川崎方式」を取り上げることによって、川崎市と「市職労」の問題の本質を記しました。次に補稿として、それらの問題について市民運動体はどのように対応してきたのか、その実態を明らかにしたいと思います。ここにおいて、為政者は「善意」の市民運動体をも巻き込んで、いかに自らの権力基盤の強化を計ろうとするのか窺い知れるでしょう。
 
 川崎市は地方自治体として私たち市民と手を組み、共に歩むパートナーなのか、そうであれば、私たちは徹底して問題点を明らかにして、彼らをして問題の所在を認識させ、改めさせるにはどうすればいいのかをよく考えるべきであったと思います。「多文化共生」を唱え、地方自治体或いは国家権力と共に歩むと語る「民主的人士」は、彼らの主観的な意図がいかなるものであろうとも、完全に権力者に飲み込まれ、利用されているのだという事実を直視すべきでありましょう。「戦前の始まり」が聞こえる現在、市民運動体のやるべき役割は、権力者に対して、おかしなことをおかしいと言いつづけることであったと私は判断します。私たちは自分で本当にやりたいことを自分の責任の持てる範囲でやり続け、その内実を深めていけばいいのです。社会変革とはそのようなことの総体によってしかもたらされません。 

 川崎における民族差別の問題と取り組んできた市民運動体(民族差別と闘う連絡協議会、通称神奈川「民闘連」)は、あれほど熱心に「門戸開放」の運動を展開してきたのに、市長の「門戸開放」宣言以降、「運用規定」によって差別が制度化されたことについては一切、具体的な行動を起こしていません。内外の多彩な「民主的人士」を顧問やメンバーにした運動体であるにも拘らず、どうして内部で「川崎方式」と取り組もうという具体的なアクションがなかったのでしょうか。
 「川崎方式」は「民闘連」のこれまでの運動の「集大成」といって過言ではありません。現在20名にもなる朝鮮人公務員の多くは、「門戸開放」前に、「民闘連」運動が作ってきた関係の中で公務員になった人たちです。彼らと社会福祉法人青丘社と「ふれあい館」の職員、及び一部の教師が中心となって神奈川「民闘連」として、「門戸開放」を求める運動をしてきたのです。彼らが「市職労」と深い関係にあることはいうまでもありません(前掲「ふれあい館」館長の発言、及び「市職労」の運動方針より)。私は以下に、神奈川「民闘連」と地域活動をする「ふれあい館」及び朝鮮人公務員の実態について触れてみたいと思います。
 
9-1神奈川「民闘連」の実態について
「民闘連」は20年以上も前、日立闘争以降作られた全国組織です。これまで川崎において南北朝鮮の政治状況に振り回されることなく足下での実践を深めるということでさまざまな働きをしてきたこと、その思想性と実践によって他地方の運動体に影響を与えてきたことは事実で、それらは歴史的に正しく評価されるべきでありましょう。

 しかしその「民闘連」が今や分裂して神奈川「民闘連」だけになっています。全国組織の分裂以後、大阪の運動体は英語を入れた全く別の組織名を名乗り、部落解放同盟の力を背景に積極的に関東にも「進出」してきています。それに危機感を覚えて、対抗のために神奈川「民闘連」グループは昨年高槻で再結集の集会をもったものの、今年の川崎での集会は若手グループの造反の顕在化によって、地元の参加者は専従と年輩の指導者を加えても数名という状況であったそうです。川崎における市民運動体とは神奈川「民闘連」のことですが、川崎市の公務員が主力の若手グループは、そこからも一線を画したことになります。川崎の運動を指導してきた指導者は、いかなる運動を提唱しようにも一緒になって汗をかく若い人たちがいなくなっているのです。私たちには彼らが一枚岩に見えながら、内部で世代間での相互不信がはびこり、これまでの内部矛盾が積み重なり、運動方針の討議さえもままならない、自壊一歩手前の組織のように見えます。残るは、行政と組んで「多文化共生」の旗印のもとで運営されている地域組織だけになってしまいました。

 恐らくこれからは、各運動体が定期的に全国から集まり情報交換する、ゆるやかな集まりとしての「民闘連」運動の使命は終わった、地元での地道な活動を地域や職場においてどのようにしていくのかが課題であるという見解が強調されていくでしょう。実際、各個人や組織の自発的な集まりでしかない「民闘連」が実体あるものとして社会的に認知されているのは、社会福祉法人青丘社とその事業体のひとつであるふれあい館のこれまでの実績とその存在が大きく評価されているからに他なりません。しかし今回、川崎での「民闘連」集会に、「民闘連」運動によって送り込まれた朝鮮人公務員がボイコットすると、かつては「民闘連」の中心を担ってきた青丘社と「ふれあい館」職員は組織としても個人としても「民闘連」運動に関わる意志も内部的なコンセンサスもなく、これで川崎で「民闘連」に参加し活動する主体は完全になくなったということになります。
 しかしながらそれでも川崎での地域活動が神奈川「民闘連」の拠点であるかのような虚像が払拭されていない最大の原因は、神奈川「民闘連」の事務局長として社会福祉法人青丘社から専従職員が送り込まれ、日常的に対外的な活動を行っているからです。すなわち、川崎市からの資金、青丘社とふれあい館の活動、「民闘連」の活動が「多文化共生」をキーワードにしてひとつになっているということなのです。 

 「民闘連」運動の中から生まれてきた若手グループの造反が顕在化した以上、神奈川「民闘連」に名を列ねてきた多くの人たちは(団体を含めて)、まず一堂に会して、「民闘連」運動の徹底的な総括をする社会的な責任があるでしょう。社会福祉法人の地域の活動をもって神奈川「民闘連」を実体あるかのごとくしてきた虚像は完全に剥がされてしまいました。青丘社活動と神奈川「民闘連」運動の関係を、資金源をはじめ明確にしなければならなくなっています。いずれにしても、川崎にあって民族差別と闘うと謳いながら、「川崎方式」を問題にしないような組織はもはや神奈川「民闘連」という名にふさわしくないということだけは確かなようです。

9-2地域活動について
 青丘社の運営するふれあい館は、マスメデイアには「多文化共生」のシンボルとして度々登場し、地元に根付いたセンターとして、市長は勿論、川崎の教育委員会や現場の教師、社会派キリスト者には絶対的な信頼を得ているようです。川崎市の「共生の街」政策の目玉のひとつである外国人市民代表者会議では、最初から、青丘社に組織枠として一席準備していたくらいですから。 

 私たちの目には、差別そのものである「川崎方式」にものを言うことを放棄してしまっている青丘社と「ふれあい館」は民族的な色合いをもった社会福祉事業体であり、もはや民族差別と闘う「地域活動」の拠点ではなくなっているように見えます。さまざまなプログラムを組み人を集め、市民啓蒙的な働きをしていても、本来の「民族差別と闘う砦」という位置付けを総括もなくなし崩し的になくし、「多文化共生」を看板にし直して、本来市が地域でやるべきことを「代行」する内容しかもたないからです。

 市からの資金援助で「地域活動」を敢えてやるのであれば、それをやるだけの思想と実践の内容がなければならない筈です。鄭香均さんが東京都からの「任用差別」を受け悩んでいたとき、昔一緒に地域で活動したことを思いだし、わらにもすがる思いでふれあい館と在日韓国川崎教会に電話をしたところ、電話を受けたふれあい館の職員はにべもなく断わったそうです。教会も同じです(1995年、9月26日の川崎教会における本人の証しより)。

 神奈川「民闘連」の若きリーダーは、鄭香均さんの支援を要請されたとき、昔彼女と一緒に地域活動をやったというような「思い入れ」は自分にはないので、川崎のことをやります。それが彼女を支えることになると思いますと、答えたそうです。私はここに、社会の不条理によって苦しむ「いと小さき者」の痛みに共鳴しようとし、自分のできることに全力を尽くすという、「地域活動」の最低限のモラルさえ失ってしまっている地域活動の実態を見ます。

 一体、社回復し法人青丘社ふれあい館は、日立闘争以降、民族運動そして民衆運動という位置付けで始められた「地域活動」の実践に対して、思想的な総括をしたうえで「多文化共生」というスローガンを打ち出したのでしょうか。そもそも「多文化共生」が歴史的、社会的にいかなる概念なのか学習、討論をしたのでしょうか。もし、「民族差別と闘う」ということが過激すぎて、地域住民の反発を喰らうということから、ふれあい館設立にあたって、敢えて「多文化共生」を強調したのであれば、民族差別としっかり闘う実践の内容を深めることが地域の実態に迫ることであり、そこでは日本人住民自身にとって最も必要なことを一緒になって求めていくのだと説明し切れなかったということになります。それは思想的な退歩です。時代の流行に沿ったきれいごとを言いながら、打算が見え隠れします。「共生」を謳うことで市当局と円満な関係を保ち、あとは行政から「多文化共生」ということで特権を享受し、経済基盤を確固たるものにして様々な福祉事業の展開をさらに計ろうとするのでしょうか。しかしながらそれは、行政にとってもっとも安上がりな方法であり、市の名声を高め、自らの権力基盤を強めるものになるということを忘れてはならないでしょう。

 行政からの資金によって活動が保証されて「雇い主」にものが言えないような、そして何よりも、地元の民衆に、「川崎方式」が外国人への偏見と排外主義イデオロギーを前提にして作られたものであるという問題点を伝え、一緒に考え行動しようとしない組織の、サラリーマン化されたルーティンワーク(日常業務)を「地域活動」、「地域運動」と私たちは呼びません。ただ行政から給料をもらい地域活動をしているということでなく、その地域住民自身が真実を見抜いていくような活動、子供自身が、属する民族に関わりなく自立して生きていけるような教育の中身によって、差別社会を撃ち破っていくような、そのような内実、中身が本当は一番重要であり、求められているものです。もともとは地域において、民族差別と闘う内容を深めようとしてきたのではなかったのでしょうか。

 それは単に在日朝鮮人を対象にしたものではなく、そこから地域の真の生活実態に肉迫する実践を深めるということであった筈です。自らの腹の底から沸き上る、在日朝鮮人としての悩みや怒りや、人間としての生き方を求めて、「地域活動」が始まったのです。地域をはいずり回り、地域の若い人たちや地域住民と泥まみれになる日々の実践をせず、内実よりは表にでる形式ばかりを求め、外で自分達と川崎市の宣伝の講演をして回りながら言葉で「多文化共生」などというスローガンを言い始めたときから、行政に足下を掬われるようになってしまったのではないでしょうか。

 泥まみれの「地域活動」のないところでの「共生運動」は民衆の自立に益せず、行政のショーウィンドーとして利用されているという実体を私たちは見抜く必要がありますし、何よりも、そのことを青丘社とふれあい館に関わる当事者が悟らなければならないでしょう。「多文化共生」の成果を運動体は自慢げに宣伝しますが、その実は権力者が刈り取っているのです。

9-3. 外国籍公務員について
 川崎市の朝鮮人公務員の存在は、ふたつの意味で「民族差別と闘う」運動の「申し子」です。ひとつは、市長の「門戸開放」によって公務員になった人たちです。「川崎方式」による「門戸開放」に問題があるとはいえ、日立闘争以降、自分の立っているところでおかしいことをおかしいと言い続け、それを勝ち取ってきたこれまでの運動の成果としてその道が切り開かれたのですから、「申し子」なのです。今後公務員になる同胞の青年は、そのような歴史の過程に自分もいるということを意識し、しっかりその歴史を知ってほしいと願ってやみません。

 「門戸開放」によって公務員になった同胞青年も、そのような機会を与えてくれた川崎市にありがたく思うという感傷的なレベルでなく、また「多文化共生」というイデオロギーに惑わされることなく、「川崎方式」は朝鮮人であるが故に、自らの労働者としての基本的な権利を疎外しているという歴史的、社会的な事実を見抜いて、自らその不義を糾すべく勇気をもって立ち上がってほしいと願うのです。 

 もうひとつは、神奈川「民闘連」に参加していた高校教師の働きかけにより、民族に目覚め、本名を使用するようになった若い人たちです。教師は市役所に朝鮮人子弟を本名で送り込むことに使命感をもっていました。そのようにして送りこまれた彼らこそ文字通り、「民闘連」運動の「申し子」です。高校教師の熱意と、運動に一定の理解を持つ組合、そして組合と行政との関係という構図の中から朝鮮人公務員が誕生していきました。勿論、実力で一般職でない公務員になった者がいることも本人の名誉のために記しておきます。神奈川「民闘連」から生まれ、今は市職労の傘下で、先に記した「川崎方式」と市職労の排外主義イデオロギーと外国人への偏見の問題に一切触れようとせず、行政と同じ「多文化共生」という旗をふって一定の地位をもつようになってきているのが彼らです。 

意識的に「民闘連」運動との関わりにおいて「活動」しようとしている公務員が何人になるのか私たちにはわかりません。しかし公務員になっても彼らが孤立しないように、「国籍・民族差別撤廃の取り組みに参加し、また、外国人職員と日本人職員が共に働きやすい職場環境の構築をめざ」すことを目的にして、「川崎市職労外国人交流会」(以下、「交流会」)が作られています。これは名前からしても「市職労」傘下の公的な組織という位置付けになっています。

 問題は「交流会」が「国籍・民族差別撤廃の取り組みに参加」することを目的にして、職場内での差別発言では積極的な働きをしながら、どうして自分自身の労働者としての権利の制限を制度化した「川崎方式」「運用規定」に対して沈黙を守るのかという点です。これは外国籍公務員に対する差別の制度化という意味で、また、先に記したように排外主義イデオロギーの体現という意味で、決して許してはいけないことです。「市職労」が「交流会」を押さえにかかっているのでしょうか。彼らは当事者として、「市職労」が問題にしないのであればそれを突き上げてでも意見を述べなければならない立場の筈です。

 或いは自らの意志として沈黙を守っているのでしょうか。ましてや、全国「民闘連」集会が川崎であるのであれば、自分達の状況、闘いを報告し、みんなに支援を訴える立場であるにもかかわらず、申し合わせてボイコットしたということは、部外者に全く理解できないことです。私たちがその行為に対して、これまでの「民闘連」全国組織の分裂、新しい組織の関東「進出」、内部矛盾の露呈等の臭いを感じる所以です。

 しかし私は提案します。「民闘連」派だ、その批判派だ、新しい組織だというようなレッテル張りをするのでなく、自分個人が一人の人間として何を思い、いかに行動すべきなのかだけを考え判断しようではありませんか。「民闘連」運動の「申し子」は、民族意識は熱心な高校教師の影響でもったとしても、人間として自立することは学ばなかったようです。詩人の金時鐘が鋭く指摘したように、「群れる」ことに甘んじてはいけないのです。例え自分一人であっても、一人の人間としていかに生きるべきか、何をなすべきか、自分で考え、判断すべきです。もう一人の朝鮮人の若きリーダーは、鄭香均さんの闘争支援要請に対して、未だ組合(「交流会」のことか)の組織化が不十分であることを理由にして断わりました。人は組織の為にあるのではなく、まず人としてあるのです。私たちは組織のためにではなく、自らが人間として生きるために、自らの解放の為に運動をするのではないのでしょうか。 

 今、一般的には、「川崎方式」は過渡期であって、入り口は開けたから(「門戸開放」)あとは、他の地方自治体が徐々に川崎のようになってくれれば自然と国の対応も変わり、川崎市もさらに前進するだろうと言われています(代表例として、山田貴夫氏の発言『民権協ニュース』97年1月号より)。しかしそうでしょうか。そんな人任せな解放というものがありうるでしょうか。それは間違いです。権力者はいつも自分の権力基盤の強化を考えているのです。私は権利は与えられるものではなく、民衆当事者が自ら闘い勝ち取っていくべきであると信じてやみません。
 
 以上のべてきたところからもわかるように、「民闘連」がもはや運動体としての内実をもたないことは明らかです。しかし神奈川「民闘連」がこのような実体のない運動体であるのを知りながら、どうして「市職労」や教組、他の多くの組織は彼らと「連帯」をすると言いつづけているのでしょうか。それは「共生」や「連帯」を言い合うことによって、お互い、自分自身や組織のあり方が問われなくなるからです。名前だけの「連帯」は弊害を生みます。その本質は自己保身であり、利用主義です。もはや看板だけになってしまった神奈川「民闘連」が「共生」を口実に、このまま特権的な立場を維持し、市や県、組合に対して唯一の窓口になることは、お互いの馴れ合いをより助長し、更なる既得権を発生させる危険性をはらみます。 

 しかしながら「民闘連」やふれあい館のような市民「運動体」の最大の問題点というか悲劇は、それでもけなげに民族の主体性を求め「多文化共生」を強調する彼らを行政は受け入れながら、「多文化共生」を逆手に取って、自分たちに反旗を翻すことができないように支配構造に巻き込んでいる現実を、彼ら自身が認識していないことでありましょう。これは川崎の市民運動だけに限った問題ではありません。全国的に、日本の支配者は「共生」を旗印にして、物わかりの良い「民主人士」を「和解者」にしたてながら(しかし悲劇は、彼らは自らが社会の為にいいことをしていると信じていることでしょう)、自分達の権力基盤の強化に努めているのです。

 今こそ、30年にわたる川崎での民族差別と闘う運動は、民衆が自立していく為にどのような内実を作ってきたのか、そのプラスとマイナスの両面を、対教育界、対地域、対組合、対行政その他すべての分野で、いっさいのタブーを設けることなく、真摯に総括すべき時期が来ました。私たちは、川崎市に対して、「川崎方式」が差別であることを認めさせ、それを撤回させる運動をするために、いかなる個人、団体とも対等に対話し、連帯して、共同の歩みをしたいと願います。多くの人が自分の属する組織や団体の立場を超え、一人の人間として賛同しあって共に闘うことができますように。 

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