2017年7月22日土曜日

ヘイトスピーチに抗するために

在特会のヘイトスピーチにどのように抗していくのか、これは早急に議論を深めなければならない問題です。
カウンターの最大の貢献は、ヘイトスピーチを許さない、差別を黙認しないということで立ち上がり、実際の行動を通して大きな成果を具体化してきたことです。その意義はいくら評価してもしきれないくらい大きなものだと思います。
ヘイトスピーチ解消法、公共施設使用禁止、地域制限、ガイドライン、運動で勝ち取ったものは在特会の幼稚な策略で突破されました。申請はわずか700メートル、出発地点から離れたところで20名位でバスで乗り付け、パフォーマンスをやってカウンターの市民が駆けつけたらさっそと帰ったということのようです。在特会を取り囲み動かなくしようとしたカウンターの裏をかいたということなのでしょうか、警察と組んでもめない形で終わらせたということなのでしょうか。在特会と対峙するには、物理的に「しばき合って」でも取り囲みシットインをして路上で動きを封じ込めるということでは限界があり、差別そのものを許さないという法律か条例を作るしかないのです。

しかしその目標を達成するためにも、一体在日が受けている差別とは何か、ヘイトスピーチを生み出す根源的なものを直視し、制度化・構造化され見えなくなっている差別の実態に触れる地道な作業・学習が必要です。何より、戦争責任、植民地支配とは何かという歴史観、哲学的な深い考察が必要不可欠であり、それは日本社会に徹底的に欠けているものです。それは在日という他者を知ることではなく、実は日本社会とはどのような社会なのか、すなわち自分自身を知ることなのでむつかしいのです。根源的な取り組みが必要です。ヘイトスピーチは在特会だけでなく、この日本社会に蔓延してます。在特会にターゲットを絞った運動では限界があります。差別の根は深いのです。

しかし今回の川崎でのヘイトスピーチ・デモを阻止することができなかった、そこにはどのような問題があるのかを考える時、私はカウンターがヘイトスポーチの問題を在特会にターゲットを絞込み、物理的にも敵対していくというスタイル、そこにある差別に対する認識についてこの際、徹底的に議論をするべきだと考えます。
この1年書いたものをここに掲げます。公開の議論をしましょう。
2016年5月28日土曜日
ヘイトスピーチの裏側にある構造化された差別について 
http://oklos-che.blogspot.jp/…/2013512-zaitok-kai-is-coming…

2016年6月9日
ヘイトデモを中止に追い込んだ市民運動の今後の課題ー私案を提示します
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/06/blog-post_9.html

7月20日 (FB)
‪ヘイトスピーチ解消法、公共施設使用禁止、地域制限、ガイドライン、全ては在特会の幼稚な策略で突破されました。根源的な取り組みが必要です。ヘイトスピーチは蔓延してます。在特会に特化した運動は無効です。差別の根は深いのです。‬

7月20日
公開の討論を望みます。「格差社会に抗う」、「ヘイトスピーチとの闘い」の講演会に参加して
http://oklos-che.blogspot.com/2017/07/blog-post_20.html 
在特会と同じレベルで「しばき合っても」構造化された、植民地支配の残滓である見えない差別はびくともしないのです。日本の右傾化こそ在日に脅威。
7月21日(FB)
在特会だけではないのです。私はSNSで知る日本の右傾化にあって、品性・理性もなく在日の悪口を真剣に書く人たちのことを思うと、関東大震災や広島での現場のあの、普段は優しい人達が豹変した姿を思い浮かべます。日本人が悪いのでありません。植民地主義というものが人を変えるのです。

7月22日
「広島の現場でのあの・・姿」についてお答えします。広島・長崎で被ばくスタ人は70万人といわれています。そのうち朝鮮人は7万人で4万人が死亡しました。どうしてそれほど死亡率が高いのか?それは朝鮮人とわかると周りの人は彼らに水他食べ物を与えず、病院に連れて行かなったからです。私は日本人論を展開するのではなく、植民地主義というものが被害者、加害者の人間性を歪めたのだと考えます。関東大震災での大虐殺、今に至るヘイトスピーチ、この根は深いという私の指摘に読者のみなさんがどのように反応されるかわかりませんが、一人、在特会だけを敵視し押さえ込むだけではヘイトスピーチはなくなりません。この点に関する議論が必要です。

1 件のコメント:

  1. 初めまして。辺見庸さんの近況が知りたくて調べていて(ブログも閉鎖されているしどなたかご存じないでしょうか...3月にTV出演されていたみたいですが。)『1937』の記事からこちらに来ました。私も今日本がかくなる状況になってしまった事に呆然としている人間のひとりですが、正直ここまで言葉が軽んじられ蹂躙されて恥を知らぬ人々の前に無力である日常に、どう抗ったらいいのかわかりません。新聞に従軍慰安婦問題が掲載されるとよく切り抜いていたのは1992年から96、7年頃だったでしょうか。全公立中学校の歴史教科書に従軍慰安婦についての記述が載り喜んでいたのも束の間凄まじい反動がやって来て、再びアベシンゾウを首相に迎えた今、慰安婦問題も南京大虐殺も歴史の彼方に葬り去られようとしています。「慰安婦」日韓合意はただ”永久にこの問題を蒸し返すな、ジ・エンド”という冷血な日本政府の宣言であり、そこには被害者の苦悩を思いやる心遣いも歴史の反省も一切ありません。韓国で誕生した文新大統領が「日韓合意」再交渉を求める姿勢に対し、朝日、東京両新聞が社説で批判したことにはただただ呆れ返るばかりです。もはや歴史問題には常に現政権の意志が反映される世の中です。あるいは政権の歴史観に批判的であってもこのような”目眩まし”には思考停止になる...東京新聞はユネスコの南京大虐殺世界記憶遺産認定について、中国の政治利用だの歴史的検証が済んでいないだのまるでスガみたいなこと言っていましたっけ。厳然としてある歴史の真実に対し、頬被りをする。ヘイトや沖縄問題に関しては特集記事で頑張っている東京新聞でもこれです。悪意が勢いを増し、市民は無自覚に取り込まれていく。関東大震災時の朝鮮人虐殺については過小報告であれ軍、警察、行政などの公的文書が比較的存在し、研究書や証言集の出版など多くあるにもかかわらず、これすらも無きものにしようとアベとその仲間たちは「美しい日本の歴史」を造っていくのでしょう。都議選自民敗北などと浮かれているけど四期もイシハラを当選させてきた都民は、コイケの歴史観、国家観、それに基づく教育改革の意志などアベと気脈を通じる側面など一切問題にしていません。そして迎えるオリンピック。憲法改定。東京オリンピック開催が決まったと知った朝の憤激と絶望と焦燥は忘れられません。なんかもう足もとから崩れていく様だった、これですべて、すべて最短で悪い方へ行くと確信しました。...ここまで書いて、何か真っ暗な絶望が渦巻いているだけのような未来しかないみたいですね。『九月、東京の路上で』を読んで、この野蛮は「南京」に通じ、そして今に通じていると思い、それでも僅かでもその時朝鮮人を命がけで守った人々、声を上げて市民や警察などの蛮行を批判した人々がいた事、今それを我が事として受け止め記そうとした人がいる事に勇気づけられました。慰安婦問題が注目され出した頃当時読んでいた朝日新聞に、かつて記者である彼が取材した、施設で暮らす日本人の元従軍慰安婦のおばあさんから、「慰安婦の記事やテレビをうれしく見ています...」というたどたどしい文字で書かれたはがきを貰ったという記事が載っていました。嬉しく思っているおばあさんの気持ちが伝わり私も嬉しくてよく覚えているのです。あの記事を書いたひとは、今地に堕ちる所まで落ちた朝日にどんな思いでいるでしょう。あの頃。沈黙し続けていた元慰安婦たちが、誰にも言えず封印してきた自分の過去を語り始め、次々と名乗りをあげていった90年代初め、やっと日本人自らが日本の加害責任について問う空気が生まれていたように思います。絶対にそれを許さない人達がいた。どろどろとした、真っ黒な情念を抱いた人達。それが今の政権中枢にいる人間とその仲間、潤沢な資金で彼らを支える人間たちであるわけです。義母が入所する施設の認知病棟で、私に側に座るように何度もいうおばあさんに、90才位の別のおばあさんが『ほっとき!(あれは)チョウセン!』と顎でしゃくって言い放ちました。ただ相手を罵倒する言葉として「チョウセン」を使う世代であるのでしょう。今、ヘイトの中心にいる人たちというのは戦後教育で育っている訳ですが、その世代においても中国・韓国・朝鮮人蔑視、とりわけ植民地支配をしていた朝鮮半島出身者に対する日本人の差別意識は脈々と受け継がれているのです。辺見さんが元慰安婦のハルモニと再会した時、あなた達から聞いた話を若い人たちに僕は全部話すよ、これからもずっと話し続けて行くよ、と言っていました。別の人との対談では講演したある中学校(高校だったか)のクラス全員から感想を記した手紙を受け取った事を話していました。学校教育が全てではないけれど、人を作っていく大切な要素であることは確かです。小学校に『はだしのげん』があるうちは何とか大丈夫と思っていました。”敵”は読まずに気づかずにいてくれと。(ちなみに三男が小学校を卒業したのは2009年です。)クレームが来るのはおそらく皇軍兵士の残虐行為の描写であろうと思っていました。嫌な予感は的中し、その後かの問題が大きく報道されましたが(最初被爆の描写が残酷過ぎるなどと撤去の理由が説明されていました)、その頃までには先生が日本の加害行為を教えるプリントをクラスで配りでもしたら保護者が偏向教育と学校に抗議し、校長が謝罪するような空気は出来上がっていた訳で、今に至っては、恐らく小学校の図書室から『はだしのげん』は消えつつあるのではないでしょうか。確認していないので分かりませんが。これから政権は教育改革に更に本腰を入れて来るでしょう。それはほとんど暴力的と言ってもいいレベルのものになるでしょう。このような時代に育つ子供達のことを考えると暗澹たる気持ちになります。何か言葉にしようとしても、言葉を発するずっと手前で疲弊し放棄してしまいたくなる自分がいます。ヘイトスピーチにどのように抗していったらいいのか。もっと明確で強力な執行力のある法律の制定を待つしかないと思うのですが。ヨン様ブームや韓流人気が続いていた頃、来日していた彼の人気ぶりを話題にしたワイドショーで、5,6人の男性出演者達全員が同じようなひきつり笑いで顔面を歪ませて、「おばさんが好き」「おばさんに媚びている」「おばさんに人気」とひたすら「おばさん」を連呼し揶揄していたのを見た時、これが傲れる日本の男の異様でグロテスクな実体なのだと実感しましたが、それから程なくして意趣返しのように嫌韓本が本屋に平積みされるようになったと記憶しています。日本人の私は、在日の方々が受けた苦難を本当の意味で理解することなど到底出来ません。心ない言葉、不用意に発せられた言葉に今までどれ程傷付けられてこられたか。そして今またヘイトの脅威に晒され、ヘイトを煽動する人たちと繋がっているかのような現政権の牛耳る世の中にあって、どれ程悲しく悔しい思いをされていることか。時々日本人であることが本当に恥ずかしくなります。申し訳ない気持ちで一杯です。私は市民運動と関わった事はないし(シールズとかほんと嫌いです。)、何か特別に勉強したこともありませんが、今のこの日常が異常であることはわかります。ゴシップと美談、オリンピックと北朝鮮の脅威に隠されて、着々とファシズムが醸成されています。それでも。かつてもっと苦しく厳しい状況下で権力に不服従を貫き通した人がいた事を思い、投げ出してしまってはいけないと、何とか思うようにしています。ごめんなさい。まるで返答になっていませんね。思いを同じくする人間がいるということをお伝えしたくて書かせて頂きました。私事ですが私はPCがまるで苦手でアカウントの作成とかG-mailとかも分かりません。本日は匿名で失礼させて頂きます。もう少し分かるようになったらフォロワーになりたいと思います。読んで頂き有り難うございました。

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