2017年7月2日日曜日

7月17日の集会についての呼びかけー 渡辺信夫からの個人的なお願い

渡辺信夫先生からメールをいただきました。

7月17日に川崎、桜本に講演に行きます。まだ元気ですから最終講演とは言いませんが、渾身の講演のつもりです。」渡辺さんは日本の教会の戦争責任を最も強く主張された90歳を超えられた牧師で、そのため日本基督教団を脱退され、新たに「日本キリスト教会東京告白教会を形成された」(wikipediaより)方です。自らの戦争体験を通して、キリスト者としての社会責任をまっとうすべく川崎の地で講演されることを決意されたのだと思います。

私たちが原発メーカー訴訟を決意した時、誰も代表(会長)になってくださる方がおられず途方にくれていたのですが、渡辺さんは快く引き受けてくださり、死ぬまで会長の使命をまっとうしたいとおっしゃいました。

その渡辺さんが、「格差社会に抗って」という副題の下、「全ての者の上におられるキリスト――宗教改革500年 キリストの栄光の輝きのもとで、被造物なる人間の使命と尊厳が現われ出る」という主題で川崎の地で講演を決意なさったのは並々ならぬ覚悟ではないかと思い、ここに紹介させていただきます。

川崎は日立闘争を勝利し、地域活動の中で民族差別と闘い、個別の差別をなくすだけでなく、行政の国籍条項をなくしたところです。在特会のヘイトスピーチを市民の力で粉砕したところでもあります。しかし川崎市は外国人の地方公務員の門戸を開放した最初の政令都市なのですが、その実現のために、国の見解である「当然の法理」(「公権力の行使」と「公の意思形成」ということで外国人を排除する政府見解)を遵守するという苦渋の選択をしたのです。そのため、採用した外国人公務員には課長以上の管理職、市民に命令する職務には就かせないことを制度化しました。それは「川崎方式」として「多文化共生」のキャンペーンとともに全国に伝播し、今では全国の地方自治体のモデルとなっています。私たちは、これは植民地主義の残滓であり、差別の制度化、差別の構造化の典型的な例であると考えています。次の課題は、全国に先駆けて「川崎方式」をなくし、「当然の法理」を粉砕することです。

ヘイトスピーチは日本政府が北朝鮮を敵対視し続ける限りさらに広まると懸念されます。小池東京都知事もまた、外国人の参政権に反対し、韓国政府と舛添前都知事の約束を破棄して韓国系の学校の敷地を白紙にした人物です。日本の右傾化はさらに拡がるでしょう。安倍首相と在特会は戦後日本が産んだ、過去を清算しなかった結果現れた必然的なものです。
差別の根は深いのです。日本の戦後は「平和と民主主義」の世であったのか、現在日本社会を根底的に変革するのはどうすればいいのか、このことについて、渡辺さんは力の限り、ご自分の信仰を通して、人としての生き方について語られると思います。7月17日、川崎での渡辺牧師の講演においでください。   崔 勝久



7月17日の集会についての呼びかけ
ー渡辺信夫からの個人的なお願い

2017717日、信州夏期宣教講座のエクステンションが川崎市桜本の在日大韓教会で開催されます。すでに宣伝が出回っていますが、重複を厭わず、私、渡辺信夫本人からも呼び掛けをさせて頂きます。
全ての者の上におられるキリスト――宗教改革500
キリストの栄光の輝きのもとで、被造物なる人間の使命と尊厳が現われ出る

――格差社会に抗って……

信州夏期宣教講座は長年、私にとって、この時代の中でキリストの福音に仕え、また教会に仕えて行く働きの動力を頂く源流というべき意味を持っているものでした。一昨年夏、長期の患いのため参加を許されず、この講座から源泉を汲むことは終わったと感じたのです。だが、主は私に回復の力を与えて下さったので、働きを再開し、昨年夏には夏期宣教講座に参加させて頂きました。

そして昨年の末、次年度の講座本体と付帯するエクステンションの計画を立てる時、我ながら厚かましいのではないかと躊躇しつつ、エクステンションでの宗教改革500年の講演を願い出ました。すでに高齢の域を越え、まだ生きていたのかと笑い話にされている人間ですが、多くのものを多くの方から受けて、お返しもせずに世を去って行くのは申し訳ないのです。

宗教改革500年記念を契機に停滞した世界のキリスト教会を活性化させようとする企ては10年以上前から各地で進められていて、アジア地区ではカルヴァン学会の会長職を継いで頂いた安牧師が、500年記念の諸行事の準備を取り仕切っておられ、私には強い協力要請が求められたのですが、自分の年齢を考えれば、2017年にまだ生存しているとは思えなかったので、関わることを固辞するのが当然だと考えました。だが、人間が考えてこうすべきだと決めても、主の決定はその枠に嵌りません。私は一旦枠の外に出たのに、まだ生きていたから入れてくれ、と願っているような、滑稽な姿を取っているわけです。

夏期宣教講座の同人の皆さんはこの夏のエクステンションの実施細目を決める協力者として、長年の同志、登家牧師を選びました。全体の主題、講演題、集会の場所、それらは二人で決めました。宗教改革500年を謳う催しはいろいろな教会、教派、グループでなされ、それらはそれぞれ意味のある催しであると思いますが、私たちの掲げるテーマのユニークさに着目して頂ければ幸いです。敢えて呼び掛けを致しました。






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