2016年12月2日金曜日

明治大学の「ヒューマンライブラリ」での発題ー朴鐘碩

HUMAN LIBRARY 明治大学中野キャンパス 20161127】  朴 鐘碩

11:30~始まったHuman Libraryは、参加者(読者)と本(マイノリティ・当事者34)との対話時間30分という制限があります。1700まで7回実施し、合計210分当事者が話しますが、30分毎に15分の休憩があります。

昨年は、10名弱でしたが、今回19(23/)の読者が、私を指名してくれました。高校生、大学生、明治大学生のご両親、企業エンジニア、年配の方々などに30分以内で46年間の日立での生活体験を凝縮して話さなければなりません。読者の感想に書かれていますが、毎回制限時間を超えてしまい、休憩時間は十分取れませんでした。

上記のレジメは、準備しましたが、日立闘争、続「日立闘争」、原発メ-カ訴訟、当然の法理について概要を話すしかありませんでしたが、真剣な眼差しで清聴していただきました。読者から以下のような質問が出ました。詳細は、「日本における多文化共生とは何か」「戦後史再考」「在日二世の記憶」を購読していただくようにお願いし、最後は、46年間の締め括りとして日立製作所会長、社長、日立労組委員長に提出した「日立製作所を離れるにあたって」をNetに公開していることを説明しました。

●横浜市内から参加した私立高校2年生の女子2名から
政治・経済の教師が授業で「日立就職差別裁判」を学んだ。裁判で勝利し、日立に入った後、朴さんがどうなったのか?教えてくれなかったので、知りたい。
3冊で書いた内容、日立での職場状況を説明する。」

46年前の日立と現在の日立で何か変わったのか。
「何も変わっていない。職場集会はなくなった。余計、酷くなっている。相変わらずモノが言えない状況である。」

●朴さんの後に入った在日はいるのか。その人たちとの関係というか、交流はあるのか。
「在日はいるが、関係も交流もない。仕事の話はするが、人権・差別問題を話すことはない。私から話しかけても後輩は避ける。私がモノを言うと同僚も私を避ける。後輩は「日立闘争のお陰で門戸は開かれた」と言うが、それ以上話そうとしない。」

●企業は、グローバル化を強調し、多くの外国籍労働者が働いていると思うが、実態はどうなのか。
「外国籍、日本籍関係なく、職場でモノが言えない状況は同じ。企業は、効率・収益につながる個性を持つ学生をリクルートする。人間性を求めず、モノ言わず、黙々と働く青年を採用する。」

●「共生」という言葉があるが、差別・偏見は以前よりなくなっているのではないか。
「内閣法制局の単なる見解である「当然の法理」によって、外国籍住民を2級市民扱いしている。未だに植民地政策は続いている」

●日立闘争勝利は、その後の企業、行政など様々な門戸を拡大する契機となったが、いまだに差別があるのか。
「全国の自治体は、採用した外国籍公務員を「当然の法理」で行政中枢部の職務、管理職への道を閉じ、正式教員として採用されず、教頭、校長などの管理職への道も閉じている。消防職にも就けない。街頭でヘイトスピーチが横行している。」

●朴さんにとってアイデンティティとは何か。
「差別・抑圧を作り出している要因と具体的に対峙すること。国籍・民族関係なくあらゆる人が人間らしく生きることができる、開かれた組織・地域・社会実現に向けて足元で努力することです。」

●職場でモノをいう、そのようなパワーというかエネルギ-がどこから生まれるのか。
「どこから出てくるのか、私もわかりません()。」


【感想】
●朴さん、30分という時間があっという間でした。もっと色々なお話を伺いたかったですし、伺ってみたいこともありました。ネットも検索してみますね。今まで大変だったと思いますが、朴さんのパワーをとても感じました。これからもお身体に気を付けて、お元気で。ありがとうございました。

30分で短いと感じました。ありがとうございました。退職してからやりたいことを伺い忘れました。

●貴重なお話しありがとうございました。現在、私自身が差別や偏見、日韓関係について調べているので、朴さんのお話しは、非常に共感できました。既存の体制を批判できる朴さんの強い姿勢に心打たれました。これからも活動頑張って下さい。

●朴さんの強さと明るさに圧倒されました。22歳の時から今日まで本当にお疲れ様でした。「これしかない」という気持ち、大切なんだと思いました。

●朴さんへ 長い間たくさんの困難に立ち向かってこられたその勇気と努力に感動しました。全ての人が住みやすい日本になることを願っています。

●お話を伺って、モノが言えない日本社会の打破の難しさを感じました。多くの人が企業に入り、生活をしていることを考えると、私もいずれ企業という組織に入らなければならなくなるのかなと思い、そうして企業に都合の良い人にならずに自分を持っていけたらとも思いました。上からの命令に黙って従っていた方が確かに楽ですが、それでは無意識のうちに間違ったことをしてしまうのだと思いました。何よりも自分の頭で考えることを忘れないでいたいと思います。本日はありがとうございました。

●パクさん ありがとうございました!貴重なお話、ありがとうございました。パクさんを突き動かす原動力は何なのか、今度伺いたいです。

●朴さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!朴さんがあらゆる壁をのりこえてきたことは、朴さん自身のお力故だとは思いますが、私も良い意味での「開き直り」ができる人間になりたいと思いました。ありがとうございました。

●朴さんへ 10月の懇親会であまりお話しできなくてごめんなさい。ゼミの報告書で朴さんのこと知り、朴さんのブログの記事を読んで、正義感があって勇気のある人だと思いました。これがHuman Libraryに本として参加してほしいと思ったきっかけです。Human Libraryに参加して下さってありがとうございました!

●事実その物を知らなかったので、蒙を啓かれました。関係書も是非読んで見たいと思います。有難うございました。

●いろいろ考えさせられました。日本や世界がなんとかよりよい方向に進めるとよいと思っています。今後のご活躍に期待しております。ありがとうございました。

●大変参考になり、考えさせられるお話を堅苦しくなく、むしろ楽しく聞かせて頂きました。お話の通りだと思います。日本が変わる事を期待します。

●外国人が物を言えない世の中なら日本人も物が言えないという言葉が印象に残った。朴さんが入社した時よりも現在の方が物が言えないとの事、これは問題だと感じました。

●朴様 今日はありがとうございました。企業や行政との関係を切り開く「こころいき」を学ばせていただきました。
●貴重なお話をどうもありがとうございました。19歳で、日立製作所に入れなかった、その時の「何故だ」という思いをそのままにせず、裁判を起こし、向かっていき、勝訴した後は、仕事を立派に勤めあげ、その後、内部の矛盾をそのままにせず戦ってきた、その言葉にとても感動しました。ご本読ませていただきたいと思います。

●朴さん 最後の回でお話を聴かせて頂いたAです。私の近い知り合いの中に在日2世であることをとても気にされている方がいるので、その方にもぜひ朴さんのような人がいるんだと教えたいなと思いました。きっと勇気をもらえるのではないかと思います。

●朴さま 「ものが言える職場にしよう」その通りだと思います!46年のお勤め、心よりお疲れ様でした!そしてこれからも社会の中で「ものがいえる」にはどうしたらよいか発信をお願いします。ありがとうございました。

●朴鐘碩さん 46年間の闘いを凝縮したような30分間で、あっという間でした。現状についてはのお話は残念な気持ちで伺いましたが、いつか実ると信じています。

●本日は貴重なお話をありがとうございました。日本の企業は最近よく、グローバル化によって様々な国籍の方が働いているという話を聞いていましたが、現状はそんなに変化しておらず、窮屈なままだ、ということに驚きました。学校の中でもたまに自分の意見を言えないようなときがあるのに、社会にでてもさらにそういうときがあるのは残念ですが、私たちの世代でそういう空気を打破したいと思います。

●本当に実になったレクチャーでした!

横田先生、明治大学Staffの皆さんお疲れ様でした。 朴鐘碩




略歴
1951年、愛知県西尾市で9人兄姉の末っ子として出生
県立碧南高校卒業後、日本名で日立製作所受験、合格 国籍を理由に採用取消
197012月横浜地裁提訴 日立就職差別裁判闘争始まる 
民族組織は、「裁判は同化に繋がる」と批判。
1974619日 完全勝利判決 9月コンピュ-タソフトウエア員として日立に入社
入社5年後、胃潰瘍で1ヶ月入院。職場集会で日立製作所労働組合批判。
1995年、勤続25年記念論文会社/組合に提出 事業所は国旗、国歌中止。
「戦後50年日韓交流への提言」論文 朝日新聞・東亜日報に応募(朝日1995.7.31)
「当然の法理・共生体制」批判 (民族)差別と労働者の問題 ものが言えない(企業)社会
20002010年 ソフト執行部委員長に立候補-敗北。2000年~評議員に立候補-敗北。
公正な選挙、組合費の使途、春闘/一時金闘争など問題点を提起
日立製作所労働組合への公開質問状 開かれた経営、組合組織を求める。
「企業内植民地」批判 201111月定年退職 12月から日立製作所で嘱託として勤務。
戦後の原発体制と日立の植民地的経営  2011311原発事故
日立製作所 会長・社長に原発事業からの撤退、原発海外輸出中止を求める。
証拠説明書 戊第14号証「原発メ--訴訟の会・本人訴訟団」http://www.nonukes-maker.com/
「原発メ--訴訟の会」 http://maker-sosho.main.jp/
「日立製作所を離れるにあたって」2016117
「職場での挨拶」20161116

日立製作所を離れる20161130

参考資料
「日立闘争後から原発メーカー訴訟までの軌跡」雑誌「航路」2016125

「在日二世の記憶」集英社新書20161122日 日立闘争後の「続日立闘争」

「職場での挨拶」20161116

「日立製作所を離れるにあたって」2016117

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」-コミュニケ-ション-掲示板

「原発メ--訴訟の会・本人訴訟団」
「原発メ--訴訟の会・本人訴訟団」証拠説明書 戊第14号証 20151028

「アリラン通信NO.54」反原発運動にかかわる 20155
「戦後史再考」共著 平凡社 201410
No Nukes Asia Forum 2014 in Taiwanに参加して 20141013
「原発体制から「見えない」植民地主義と排外主義の考察」2014716
「日立資本の城下町・茨城県日立市で反原発をアピ-ル」2014311
1970年「日立就職差別闘争」からの問題提起~歴史科学講座 一橋大学201421
「外国籍職員の任用に関する運用規程」-外国籍職員のいきいき人事をめざして- 川崎市
横浜国立大学での講義 2013719
「原発事故と日立就職差別糾弾闘争」考察 201375
「植民地主義の時代を生きて」(西川長夫)を読んで(1) (2) 2013616,21
川崎市長への抗議文 201331
日立製作所(会長・社長)への要望書 201363  20121017
()日立闘争・在日としての経験・現代の日本社会」 2012815
「原子力を世界に」求める日立 201271
日立製作所(会長・社長)への抗議文 2012619
「日本における多文化共生とは何か」共著 新曜社 20087
「耕論オピニオン 冷や飯を食う」2012512日朝日新聞
「窓 論説委員室から ある会社員の定年」20111228日朝日新聞
「勤続25年」1996127日朝日新聞
日立製作所労働組合・統制委員会への公開書簡 200662
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_111.htm
日高六郎理事長 高橋幸吉事務局長への抗議文 
社団法人 神奈川人権センタ-を糾弾する 19971
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_140.htm
にゅうす・らうんじ「在日」の壁乗り越えて1990528日朝日新聞
「民族差別-日立就職差別糾弾」亜紀書房 1974
民族的自覚への道-日立就職差別裁判上申書(生い立ち) 1974
日立就職差別裁判 横浜地方裁判所判決 1974619

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