2016年7月16日土曜日

東京地裁の原発メーカー訴訟判決の正確かつ詳細な報告ー判決の本質的な問題点の解明

7月13日の東京地裁の判決内容に関して、核新聞報道及び弁護団の判決要旨もいずれも正確に伝えていません。そこで175頁(内、判決文は34頁)の内容を正確にかつ詳細に報告いたします。
判決の最大の問題点は何か、明らかにします。なお注は原発メーカー訴訟の会・本人訴訟団の事務局長(崔勝久)が記したものです。

 
 

 判決の報道が正確に伝えていない内容は大きく以下の通りです。
1 判決は、原告弁護団に訴訟代理人を依頼している原告ら(「只野ら」)と、弁護団を解任した40名の本人訴訟団(「選定者ら」、「選定当事者ら」)両者に対してそれぞれ別々に下されている点、
2 判決は両者共通の原発メーカーに対する賠償責任の主張を却下しているが、その理由は異なっている点、
3 判決は、弁護団の主張―原賠法はノー・ニュークス権に基づいた違憲であること、及び原告が東電に代わり(「債権者代位権」)賠償金を請求すること―に対して法的根拠をあげて却下した点、
4 判決は、本人訴訟団(「選定当事者ら」)が主張した準備書面に被告は答えず、裁判所も判決の中で一切、触れていないが、その点にこそ、原発メーカー訴訟の真の意義があることが理解されていない点、すなわち、①原発製造・輸出そのものが違憲(「立法事実変遷論」によって、福島事故を目撃して立法の拠って立つ過酷な事実が可視化されてきた。従って原子力基本法、原賠法など原発を前提にした法は違憲、原発が潜在的核兵器として「安全保障に資する」とされ憲法の前文の精神に反する)、②原発製造・輸出に関するビジネス契約は公助良俗違反で無効、③原発事故によって精神的損害を被った原告に原発メーカーは賠償責任がある、という主張内容、
5 判決は、本人訴訟団が原発事故と精神的損害の関係を事故によって生起した事実に基づくもの(「事実的因果関係」)として賠償金を請求した為、裁判所は政府の設定する基準に基づく「相当因果関係」を絶対化する立場をとり、本人訴訟団の主張は「独自の見解であって採用することはできない。」と根拠を示さず却下した点、

 同じ原告であっても弁護団と本人訴訟団は異なった主張をしていることをしっかりと理解していただきたいと思います。両者共通するのは原賠法を違憲とし、損害賠償は製造物責任法3条と共同不法行為(民法709 719条)を根拠にしている点です。裁判所は原賠法を合憲として両者の主張を却下しました。

 
 
弁護団と本人訴訟団の最大の相違点は、弁護団が原発の違憲性を問わず、法律論(理屈)で、原発事故を起こしたのにメーカーの責任を問わない原賠法の違憲性と、賠償金の請求の根拠を東電が無資力であるために原告に債権者代位権があることを主張したのに対して、本人訴訟団はまず正面から①原発製造・輸出そのものが違憲(「立法事実変遷論」によって、福島事故を目撃して立法の拠って立つ過酷な事実が可視化されてきた。従って原子力基本法、原賠法など原発を前提にした法は違憲、原発が潜在的核兵器として「安全保障に資する」とされ憲法の前文の精神に反する)、②原発製造・輸出に関するビジネス契約は公助良俗違反で無効、③原発事故によって精神的損害を被った原告に原発メーカーは賠償責任がある、と主張した点です。この点に関しては被告はもちろん、裁判所も一切何も答えていません。

 
従って今回の判決は、弁護団が原賠法の違憲性を主張して賠償請求をしたのに対して、裁判所は法理論で応え退けました(法律専門家同士の法理論による応酬です)。しかし、本人訴訟団が、精神的損害は原発事故によって生起した様々な事実によって起こったと主張し損害賠償を求めたことに対しては「相当因果関係」を掲げただ、却下するとしか言えなかったのです。

 それを認めると全世界の精神的損害を訴える人への賠償をしなければならないからです。すなわち、事故を起こすと賠償できないほどの過酷事故であることを裁判所は承知していて、日本政府の作った恣意的な放射能汚染の基準が問題視されることを忌避したということなのです。この基準こそ、福島の被災者を分断し、帰郷を促す根拠になっているものです。しかし原発事故の被害は国境を越え、全世界に広がっているのです。これが今回明らかにされた、判決の最大の問題点です。


判決の件ですが、裁判所はこちらが訴状、及び準備書面で主張したこと対して判断します。そういう意味では、東京地裁は、本人訴訟団、原告弁護団の主張に対する彼らなりの判断を示したということになります。

弁護団の主張は「ノー・ニュークス権」をなんらかのかたちで認めさせようという動機で書かれており、そもそも原告4000人の5分類(原発事故地域からの距離に応じて福島から海外まで原告は分類されている)と、被告が主張する、原発事故と精神的損害の関係を示す「相当因果関係」についての議論を避けています。

原告の原賠法違憲と無資産の東電に代わる原告の「債権者代位権」を謳う議論は所詮、法律専門家の屁理屈の応酬であり、原告弁護団の主張には敗訴前提でせめて自分達が命名したノー・ニュークス権の幾ばくかの承認があればという、売名行為的な弁護士の隠された動機が見えます。

福島の一定の汚染地区内での精神的損害を東電は認め賠償しているのですから、判決が認めた「相当因果関係」の絶対化は、原発体制側が勝手に設定した基準(線引き)が正統(正当)であることの宣言になります。弁護団は、精神的損害を請求するのに、基準外の人も原告になれるという主張の根拠を示していないという根本的な問題を抱えていました。弁護団は敢えてこの問題に触れずにいたのです。ですから、判決も弁護団もこの点について直接ふれることはしませんが、曖昧ですが、「その余の点(争点3ないし5)について判断するまでもなく理由がない。」(31頁)という形で間接的に意見を述べています。

今回の判決の最大の問題は、精神的損害を訴えることができるのは、政府が設定した範囲内の人であること、それを「相当因果関係」しか認めない(その理由は述べないで)という言い方で断定したことです。

この一定の基準こそ、世界的な原発体制が自己保存のために作ったもので、本人訴訟団の主張はその基準に対する挑戦なのです。東京地裁は私たち本人訴訟団の控訴を認めない可能性があります。

それは原告弁護団が原発の製造そのものを否定せず、原賠法という法律の違法性だけを問い、また東電は無資力(?)なので、原発メーカーが「故意」に事故を起こした責任を「求償」するということで原告が東電に代わって賠償金を請求することは、法律家同士の法理論の応酬で終わります。そんなものは原発メーカーにとっては痛くも痒くもないのですが、本人訴訟団は原発体制が定めた放射能汚染の基準そのものの正統性を問うので、高裁は本人訴訟団の控訴を認めない可能性があるのです。

新聞報道は判決文をまともに読んでいないということです。このようにして反原発運動の実態が空洞化されていくのです。
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平成28年7月13日判決の内容について
判決の構成
主文

事実及び理由
第1 請求の趣旨
[原告只野ら]
1 被告らは、原告只野らそれぞれに対し、連帯して、100円を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
[選定当事者ら]
1 被告らは、原告只野らそれぞれに対し、連帯して、選定者らのために、選定者1人当たり100万円及びこれに対する平成27年4月9日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言

第2事実関係
 1 事案の概案
「本件は、原告只野ら及び選定当事者らが、平成23年3月11日の東北地方太平洋地震を契機として発生した東京電力株式会社の福島第一原子力発電所における事故及びその報道によって原告只野ら及び選定者らが精神的苦痛を被ったと主張して、本件原発事故を起こした原子炉を製造した被告らに対し、
    原告只野らは、・・・損害賠償請求権として100円の連帯支払いを求める
    選定当事者らは、・・・損害賠償請求権として100万円の連帯支払いを求める
事案である。
(注1 この裁判は原告弁護団(只野らの法定代理人)と本人訴訟団(原告弁護団を解任して原告弁護団とは委任関係のない40名の「選定者」)によって組織された)のいずれもが、原発メーカーに対してその根拠が異なるものの、精神的損害賠償を求めた訴訟であることを確認する必要がある。)
(注2 原告弁護団、本人訴訟団に共通する精神的損害賠償を求める法的根拠は、製造物責任法3条若しくは共同不法行為(民法709条、719条)であり、異なる点は、賠償金の金額と、原告弁護団が原賠法の「求償権」と東電は「無資産」であるための「代位行使」を主張している点である。)

 2 基本的事実(争いのない事実及び国会事故報告調報告書により認められる事実)

 3 争点及びこれに関する当事者の主張
(1)  争点の概要 
(2)  原賠法の責任集中制度の違憲性[争点1]
(3)  「原子力損害」該当性[争点2]
 (4)  製造物責任法に基づく損害賠償請求権の成否[争点3]

「本件各原子炉に用いられている格納容器(マーク1型)には特有の構造上の欠陥があることが認められ、これらの事実に照らしても、本件各原子炉は、通常有すべき安全性を欠くものであった。」
   
(注 原告弁護団は「本件各原子炉は、通常有すべき安全性を欠くものであった。」としてそのために、「本件事故により大気中に大量の放射性物質が拡散し」し、「避難住民や福島第一原発近郊の住民は、放射線被ばくの恐怖をはじめとして多大な精神的苦痛を被っており、日本のそれ以外の地域に居住する者も日本国外に居住する者」も大きく精神的苦痛を被ったと主張する。
 本人訴訟団は、「不安と恐怖」の内容を克明に記し、「平穏生活権」侵害による精神的損害や、精神的損害をもたらした、原発事故によって生起した現象を示したことと、「潜在的核兵器として国家の安全保障政策に組み込」まれていることにも触れている。)


(5)  共同不法行為に基づく損害賠償請求権の成否[争点4]
(6)  消滅時効の成否[争点5]
(注 東芝は製造物責任法の時効の成立を主張し、それに対して本人訴訟団(選定当事者)は、「本件原発事故による被害は継続的で、将来的に発生する「晩発製損害」にあたるから、本件においては、被害の全体が明確化するまでは消滅時効は成立しない。」と「争う。」姿勢をしめしたが、「当裁判所の判断」として、「判断するまでもなく理由がない。」と、東芝の製造物責任法の時効にこの件が当たるのかどうかの判断理由の開示することを避けた。
(7)  被告らが原賠法の責任集中制度による免責を責任することの権利濫用該当性[争点6] 
(8)  債権者代位権の行使が認められるのか[争点7]
(注 東電が無資力かどうかの判断が、実は原告が損害賠償金を請求できるのかどうかを決定することになり、毎年莫大な利益をあげ、債務超過に陥る恐れもないのに、原告弁護団が請求する総額41万円が払えないというのかと被告は反論する。)

第3 当裁判所の判断
 1 争点1(原賠法の責任集中制度の違憲性)について
  (1)原賠法が原子力事業者の損害を賠償する一方、製造物責任法の排除でメーカー責任を
   問わないことついて以下、検討する。
ア ノー・ニュークス権(原子力の恐怖から免れて生きる権利)
原告弁護団が一番力を入れていた主張で、その一定の評価を期待していた論点だが、判決は、
「人格権及び環境権として憲法上保障されている人権から、直ちに、原告只野らが主張するような、原子炉を製造した者に対して直接完全な損害賠償を請求する権利が発生するものと解することはできない。」とした。憲法で保障されたノー・ニュークス権に基づく原賠法の無効の主張は採用することができないということである。
イ 財産権、ウ 平等権、エ 裁判を受ける権利、
  (2)以上のとおり、・・・原償法の責任集中制度が違憲である旨の原告只野らの主張は理由がない。

 2 争点6(被告らが原賠法の責任集中制度による免責を主張することの権利濫用該当性)について        

3 争点2(「原子力損害」該当性)について
 選定当事者は、本件原発事故により選定者らが被った精神的損害(欠陥品である本件原子炉に生じさせた本件原発事故によるいわれなき精神的苦痛と失ったものに対する受忍しがたい喪失感、安全神話が嘘で会ったことが判明したことに対する「不安」と「恐怖」、汚染水の流出が止まらず太平洋に流れ出ている現実に対する「不安」と「恐怖」、停線量放射線による内部被ばく問題に対する「不安」と「恐怖」、使用済み核燃料等の放射線廃棄物に対する「不安」と「恐怖」、原子力発電の存在そのものが人類や自然にとって害悪であることについての「不安」と「恐怖」、原子力発電の存在が潜在的核兵器保有として国家の安全保障政策に組み込まれていることについての「不安」と「恐怖」、原子力発電から排出される放射能に対する「不安」と「恐怖」原子力発電を輸出することによって海外では被害を与えるのではないかという「不安」と「恐怖」)は、原賠法にいう「原子力損害」に当たらない旨主張する。
  
 
 5 争点7(債権者代位権の行使)について
 判決は、原告弁護団の主張する東電の無資力を全面的に否定します。東電は平成27年
12月までに合計5兆7千億円を超える支払いをしていること、支援機構が東電に資金交付を継続し今後も援助が行われること、まや東電は4000億円を超す純利益を上げていることなどから、東電が「債務超過に陥る兆候は、現段階では認められない。」「無資力の状態であるとは認めることはできない。」と断定し、原告弁護団の債権者代位権そのものを認めず、訴えを却下した。

 


 

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