2016年5月26日木曜日

河村名古屋市長の南京事件否定発言に対する書簡    ー木村公一

拝啓、中曽根康弘元総理大臣殿、元「慰安婦」への謝罪をー木村公一

http://oklos-che.blogspot.jp/2016/05/blog-post_23.html

木村公一さんが中曽根元総理に送った書簡はご本人の承諾を得て公表したところ、大きな反応がありました。残念ながら、中曽根元総理に当時の「慰安所」を作った動機、当時の状況、現在の心境についてお聞きする機会を作る方法が見当たりません。どうすれば中曽根元総理の生きている間にこの件を明確にすることができるのか、ご意見がおありの方はコメント欄に投稿をお願いします。

今日は、木村さんの公人に謝罪を求めて送られた二番目の書簡をご紹介します。元民主党の国会議員で、現河村名古屋市長に送られたものです。元東京都知事の石原慎太郎もそうでしたが、どうして過去の事実を率直に受け止めず、日本の植民地政策によってアジア諸国に大きな被害を与えたことを直視しないで過去を美化しようとするのでしょうか。植民地支配をした国策に地方自治体は国と一体となっていたのですから、首長において戦争責任に対するしっかりとした見解が求められることは当然です。                    崔 勝久


名古屋市・河村市長の南京事件を否定する発言は、サンフランシスコ講和条約違反である
2012330

河村たかし市長はさる220日、南京市から名古屋市を訪問した公的訪日団に対して、南京事件を否定する発言(「一般的な戦闘行為の結果、大勢の方が亡くなられた」としつつ、「一般市民へのいわゆる虐殺行為はなかった」)をいたしました。この書簡は市長の発言に関する質問・意見書です。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)において日本政府は日本軍が南京において「20万以上」の大虐殺を行ったことを認め戦犯を断罪しました。「ただし、この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体は含まれていない。」と但し書きをつけています。

 その但し書きの部分は、中国・瀋陽の裁判において、日本軍第二停泊場司令部部員太田寿夫(としお)は、自分の部隊が「10万人」を、他の部隊が5万人を、揚子江に投棄・焼却したことを供述書によって証言しています。揚子江に15万人の死体を投棄・消極したのであれば、統計少なくとも35万人の大虐殺が行われたことになります。さらに南京軍事裁判は「30余万人」以上が日本軍によって虐殺されたことを認めています。以上の問題に関する資料は下記にしるしました。

 日本はこれらの裁判の結果を総理大臣吉田茂の名においてサンフランシスコ講和条約11条(1951年)で受諾し、国際社会(西側)に復帰したはずです。したがって、河村市長の発言は明らかな国際法違反です。もしも河村市長が歴史修正主義者として、南京大虐殺を否定するなら、サンフランシスコ条約を廃棄する必要があります。なぜなら、公務員たる市長は国際条約をたがえてはならないからです(憲法99条)。例えば、ある民間機関あるいは個人がサンフランシスコ講和条約の提示した数字に反論したいなら、歴史的資料に基づいて反論することは許されるでしょう。しかるに政府機関は法に従って発言すべき組織なのです。

 したがって、河村市長の発言は明らかな公務員法違反であり、明らかな国際法違反です。名古屋の市民は日本の名誉のためにも彼を裁判所に提訴すべきであると思います。これはイアンフ問題、強制労働問題とならんで、この国の戦後の「国際不良債権」のひとつです。これが、日本が世界の「孤児」と評されるゆえんです。以上。

木村公一(福岡国際キリスト教会牧師)
真崎良幸(福岡在住)

Ø  極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決(1948114日)
「日本軍の占領中最初の六週間の間に南京市内とその近郊で虐殺された民間人と捕虜の総数は20万人を超える。ただし、この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体は含まれていない。」

Ø  ソ連に抑留され撫順の戦犯管理所に拘留された日本軍第二停泊場司令部部員太田寿夫の証言:「第二停泊場司令部は10万の死体を処理(揚子江に投棄)しました。その中で2,100人はまだ生きていました。南京駐在の他の部隊も5万の死体を(揚子江で)処理しました。このうち3万人が中国兵、残りの大部分は老若男女の中国民衆で、子供も含まれていました」 

Ø  サンフランシスコ講和条約 (195198) 第十一条【戦争犯罪】
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷〔南京軍事法廷はその一つ〕の判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」

Ø  南京軍事法廷(1947310日)は次のように判決した

「・・・南京落城後、各攻撃部隊は南京市内の各区に分散し、大規模な虐殺を展開し、日本軍に捕えられた中国の兵士、民間人のうち、中華門、花神廟、石観音、小心橋、掃箒巷、正覚寺、方家山、宝塔橋、下関、草鞋峡などで集団殺戮に遭い死体を焼き払われたものは合計19万人に達する。中華門、下満碼頭、東岳廟、堆草巷、斬龍橋等で個別に虐殺され、死体を慈善団体によって埋葬されたものは合計15万人以上に達する。その犠牲者総数は合計30余万人である」Ω

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