2016年3月14日月曜日

原発メーカー訴訟で主張すべき最も重要なことは何なのか。

(1)原発裁判の根源的な主張は何であるべきか
再稼働を差し止めた福井判決、今回の運転中の原発の停止命令をだした大津判決など、再稼働の流れを止めるすばらしい勇気ある判決でした。しかし注意しなければならない点は、再稼働や運転の中止だけでは、日本の原発輸出は止まりません。その分、日本の原発メーカーは生き残りをかけて、さらに輸出を加速させるでしょう。NPT(核不拡散条約)体制は、核兵器の拡散では基本合意をしても、原発輸出に関してむしろ進める立場です。
東芝、15年間で64基の原発を川崎を中心に製造・輸出する計画
(2015年12月24日、ロイター)
http://oklos-che.blogspot.jp/2016/02/blog-post_24.html



(2)メーカー訴訟・原告弁護団の主張
原告弁護団の訴状も同様で、原発事故に対してメーカーの責任を問いますが、原発そのものの存在は前提にしています。

ですから、訴状は、原賠法は電力会社の「責任集中」原則でメーカーの免責を謳っていることが憲法の基本的人権を損なうので違憲だというのですが、一方、「適用違憲」で原発を前提にする原賠法を根拠にしながら、「故意」「求償」という概念からメーカーへの東電の「求償権」を主張し、その東電が「無資産」だからそれに代わり、原告が精神的損害に対する賠償金を請求できるという論理を展開します。しかし年間4000億円の利益をだし、政府が法律で原発事故に対する賠償金の支援を約束している以上(既に10兆円の金が流れている)、東電の「無資産」の証明はむつかしいでしょう。

(3)私たち、メーカー訴訟を進める本人訴訟団の主張
私たちの主張は、まず最初に、過酷事故を構造的におこす危険性をもつ原発製造のビジネス契約は「公序良俗」違反で無効であると主張し、原発の設計、製造、メンテナンスなどに関わってきたメーカーには、事故に対する結果回避義務違反があり、民法と製造物責任法によって、人々に与えた「不安」と「恐怖」による精神的損害に対して、賠償責任があるということです。

「公序良俗」のような軽い法でメーカーの責任を追及できるのかと批判する人もいますが、「公序良俗」違反とは、憲法の基本原理や人件の侵害にあたる行為のことです。これは原発の製造・輸出そのものが憲法違反であるという主張につながる入口であり、このことの確認の上で、それにもかかわらず原発ベジネスの契約によって造られた原発が過酷事故をおこした、それは民法の「過失」と製造物責任法の「欠陥」によって、原発メーカーは人々に「不安」と「恐怖」によって発生した精神的損害への賠償責任があるという展開になります。

また、日本政府は原子力基本法を改訂し「安全保障に資する」としました。これは原発を潜在的核兵器として利用すると内外に宣言したのも同然ですから原発をもつことは、憲法9条に違反し、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」を謳う憲法の精神に反して違憲なのです。

 原発の製造を前提にする原賠法は、立法目的である「人類の福祉と平和」を支える立法事実が国内外の多くの原発事故の発生や外国の原発禁止憲法の登場等により失われており、また日本国憲法の平和主義や基本的人権尊重主義にも反し、原子力基本法ととともに違憲立法です。ですから私たちはこの法律を根拠にする賠償請求はしません。

私たち本人訴訟団はこれまでの原発裁判の中では触れられなかった、原発そのものの違憲性を正面から主張します。

原発訴訟の根源的な問題提起をした書面を、本日、東京地裁に提出

http://oklos-che.blogspot.jp/2016/03/blog-post_10.html

(3)私たちの責務
原告弁護団を支持する一部の原告は、訴訟の会及び本人訴訟団の非難中傷をし、訴訟の会の集めたお金の凍結と、訴訟の会のお金を要求する何の法的根拠もないのに引渡しを求める裁判の準備を始めました。何のためにメーカー訴訟を始めたのか、この原点に戻り、裁判でメーカーの責任を問い、原発そのものの違憲性を主張するという大義を言い続けることが私たちの責務です。

私たちを非難中傷する者には、いちいち彼らの嘘を暴露したり、彼らと同じレベルでやり合う必要はまったくないでしょう。メーカー訴訟の当事者は原告であること、弁護士は私たちの法的代理人であり、原告の意向に耳を傾けず、対話を拒否するような代理人には辞めてもらい、訴訟の目的を貫徹するという原則を改めて公にしていけばいいのです。

私たちが闘うべきは、差別の上で成り立つ原発体制であり、過酷事故の構造的な危険性を原理的に克服できないにもかかわらず原発の製造と輸出を続けようとするメーカーであり、意見の違いがあるという仲間ではないはずです。私たちはメーカーの責任を求めて立ち上がった同じ原告ではないですか。その仲間と連帯の道を探らず、意見や作風の違いをあげて排除することに熱心なのはなぜなのでしょうか。

私たちが裁判所に提出する準備書面は公的なものであり、その主張を全世界に発信していきます。原発が世界の「人類の福祉と平和」につながらないことを伝えることで国際連帯運動に寄与できることを強く願います。真実はそれを口にする者の数で実現されるのでしょうか。それは結果です。私はどれほど本気でその実現を願うのかということで決まってくると思うのです。

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