2015年8月29日土曜日

メーカー訴訟で弁護団とは違う主張を展開して裁判を進めることの真の意味

インターネット電子掲示板サイト阿修羅で、ロナルド・レーガン号事件の主任弁護士のことが大きく取り上げられています。必見です。私たちは彼らとの連帯を深めていくことを現地で約束しました。
福島被曝による第三の死・脳腫瘍の赤ちゃんが死亡・米海軍レーガン船員は原発外のプルームに襲われた最初の人々
http://www.asyura2.com/15/genpatu43/msg/723.html

メーカー訴訟で弁護団とは違う主張を展開して裁判を進めることの真の意味
メーカー訴訟の第一回目の口頭弁論が昨日、8月28日、東京地裁でもたれました。
すでに東京新聞の社会部の記事として夕刊で報道されていますし、訴訟の会のHPでも簡単に報告されています。http://maker-sosho.main.jp/

私は少し突っ込んで、いかに主体的にこの訴訟に関わるのかという観点から、以下の文書を書きました。ご一読ください。


1.事実関係の論議は法理論の解決の後です。
今日のGE、東芝の弁護団がしきりに法理論のことを強調し、島さんはいや、事実関係も並行してと言っていましたが、事実関係は法理論の問題を解決しないと審理できないでしょう。

ご存知のように、訴状の論理構成は(東電の)責任集中を謳う原賠法が諸悪の根源であるということで、それが憲法違反であるということと、「適応違反」、仮にそうでなくとも、という二段階で成り立っています。残念ながら、原賠法が憲法違反であるということの主張は勝ち目のない戦です。弁護団は、財産権に関する主張を追加したようですが、こちらの言い分を言うという域をでることはできません。

2.勝ち目のない訴状に基づく弁護団の主張
問題は、原賠法が憲法違反でないとしてもという二段階目の論理です。PL法と、民法でメーカーの責任を追及する一番重要なところですが、原賠法が憲法違反でないとしたら、原賠法に書かれているPL法を適用しないと明記されていることをどうクリアするのか、ここが最大の難関でした。島弁護士が一番苦労したところです。ここで島さんが注目したのは、「故意」と電力事業者(東電)が(メーカーに)「求償」できると原賠法に書かれている箇所でした。この点に注目し島弁護士は独自の解釈をしたのです。

論理的には(理屈の面では)可能ですが、この主張の最大の弱点は、東電が「無資産」だという前提です、1200億円の保険、10兆円の政府の支援(これもまた原賠法には、明記されています)も東電の「無資産」の説明にされていますが、これは無理です。そのうえ決定的に無理なのは、東電は黒字であるという事実です。40万円のこちらの賠償請求に東電が払えないというのか、と被告側が嘲笑する所以です。

3.負けを前提に書かれた訴状、どうして?
これらの無理な主張を弁護団はなぜしたのか?原賠法を問題にする限り、それしかなかったのです。これはこの訴訟は負けてもいいということを前提に書かれているということです。負けてもいいから、せめてその判決のところで、弁護団が初めて命名した「No Nukes権(原子力の恐怖から免れて生きる権利)」の意義、せめてこれだけでも言及してほしい、という気持ちで書かれているのです。

訴訟の会副会長の岡田さんの意見は本人がどこまで意識しているのかわかりませんが、実は、この第二段階目の論理には無理があるということ、憲法論で勝負するしかないという結論に落ち着きます。そうなんです。これはいくらこちらに大義名分があるからといって相手を攻めるだけではだめだということを意味します。法廷においてメーカーの責任を追求するには、そのための法理論が必用になります。だからGEと東芝の代理人の、法理論の問題を先に決着つけようという主張に、いや、事実関係も並行してと答えざるをえなかったのです。法理論では完全に勝ち目がなく、早期結審に持ち込まれることはわかっているからです。

4.本人訴訟の意義
私たち本人訴訟団(今日現在、朴事務局長と私だけですが!)は、弁護団を解任する原告と合流して、メーカー責任を追及する裁判にしたいのです。ですから、今日法廷で私が明言したように、裁判長に内外の原告と証人のリストを出します。被告弁護団も驚いて顔を見合わせていましたが、訴状を基にした主張とまったく異なる主張を私たちは展開します。

GEの弁護士(彼が3社の被告代理人の中で一番影響力のある人物と見受けました)が、本人訴訟はこのままいくのですかと私に質問しました。私はとぼけて、分離裁判は裁判所が決めることですからと答えたところ、いや、そういうことではなく、代理人を雇わないのですかと聞いてきました。私は検討していますと応えました。実は彼らにとっても、裁判所にとっても、そして島弁護団にとっても、素人集団の本人訴訟団が勝手なことを言うのが一番嫌なのです。彼らの秩序が保たれなくなるからです。

代理人同士で通じ合う言葉と論理で裁判をするのが楽なのでしょう。しかしそれは彼らの発想、価値観の枠の中で裁判を進めるということを意味します。私たちは、原賠法でメーカー責任を問わなくしいてる「責任集中の原則」が今回の事故の最大原因だという観念論論議を望んでいるのではありません。裁判の中で福島事故におけるメーカーの役割をあぶり出し、その事故の責任がメーカーにもある(当然、日本政府、東電にもあります。ですからその点も私たちの準備書面には書きます)ということをあきらかにさせたいのです。

5.「選定当事者制度」の活用について(民訴法30条)
私たちが打ち出した、「選定当事者制度」の活用によって、弁護団を解任してもしなくとも、私たちの主張に同意するのであれば、「選定者」という(訴訟行為を当事者として遂行できない、そのすべてを「選定当事者」に同士として委ねる「原告」の)立場で、私たちの主張に沿った裁判を続けることが可能になります。そしてそれよりなにより、原告でなくとも、原発メーカー訴訟に関わりメーカーの責任を追求したいという一般の人も「選定者」となって裁判に関わることができるようになるのです! どうもまだこの事の重大な意味を多くの原告は理解されていないようですが、この「選定当事者制度」の活用によって、この運動は大きく広がっていくことになるでしょう。民訴法の改訂にはこのような意図があったのです。今後、広報活動が重要になってくる所以です。

8月25日現在、「選定当事者」の役割を担う原告は7名です。この訴訟の意義、そして何よりも私たちが弁護団とは異なる主張をして裁判をしなければならない真の意味をネットや各グループや集会であきらかにしてくださるでしょう。運動はこれで確実に広がります。

6.最後に、原告のみなさんへ
原告のみなさん、もう一度、原点にもどって考えてください。みなさんは裁判の進め方をすべて弁護士に委ねるのですか、原賠法という法律を巡る観念論だけの裁判に満足するのですか、それとも、メーカーの実態をあぶり出しメーカーの責任を追及する裁判にしたいのですか、そろそろ皆さんご自身が決断しなければならない時期が近づいてきました。ご決断ください。原告を辞めるのか、島弁護団にすべてを任せるのか、私たち本人訴訟団とともに歩みのか。

コメント欄の意見に注目してください。参考になりました、

1 件のコメント:

  1. 白楽正志さんのツイーターでのコメントです。参考にいたします。ありがとうございました。

    米国の法律は、日本と違い、実体法として知られています。具体的な事実(事象)を時系列的に、法的に検討していく。福島第一からのプルームは周辺住民をも襲ったのですから被害が無かったはずはない.。例えば、注水作戦に参加した自衛隊員は十分な補償が受けられているか、その根拠は何か、なども彼らの訴訟戦略や手順を参考にすることで見えてくると思います。これが真の意味の絆ー 国際的な連帯となるでしょう。情報の共有を基にした。製造物責任は東電にも継承されているのか、も吟味する必要があると考えます。

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