2014年8月6日水曜日

在米「原告」有志による呼びかけ文ー全世界の核の廃絶をめざす闘いの突破口を

全世界の核の廃絶をめざす闘いの突破口を
福島原発をつくったメーカー3社(GE、日立、東芝)の責任を追及する裁判を通じて切り開こう
―「原発メーカー訴訟」の在米“原告”有志による“訴訟支援”の呼びかけ―

2011年3月11日の東日本大震災をきっかけにして発生した福島第一原発の核事故は、3年後の現在も日本政府・東電によっては収束させることが出来ず、さらに危機の様相を深めています。この福島発の核災害は、私たちが間違いなく“核戦争と核災害を内に孕んだ世界”に生きていることを全世界に示しました。

核被災現地の惨状を放置したまま、原発=核技術の海外輸出を図る日本の安倍政権
福島第一原発はいまだに毎日2億4千万ベクレルもの放射性廃棄物を噴き出させ、400トンもの地下水と混じりあった高濃度汚染水を密かに海洋に放出しています。東京を含む日本の東半分の地域への放射性廃棄物の撒き散らしにとどまらず、大気、海流を通じた核汚染の全世界への拡散は、やがて世界的規模での人類をはじめとする生物個体の健康異常と、遺伝子の変異を通じた生物界全体の異変をもたらさざるを得ないと思います。

被災現地の現在は、「復興」の掛け声の裏側で、放射能汚染地帯での居住や新たな帰村が強要され、小児甲状腺がんの発症者の激増(89名、2014年3月31日現在))や自殺者の増加、出生率の低下という形で、被災住民の命と健康が目に見える形で蝕まれていっています。東電・政府による避難規制地域ごとに差をつけた「賠償・補償額」裁定や、地元自治体による“被曝を回避する避難者への隠然たる非難”の煽り立てによってコミュニティは分断され、19兆円にのぼる「復興」国費の投入は、1.4兆円の無関係流用が明らかにされるお粗末さで、原発立地によって潤う利権者や効果の不明な「除染」事業を受注した大手ゼネコンなどの「復興」景気を煽るばかりで、住民生活の修復・救済にはつながらないままです。

日本の原発=核発電事業は、「東西(ソ連陣営対米国陣営)」対立の戦後世界で、米国から「ゲンシリョクの平和利用」の大宣伝とともに、核技術=軍事技術の移植であることを隠した形で導入されました。1968年に『日米原子力協定』の締結をもって米国から正式に導入された初めから、“(米国主導の下の)国の安全保障”つまり『日米安全保障条約』という「米国の核の傘」と「駐留米軍と基地」という軍事に関わる国策の重要な部分として位置づけられてきました。そうであったが故に、今回のような巨大核事故によって民間に膨大な人命の損失や土地、財産の損失という事態を招いても “誰も責任を問われず、問わず”となり、検察・司法も刑事責任の追及を「断念」しています。

明らかに核発電は、その技術とプラントを輸出する核兵器保有国側(米国)の影響の下に輸出先の国(日本)を縛り付けて置くための手段として使われてきたのです。同じことを日本政府(あるいは韓国政府)はベトナムやトルコ、リトアニアなどの開発途上国に対してやろうとしています。野田(前民主党政権)・安倍(現自公政権)両政権は、福島原発の原子炉を製造した日本の大手原発メーカー3社を無傷で存続させ、その“事故原因の究明も為されないままの米国起源の核技術(GEのライセンス)”の海外輸出を改めて国策として決定しました。それは台頭しつつあるロシアや中国に対する米国を中心とする西側陣営の軍事的・政治的影響力を打ち固め、拡げるための政策でもあります。

.11福島第一原子力発電所爆発事故から1年3ヵ月後、大飯原発“再稼働”と新『原子力規制委員会』発足で日本中が揺れている最中の2012年6月20日に国会で成立した『原子力規制委員会設置法の付則』で、上位法の『原子力基本法』に「平和の目的に限り」とのみ記されていたのに加えて、「わが国の安全保障に資することを目的に(つまり軍事のためにも)」との文言が民主、自民の保守2党によって入れられました。日本の原発推進政策にべったりと張り付いた“核戦力開発”という野望があからさまにされた瞬間でした。1969年佐藤政権下の『わが国の外交政策大綱』で確認されていた「核兵器については、NPT(核不拡散条約)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないよう配慮する。」以来の、日本の保守政権の“悲願”の公然化でした。

「平和のための原子力」の“絶対安全神話”が東日本大震災によって脆くも崩壊し、“原発は最も安いエネルギー源”なる嘘の広報も暴かれていくなかで、ついには「中国の軍事的膨張」や「北朝鮮の核兵器とミサイルの保持」を理由に挙げた“軍事的必要性”からの“核戦力保持への野望”を日本政府は公然と謳い始めたのです。そしてその野田政権(当時)による“再稼働”と「国の安全保障に資する」との位置づけは、米政権の中枢に通じる『RL・アーミテージ/JF・ナイ第3次米日同盟報告』(2012年夏)で「日本と米国は、国内/国外の安全かつ信頼性の高い民生用原子力を推進する上で共通の政治的、商業的利益を持っている。東京とワシントンは、フクシマからの広範な経験を生かしながら、この分野で同盟関係を活性化し、安全な原子炉の設計と健全な規制業務の普及を世界的に促進することにおいて指導的役割を再び演じる必要がある。」と、子供が頭をなでられるように評価されたのです。この日本政府による原発=核技術の海外輸出が米国政府の主導の下の共同政策である点に、私たち在米において反核を闘おうとする者としては注目しないわけにはいきません。

国境の壁を越えて、39カ国2千名を超える原告を集めた「原発メーカー訴訟」の意義
米国政府によっても尻押しされた安倍政権による“原発再稼動”と“海外輸出”の政策は、フクシマ核災害以降、いつの世論調査によっても「脱原発」派が6割以上という“民意”に反した政策です。今年5月21日に福井地裁が出した『大飯原発再稼動差し止め判決』では、「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを並べて論じる」ことは「法的に許されない」とのきわめて真っ当な司法判断も下されています。日本が民主主義の国なのか、否か、が問われていると思います。

原発による核災害への恐れは、同じくアジアにおける原発密集地域を形作っている韓国、台湾、あるいは中国の住民も直面している問題です。海を越えての核汚染の広がりも現実の恐怖となっています。とりわけ、原発の海外輸出には核災害のリスクを誰が負うのかという問題が不可避に生じます。そのリスクを負わされる輸出先住民の多くは反対しているのです。日本国内で、過疎地にそのリスクを押し付けたように途上国の住民にそのリスクを押し付けることは許されません。ましてその国の権力者が「潜在的核兵器保有国の野望」を持っているとするならなおさらです。こうした現実が国を超えての「反原発・反核」運動の連帯を不可避にしています。NPT体制の下の核の力による世界支配に気づいた人たちによる国境の壁を越えた連帯の闘いが築かれなくてはなりません。『原発メーカー訴訟』の原告に2千名以上の海外からの参加者がいることは国際連帯の実現した姿として意義深いです。

他方で、中国を含む韓国、日本、あるいはロシアの間でのナショナルな競争心を煽り立て、自国の「安全」や「経済」のみを第一義とし、原発=核技術開発の優位を競うという現実も存在します。それこそ安倍政権による日本経済の建て直しの柱として打ち出された、原発プラントの一基が5千億円にもなる海外輸出の政策を大歓迎しているのが日立、東芝、三菱重工などの原発・重電総合メーカーなのです。彼らはいまや米国軍需産業と共同しての戦闘機や戦車などの兵器開発に参入し、これまで「武器輸出3原則」により禁じられていた紛争地域への武器輸出などにも積極的に参加しようとしています(今年の4月1日に閣議決定によって「防衛装備移転3原則」なるものに変えられて可能となった)。戦争やそれへの備えが日本の大企業にとって莫大な収益を上げる時代に突入しているのです。「死の商人」という言葉の復活です。

『原発メーカー訴訟』では、米国からの(もしくは英国からの)原発プラントの輸入に当たって締結された『日米原子力協定』の「この協定(68年)又は旧協定(55年)に基づいて両当事国政府の間で交換され又は移転された情報(設計図及び仕様書を含む)並びに資材、設備及び装置の使用又は応用は、これらを受領する当事国政府の責任においてされるものとし、他方の当事国政府は、その情報が正確であること又は完全であることを保証せず、また、その情報、資材、設備及び装置がいずれか特定の使用又は応用に適合することは保証しない」(第5条)という条文による米国原発メーカーの製造物責任の免責や、この条約の下に日本の国内法として作られた『原賠法』(原子力損害の賠償に関する法律)の4条1項と3項に原発メーカーの免責条項があることを明らかにして、その条約とそれに基づく立法の不当性(憲法違反)を問うていきます。

さらに福島に建設されたGEの「マークⅠ型原子炉」の欠陥が早くから設計に携わった技術者から指摘されていたこと。あるいは1971年の建造以来40年に亘って修理・補修や維持管理に携わってきたメーカーの“未必の故意”の有無や、運行に携わって来た東電による製造・管理メーカーに対する求償請求がまったくなされないのはなぜなのか? など、この大惨事を引き起こした一方の当事者たる原発メーカーの責任を徹底的に追及していきたいと思います。その責任が認められれば、民間企業が原発製造に関わることの莫大なリスクが認知されて、原発事業からの撤退を促すだろうということなのです。

フクシマ核災害に対する米国の核技術専門家、反核・反戦アクティビストからの警告
ミチオ・カク(ニューヨーク市立大、理論物理学教授);水素爆発直後から3基の原子炉メルトダウンを推測。東電上層部の指示に逆らった吉田所長の海水注入を評価。しかし、冷却材としての水の注入の限界を指摘して、ホウ酸と炭素とセメントの大量注入によるチェルノブイリ石棺方式を進言。高速増殖炉による核燃料サイクルは実現の見通しのない中世の錬金術と喝破。日本の現状を「ビルの屋上の縁に片手でぶら下がりながら安全だ!と叫んでいる状態」と評している。

アーニー・ガンダーセン(原発廃止論者、元核発電エンジニア、エネルギー・コンサルティング会社『フェアウィンズ・アソシエーツ』);福島第一原発事故の当初から1、2、3号基のメルトダウンの指摘と、3号基の爆発がたんなる水素爆発ではないことを指摘。4号基使用済み燃料プールの倒壊の恐れを警告し、倒壊したときには北半球全体での避難の必要を訴えている。東電に替えて、世界の英知を集めた事故収束機関の結成を訴えている。アンダーセン氏の運営する動画サイトでは、ホットパーティクル(高放射性粒子)の東京での浮遊を実証し、警告を発信しているケミカル汚染専門家のマルコ・カルトフェン氏を紹介している。

ヘレン・カルデコット(医師、反核・反戦アクティビスト);東京を含む被曝被災地からの住民、特に子供の避難を、2度にわたる訪日講演ツアーなどを通じて訴えている。米国の軍産共同体による政権支配に警告。米国の“国防予算5千億ドル+戦費1千億ドル”という巨額な軍事予算(米国以外の全ての国の軍事予算の総額を上回る)に反対。

ハーベイ・ワッサーマン(環境問題アクティビスト);フクシマでの小児甲状腺がんの爆発的増加の現実などを自ら発行するsolartopia!』で日英両語でレポートしている。
グレゴリー・ヤッコ(原子力規制委員会前委員長);福島苛酷事故発生時に在留米国人に「50マイル以遠」の避難を指示。事故後、オバマ政権下における2箇所の原発新設許可申請に反対して規制委員会内で孤立し(4対1)、委員長を辞任。「ひとたび過酷事故を起こせば、立地地域住民にこれほどの被害を与える原発の現実を真剣に考えなくてはならない(フクシマ被災現地を見て)」と発言。

米谷ふみ子(在米芥川賞作家);自分の戦争体験を語り、米国によるヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の責任を問い、“1945年以来の核への恐怖”を著作で訴え続けている。地元の高校に、ヒロシマや核の悲惨を訴えた映画を持ち込んでの草の根の反戦活動を展開中。『原発メーカー訴訟』の原告であり、呼びかけ人でもある。

米国による広島・長崎への核爆弾の投下と、核に支配された戦後の世界
世界中で軍人・民間人の区別なく6千5百万人(ヨーロッパ4千万人、アジア2千5百万人)もの死者を生み出し、各国とも全産業を挙げての総力戦として6年間に渡って戦われた第2次世界大戦は、米国による広島、長崎への原爆投下によって一瞬にして都市住民20万人の死者を生み出すという、その後の“核による世界支配”を暗示する形で終わりました。

核の力を誇示しつつ大戦を終了させた米国とそれに連なる戦勝国(米・英・仏・ソ・中)は、国際連合の創設や国連憲章で「共同の利益(国連の決議を必要とする)の場合を除くほかは武力を用いないことを原則」とし、「平和に対する脅威の防止及び除去と、侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧のため有効な集団的措置をとること、並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争、又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」「加盟国はいかなる国に対しても武力による威嚇もしくは武力の行使を慎まなければならない。」と宣言することによって再び世界大戦などの起こらぬ仕組みと理念(“戦争放棄”を第9条で明記した日本の戦後憲法にも引き継がれている)を謳いあげました。

しかし、ドイツ、朝鮮の米軍と・ソ連軍による分割占領という戦後処理は、“軍事力を後ろ盾にした「支配」=影響圏の構築合戦”という戦前と変わらぬ世界を再現するものでしかありませんでした。その軍事力の内実が絶対兵器である核兵器であることによって、より一層シリアスな戦後世界を作り出しました。なかでも米国は大量破壊兵器たる核兵器の都市部での使用(=無差別殺戮)という自らの犯した明らかな“戦争犯罪”を反省することなく、さらに核兵器を中心においた軍事力と戦火を浴びなかった経済力を持って核の支配する戦後世界を構築していきます。

米・ソ両陣営の対立が熱い戦争として顕在化した朝鮮半島と、核兵器をめぐる米・ソ間の駆け引き
米国による“核の独占”は、1953年8月のソ連の「水爆」実験の成功によって破られます。その直前まで朝鮮半島で戦われた朝鮮戦争(1950年6.25~53年7.27休戦)は、米・ソ両大国によって作り出された傀儡政権(南に李承晩、北に金日成)と、それぞれを支援した国連軍と中国人民義勇軍の間で、4百万人の死者を出す血みどろの戦争として戦われました。こうした「東西」両陣営間の無慈悲な戦争と、ソ連による核開発の進展を眼前にして、アイゼンハワー34代米国大統領(1953年~1961年)が1953年12月の国連総会演説で打ち出したのが「Atoms for Peace」戦略でした。内容は、①米・ソ両大国による核兵器の保持はそのままに、②米・ソ共同の核管理と、③「平和利用」の名の下での西側陣営への核技術の移植を公約する。というものでした。

絶対兵器としての核兵器のこうした“容認”は、ついには“両国民の核兵器による殲滅を人質に取ること”を意味する「相互確証破壊戦略」なるモンスターを生み、「国家安全保障」の名の下での果てしの無い軍拡競争を不可避にしました。米・ソ両国はもとより、後には競って核兵器保有国となった英、仏、中各国の軍需産業の肥大化をも招きました。ソ連においては、軍拡競争の負担と、核技術を「民生」利用(核発電)する過程でのチェルノブイリ核災害の惨事もあって、ついには国家の解体と、核災害地の「分離・放棄」という処置を取らざるを得ない事態にまで至りました。今また日本が同じような道をたどりつつあるのではないでしょうか? 

米国においても、「Atoms for Peace」を謳ってわずか8年後に、アイゼンハワー大統領自身がその退任挨拶において、次のような警告を発しています。

《私たちの今日の軍組織は、平時の私の前任者たちが知っているものとはほとんど共通点がないどころか、第二次世界大戦や朝鮮戦争を戦った人たちが知っているものとも違っています。
最後の世界戦争までアメリカには軍事産業が全くありませんでした。アメリカの鋤(民生産業の象徴)の製造者は、時間をかければ、また求められれば剣[つるぎ]も作ることができました。しかし今、もはや私たちは、国家防衛の緊急事態において即席の対応という危険を冒すことはできません。私たちは巨大な規模の恒常的な軍事産業を創設せざるを得ませんでした。

これに加えて、350万人の男女が防衛部門に直接雇用されています(これから8年後の1969年には「ペンタゴンの軍事支出は米国の10%以上の人の生計を支えている」米議会記録、までになった)。私たちは、アメリカのすべての会社の純収入よりも多いお金を毎年軍事に費やします。
私たちは、この事業を進めることが緊急に必要であることを認識しています。しかし、私たちは、このことが持つ深刻な将来的影響について理解し損なってはなりません。私たちの労苦、資源、そして日々の糧、これらすべてが関わるのです。私たちの社会の構造そのものも然りです。

我々は、政府の委員会等において、それが意図されたものであろうとなかろうと、軍産複合体(草稿では議会も学会も含められていた)による不当な影響力の獲得を排除しなければなりません。誤って与えられた権力(ペンタゴン?)の出現がもたらすかも知れない悲劇の可能性は存在し、また存在し続けるでしょう。
この軍産複合体の影響力が、我々の自由や民主主義的プロセスを決して危険にさらすことのないようにせねばなりません。》 “Eisenhower’s Farewell Address” 1961年1月17日
2012年現在、米国の年間の国防予算は5千億ドル、戦費は1千5百億ドルです。

核兵器保有国による果てしのない核実験競争と、原水爆禁止の運動
Atoms for Peace」演説以降、米・ソ両巨大国を先頭とした核兵器保有国による果てしのない核実験=軍拡競争の時代に突入していくこととなります。それ以降1996年の包括的核実験防止条約に至るまで世界は2053回もの核実験に覆われ、それによる核廃棄物(=死の灰)が地球上のいたるところに降り注ぐ事態になりました。「核の脅威」に対する「核の抑止力」をもっての対抗は一層の核の軍拡競争を激しくしたのです。

米国はネバダ核実験場などで90年まで1032回に及ぶ核実験(45年世界初の核実験トリニティ。86日広島に原爆、89日長崎に水爆投下)。ソ連に於いてはセミパラチンスクなどにおける核実験を90年まで715(49年初の核実験、53年に水爆実験成功といわれた)。英国はオーストラリアなどで45(水爆実験は578年に成功)。仏国はアルジェリア、ポリネシアなどの旧植民地で210(水爆実験は66年に成功、地下核実験は96年まで)。中国ロプノール(西域の新疆ウイグル地区)などで46(64年に初の核実験、水爆は67年に成功、80年に最後の大気圏核実験、96年に最後の地下核実験)。そのほかにイスラエルはフランスと共同()、インド、パキスタン、北朝鮮など、1998年までに計2053回の核実験が地球上で行なわれたといわれています。

同時にそれに対する抗議の運動もヒバク国日本を中心に世界的に高揚しました。1955年に信託統治領であった太平洋ビキニ環礁での米国による広島に投下した原爆の1千倍という威力の「ブラボー」と名づけた水爆実験があり、付近で操業していた日本のマグロ漁船856隻が被曝し、第五福竜丸乗組員の久保山愛吉さんが亡くなりました(このとき被曝したほかの多くの漁船員の方々も癌、白血病などの放射能被曝が原因と思われる疾病によって亡くなっていることが、高知の「幡多高校生平和ゼミナール」によって1985年に行なわれた追跡調査によって確認されています)。

全国のマグロ水揚げ港での捕獲したまぐろの放射能汚染の計測と廃棄処分シーンがニュース報道されると、被曝被害の恐ろしさを世界が知るところとなり、杉並や中野の主婦たちがはじめた「核実験反対」の署名運動が3千万筆を集め、1955年8月には広島で第一回の「原水爆禁止世界大会」が開かれ、その後広島、長崎を会場として現在まで継続するに至っています。またマーシャル諸島ロンゲラップ環礁住人も被曝による重篤な健康障害を発症し、強制移住をさせられました。元のロンゲラップ環礁は43年後のIAEAの調査(1998年)によっても、年間の被曝量が15mSvと推定され、「居住には適さない」とされているのです。

核兵器保有国による死の灰(放射性廃棄物)の世界中へのばら撒きは、1963年に米英ソによる「部分的核実験禁止条約(PTBT)」で歯止めがかかったかに見えましたが、地下核実験という形で核実験競争は続けられました。それをも禁止する「包括的核実験禁止条約(CTBT)」決議が国連でされたのはようやく1996年のことです。しかしこの条約は米国を初めとする中国、イスラエルなど、いくつかの核保有国が未批准のために2014年現在未発効のままの状態です。世界世論の反発を恐れて署名した核兵器保有国(20122月現在、米国を含む182カ国が署名)も地下核実験は自粛しています。

核による世界支配=NPT体制下において発生したフクシマ原発事故へのIAEA(保障措置機関)の介入
そして何よりも現在世界で“核拡散防止”の名目の下で絶対兵器=核兵器の力による世界支配を公然と謳って、“核による世界支配”のヒエラルキーを形作っているのは核拡散防止条約(NPTTreaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons1970年発効、25年後の更新期の95年に無条件無期限の延長が決められた)体制といわれるものです。

核兵器保持国の米英露()仏中とその他の非核兵器国を豁然と区別し、すでに1970年の時点で核兵器とその起爆装置を保持している“核兵器国”は、核兵器の製造と保持に関するあらゆることが許されるが、“非核兵器国”はIAEA(国連傘下の国際原子力機関、1957年設立)なる国際機関による核兵器の製造と保持をさせないための「保障措置」と呼ぶ様々な規制=を受けることが義務付けられる体制の存在です。つまり現代世界は、NPT体制という核を保持する強大国の力による世界支配を“核拡散防止”の名の下に正当化する体制の下にあるということです。そして、そのNPT 体制の下で「保障措置」としての“査察”の最多業務量を費やされているのが日本なのです(2005年のIAEAの全査察業務量は9133人/日で、その内の約1/5が日本の査察に費やされており、日本は保障措置上重要な国になっている)。それは、非核兵器国のうちで唯一日本がプルトニウム、及び高濃縮ウランという核爆弾材料の抽出と貯蔵を核の平和利用=原発稼働の名目の下に認められている国だからです。

当然、福島で引き起こされた巨大原発事故に対してもIAEAによる「保障措置」は発動され、事故の規模を“レベル7”とする規定から、事故処理の様々な過程における規制基準の設定にIAEAは関わってきたのです。とりわけ核爆弾の原料となる高濃縮ウランの量やプルトニウムの量のチェックは厳重なものであり、正確な事故情報に基づいた正確な報告を日本政府に求めるものでした。あるいはまた『日米原子力協定』附則に「核燃料の輸送経路の秘匿」など、明記された軍事上の秘密事項に当たるものも多く、民間・住民側が原発=核技術に関わる情報公開を求めても、重要情報のほとんどが黒塗りで出されてくるという事態にもなっていきます。2014年の12月に『特定秘密保護法』が施行されることに伴って、今後とも原発関連の情報については軍事に関係することを理由に秘密裏にことが運ばれていくことを意味します。

そもそも、現在私たちの住む地球生物界は地球の発生直後の、放射能に満ち溢れていた時代から数億年にわたる放射能の減衰期間を経た後にようやく生命の発現をみました。そうした億単位の長い年月の果てに生命体と「共生」し得た自然放射能の存在に対して、地中にあるウランを掘り出し、人工的に中性子を照射して創り出される核エネルギーと新たな放射性元素が人類を始めとする生命体にいかなる働きをするのかはいまだにほとんど解明されていない世界です。にもかかわらず軍事の要請によって米国の「マンハッタン計画」を通じてその破壊力だけが取り出され、原子爆弾として利用されたのです。

しかし1938年のその存在の発見から76年経った現在でもその人工的に取り出した核エネルギーの廃棄物として生み出される放射性元素の崩壊過程をコントロールする技術はなく、「閉じ込める」、「隔離する」ことによる“防御”だけしか出来ないでいます。人間の5官で感じることができないということが生命界とは異なる次元の物質たることを意味しています。遺伝子組み換え技術の人への応用が倫理問題であるなら、細胞を破壊し、遺伝子を傷つける核エネルギーの利用も倫理的問題が問われなくてはならない筈ですが、強大国権力者による“世界支配の道具”として位置づけられてしまっているが故に、誰も問うことが出来ないでいるのです。

オバマ政権の下での核政策=核廃絶に向けた具体的プログラムの欠落と核兵器の技術的高度化
2009年にプラハで、「米国は核廃絶に向けた具体的な措置を取る先頭に立つ」と公言して『ノーベル平和賞』を受賞したオバマ大統領ですが、いまだに続くアフガン、イラクでの戦争当事国の現在の最高責任者であることを忘れることは出来ません。どちらの戦争も国連決議抜きの“有志連合”なるものによる戦争への突入でした。しかもその「大義名分」だった「大量殺人兵器の存在」が“でっち上げ”であったことが現在では明らかにされています。しかも放射性廃棄物を廃物利用した劣化ウラン弾が現在なお使われることによって、自国の米兵にまで被曝による重篤な健康障害が出ていることが退役してきた兵士によって明らかにされてます。

オバマ大統領による「ノーベル平和賞」受賞演説(2009年12月)は核廃絶に向けた具体的な措置の提案は無く、ヒロシマ、ナガサキのヒバクシャの期待を裏切ったものでした。オバマ大統領は米国による戦後のこれまでの軍事的行為をぬけぬけと口にします。そしてその全てを「肯定」的に語るのです。日本への原爆投下やベトナム戦争、核兵器保有国による核実験競争などについては無視でしたが、「世界は思い出さなければならない。第2次大戦後の安定をもたらしたのは国際機関や条約、宣言だけではない。いかに過ちを犯したとしても、その国民の血と力で60年以上にわたり、世界の安全保障を支えてきたのは米国なのだ」「米中枢同時テロの後、世界は米国のもとに集い、アフガニスタンでの私たちの取り組みを支援し続けている。

無分別な攻撃を恐れ、自衛の原則を認識したからだ。同じように、(イラク大統領だった)サダム・フセインがクウェートに侵攻したとき、世界は彼と対決しなければならないことを悟った。それは世界の総意であり、正当な理由のない攻撃をすればどうなるか、万人に向けた明確なメッセージとなった」と自己中心的に進めてきた米国によるそうした力の行使の結果が、いまだにやまぬ軍核競争と世界各地における戦火の現実です。むしろ世界中に紛争の種を撒いてきたのは米国だったのではないかと思うのです。パレスチナのガザに対するイスラエルによる一方的な爆撃への「イスラエルの自衛権の維持は米国の国益だ」なる米国防総省の評価と弾薬の供与はおどろくべきものです。
ロシアとの間で戦略核を削減する交渉をまとめると言いながら、ネバダの核実験場で臨界前核実験を6度まで行い起爆装置などの技術的高度化を図ったり、レーガン時代の「スターウォーズ」(戦略防衛構想)を引き継いだのか、今年6月22日にはマーシャル諸島から発射した弾道ミサイルを、カリフォルニアのバンデンバーグ空軍基地から発射した地上配備型の迎撃ミサイルで打ち落とす実験を行い、「成功した」と発表しました。成功したので総額13億ドルを投入して迎撃ミサイル14基を増やす計画だそうです。あるいは原発の新設にしても、いまだに地球温暖化説に基づく原発ルネッサンス意識で4基の新設許可を政府からの保障額の枠を増額して認めたのです。
他方の現実として、7月12日にロシアのプーチン大統領はアルゼンチンのブエノスアイレスでフェルナンデス大統領と会談。原発2基を輸出する計画を提案し、原子力協力に署名した。というニュースも流れてきています。(IWJによる)
「安全保障」の名の下の軍備拡張競争はますます激化していくのでしょうか。

米国において反核・反戦を闘う人々と連帯して『原発メーカー訴訟』を戦おう!
―米国で原告となってくれている人たち―
米国が中東のアフガンやイラクでの戦争の当事国であり、パレスチナ・ガザへのイスラエルによる“無差別攻撃”の強力な支援者である現在、米国の広範に広がる反戦運動と連帯して日本の反原発=反核の運動も闘われなくてはなりません。核汚染被害を訴えて闘う原発立地地域や核兵器工場、軍事機密施設周辺での闘いとの連携はもちろん、バンデンバーグ空軍基地での長距離ミサイル発射訓練反対など、米軍基地周辺地域で闘われているベトナム反戦闘争以来の歴史を持つ反戦闘争や劣化ウラン弾による被曝被害を訴えている退役軍人の闘いや「トモダチ」作戦で被曝した空母ロナルドレーガン乗組員の訴えている「被曝情報を隠蔽した東電訴訟」とも連帯した反核・反戦・NPT体制打破の闘いとして『原発メーカー訴訟』は闘われなくてはならないと思います。

・『Mothers for peace』;デアブロキャニオン原発立地地域で、稼動停止、恒久廃炉の為に闘い続けて50年からの歴史を持つNPOの人たち。
・サンフランシスコの『No Nukes Action Committee』;毎月の11日に対日本総領事館抗議アクションを2012年の夏以来休まず続けている人たち。
・サンオノフレ原発の廃炉のために闘い、実現したグループの人たち。現在日本の子供避難受け入れ施設への財政支援活動もやっています。
・『原発メーカー訴訟』の呼びかけ人にもなってくれている在米芥川賞作家と、アカデミー賞ノミネート作品『ハリーとトント』の脚本家のご夫妻。
・シアトル、ロサンゼルス、アーマスト(マサチューセッツ)の『日本山妙法寺』;全世界の反戦の闘いのあるところで、必ず共に核廃絶祈願の祈りを捧げてくれるブッデストの人たち。
・バーモントヤンキー原発を廃炉に追い込んだ人たち。
・マサチューセッツの個人宅で、全世界からの迫害避難者を受け入れる活動をしているクリスチャン夫妻。
・ボストン郊外で、軍事予算に使われているからと納税を拒否して闘う人たち。
・『A.N.S.W.E.R.Act Now to Stop War End Racism Coalition』;反戦・反差別を闘うラテーノの人たち。
・ロサンゼルス日系社会や韓国系社会に住んで、フクシマ核災害の現状を心配する人たち。
・『NCRRNikkei for Civil Right & Redress)』;第二次世界大戦中の“日系人強制収容”の不当性を訴えて、米国政府の“謝罪”と“補償”と“誤りであったとする教育”を勝ち取ったNPOの人たち。
・『KIWAKoreatown Immigrant Workers Alliance)』;ロサンゼルスのコリアタウン地域で移民の労働問題の解決を図りながら、韓国済州島の米軍基地建設反対なども呼びかけているNPOの人たち。
・韓国、日本、台湾での核発電所の危険性に気付いたシリコンバレーの韓国系クリスチャンのグループ。

*補足として
「裁判のみに焦点を絞ぼれ」と、原発輸出やその背後にある「核による世界支配」を意味するNPT体制をめぐる論議を封殺するなら、「護憲」「生活擁護」といった、日本の地で“すでに失われつつある現実を願望する”だけの、つまりは自分達だけの「経済的」安定を願った一国主義的運動となります。リスクは他国に、あるいは地方に負わせればいいということになるのです。

『核拡散防止条約』なる仕組みは、世界中の人々の「放射能の拡散をこれ以上広げたくない」という切実な意識を“取り込んで”核兵器を保有している大国の権力者が作り出した体制です。この仕組みは“核兵器保有国による世界支配を前提にしている”ことを明らかにしなくてはなりません。その暴露抜きに“核の廃絶”は決して実現されないのです。

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