2014年7月17日木曜日

原発体制から「見えない」植民地主義と排外主義の考察 ー朴鐘碩

3・11原発事故から8ヶ月後の2011年11月末、私は日立製作所を定年退職しました(朝日新聞2011年12月28日)が、現在、嘱託として働きながら「原発メ-カ-訴訟の会」(http://maker-sosho.main.jp/)事務局に参加しています。

事務局会議で以下のような発言がありました。
「植民地主義、在日、民族差別、従軍慰安婦問題などを出すと原告・サポ-タが離れるというか、敬遠する」「訴訟の会はメ-カ責任を問うのであって、在日、民族差別の問題を扱っている、目的と外れたことをやっている、とサポ-タあるいはWEBを閲覧した人から思われてしまう」「右翼あるいはヘイトスピーチを煽るグループからFBに書き込まれたら対応できない」「崔勝久事務局長は情報発信しすぎだ」などの意見がありました。

「原発体制」に抗する「核」となる事務局メンバから、何故このような意見が出されるのでしょうか。
「反原発」だけ謳えば、「右翼から攻撃されないのか、原告・サポ-タはこれで納得する」のでしょうか。

今日まで訴訟の会が継続でき、39ヶ国から4100名以上の原告・サポ-タが集まったのは、事務局長の海外での活動、情報発信はじめ弁護団、ボランティア事務局員、原告・サポ-タの皆さんの協力によるものです。事務局長のあらゆるSNSを駆使して情報発信したことの意味は大きいと思います。

情報発信、各地での集会の成果として、事務局員、原告、サポ-タとの出会いが生まれ、様々な角度から意見・質問が出され「原発体制は、そういうことだったのか」と気づかされることが多かったと思います。

原発体制との闘いは、社会変革、人間性を求め、既製の価値観でつくり出されている国家、社会、組織との闘いでもあります。「反原発運動」を通して、社会の矛盾、差別、抑圧に抗し、ものが言える開かれた社会・組織・生き方を求める闘いであると私は理解しています。

これから日立、東芝、GEなど、世界の「怪物」を相手に人間解放を求める事務局は、何故「表現の自由」(「植民地主義、在日、民族差別、従軍慰安婦問題など」)を抑制し、自制を求めるのか、また右翼などの反撃を想定するのか理解できません。これでは、事務局が「原発体制」に加担し、排外主義を助長することにならないか危惧します。

原発体制は、世界中で矛盾、差別、抑圧を生み出していますから、様々な問題が形を変えて浮き彫りになっています。日本は原発事故はなかったかのような政治・社会状況になっており、同時に排外的になっています。「メ-カ訴訟」は、原発体制に繋がるあらゆる矛盾・問題との闘いです。逆に言えば社会の矛盾は、究極的には「原発体制」に集約されると思います。

事務局長は、様々な角度から「原発体制」(核兵器)の脅威から生み出される戦争(紛争)、被曝、差別、抑圧などの問題・矛盾を提起しています。そこには再び戦争ができる国家に導くと言われる集団的自衛権、憲法改正、秘密保護法案、国旗・国歌の強制、歴史教科書改竄、弱者に犠牲を強いる派遣・非正規・被曝労働者、外国籍住民を2級市民扱いする「当然の法理」、民族差別、従軍慰安婦問題、ヘイトスピ-チなどにも繋がります。

核保有国が世界を「支配」し、「植民地」を作り、資源確保に奔走しています。紛争が起きている国の犠牲者であるサッカ-選手が、人間らしく生きるために反戦、差別、人権問題を世界に情報発信するのは、当たり前のことです。世界を震撼させた原発事故を起こした日本の選手たちが反原発をアピ-ルすることも可能だったのではないかと思います。世界中から共感を呼んだことでしょう。

「植民地主義、在日、民族差別、従軍慰安婦問題などを出すと原告・サポ-タが離れるというか、敬遠する」「訴訟の会はメ-カ責任を問うのであって、在日、民族差別の問題を扱っている、目的と外れたことをやっている、とサポ-タあるいはWEBを閲覧した人から思われてしまう」という意見は、排外主義を助長するのではないか、と危機感を持ちます。

「私たちが原発メ-カを訴える理由」は、「国際的な原発体制/原発メ-カにとって、電力事業者への一極責任集中の制度がある限り、原発事故に対して何の痛痒も感じることなく、世界に原発を拡散していくことができるのです。既に世界的原発過酷事故はほぼ10年に1度の確立で起こっており、今後も起こることは確実でしょう。地球規模に及ぶその深刻さを考えると、この原発体制の根幹にある(世界レべルでの)原子力損害賠償法を無効にして、日本だけでなく、世界の原発体制を廃絶しなければならないのです。私たちが原発メ-カを訴える理由はそこにあります。」(原発メ-カ訴訟の原告として参加しましょう 2013年12月)

私たちは、「世界の原発体制を廃絶しなければならないのです」と宣言しているように、「世界の原発体制」を打破しなければなりません。核兵器を保有する列強を主軸とする、資本のグロ-バル化を名目にした資源争奪と支配体制、これが植民地主義です。

日本は、1910年朝鮮半島を植民地にし、資源を確保しました。労働力不足を補うための朝鮮人強制連行、食料・土地の収奪、関東大震災時の朝鮮人虐殺、日本軍の犠牲となった女性たち、広島・長崎の原爆投下で犠牲となった7万人と言われる朝鮮人、敗戦からわずか5年後に起きた朝鮮戦争など韓日の不条理な歴史があります。戦後70年になっても核保有国によって朝鮮半島は分断されたままです。

戦後の「原発体制」の背景には、こうした植民地支配と日本人民衆に犠牲を強いて経済復興させた国家の歪みが至るところで起きています。平和、反戦、労働組合運動から日本の戦争責任が問われることはありませんでした。

日立就職差別裁判が起こったとき、日立労組幹部はじめ多くの労働者は見て見ぬふりをしましたが、多くの犠牲者を出した原発事故に対する沈黙と通じています。
原発メ-カ(日立)は、「原発事故に対して何の痛痒も感じることなく、世界に原発を拡散していくことができ」ます。労働者は、原発製造・輸出に疑問を感じても、業務に追われ、将来を考えて沈黙しています。

労働者は、上司から利潤・効率・新技術を求められ、工程に追われ、ものが言えない状況です。「(原子炉製造に携わっていないエンジニアは)原発事故は関係ない」、「労働者の置かれている現実を無視した組合運動、他人事である民族差別も関係ない」と思っている労働者は少なくないでしょう。現実と乖離した組合、人権、平和運動は排外主義を助長する一面があります。

トップダウンで全て決定する日立労組は、所員を強制的に加入させて組合費を給与天引きし、幹部の裁量で自由に遣います。組合員は組合費の使途を情報公開要求できますが拒否します。
組合への批判、苦情を公にすれば組合・会社から睨まれ、昇進の妨げになる恐れがあります。役員選挙を実施しますが、その実態は、職場と候補者名だけが掲示され、組合活動に関心もない、所信表明もしない、ものを言わない、会社の意向に沿った組合員が立候補するというよりも、させられています。立候補する組合員に所信を尋ねると、沈黙するか、「特にやりたいことはない」という素直な返事をしてくれます。

組合費の使途、選挙方法、組合幹部報酬、職場の不満・疑問はいくらでもありますが、誰もそのことについて発言しません。ものを言わ(せ)ない組合員を悪用した組合(幹部)の横暴に我慢ならず、労使幹部の春闘交渉現場に参加し組合の体質を批判した(2006年3月8日)こともあります。

管理職の前で開かれる職場集会は、「民主主義」を装うためのポ-ズでしかありません。組合(幹部)は、組合員が会社・組合に批判・不満があっても上司のいる前で発言しない(できない)ことを承知しています。組合員たちは、「これは選挙ではない」ことは解っています。選挙投票日、投票率を上げるために、事前に選ばれた委員が組合員名簿をチェックし、棄権する組合員に上司がいる前で「投票しろ!」と意図的に周囲に聞こえるように大きな声で恫喝します。「私は投票しません」と勇気を表明する組合員は皆無です。組合員は、生活を考え、孤立を恐れて従うしかありません。これが連合を組織する、資本のグロ-バル化を推進する企業・日立労組の実態です。
これは企業内植民地主義です。

日立(企業)の民族差別の背景には、こうした労働者の自由を束縛する圧力があり、この抑圧から解放されなければならないと思い、1度も当選しませんでしたが、会社と組合から厳しく監視される中、役員選挙に出ました(2000年~2010年)。殆どの組合員が無視する中で、当初30%近く得票しましたが、私に投票する組合員は「パクさん頑張れ!」と声を発することもできません。私に投票する組合員は、表情(目)を見ればわかります。

「雨の中、傘をさして(選挙を)訴える姿を見て感動しました」「パクさんから指摘されて上から言われたことをそのまま信じてはいけないことがわかりました」と密かに話しかけてくれた同僚や後輩もいました。「長い物に巻かれて生きるしかない。技術が進めば差別はなくなる」という声もありました。
孤立覚悟の闘いでしたが、見えなかったものが見えるようになりました。(労働者に)ものを言わせない職場・組織(地域・社会)が差別・抑圧・排外主義を助長している、沈黙が組織・社会を支えているのではないかと気付きました。

(うるさい私の)言動を封じるためなのか、ついに組合(会社)は職場集会をなくしました。気楽に話していた上司、同僚、後輩たちの表情も変わり、私を敬遠するようになりました。

詳細は、開かれた企業組織を求めて会社と組合を批判した「日本における多文化共生とは何か 続「日立闘争」」(新曜社2008年)を参照してください。

数百名が集まった職場の予算説明会で、私は、「日立製作所にとって原発事故は、緊急な課題である。原発事故から3年経過したが、原発事故にどのように対応しているか。土地を奪い、家族の絆を引き裂いた被曝避難者のことを考えないのか。遺伝子を破壊する放射能、子どもたちへの影響を考えて日立の関係者も避難していると思われる。事故を起こして原因も究明せず、何故、原発をリトアニアに輸出するのか。その神経がわからない。日立の経営陣は、一体何を考えているのか。人類を破滅に追い込む原発事業から撤退すべきである。新聞報道されたが、原発メ-カである日立は、世界中の人々から責任を問われている。企業としての道義的・社会的責任をどのように考えているか」と問い、部長は「企業としての道義的・社会的責任を問われましたが、パクさんの質問にどう回答していいのか、わかりません。これだけしか応えられません」という返事でした(4月22日)。数百名の所員の中には、元組合委員長、役員関係者が多くいましたが、沈黙していました。

事故の反省もなく平気で原発を輸出しようとする経営、経営陣に抗議の声も出せない日立の組合幹部・労働者、排外主義などの問題は根が深く繋がっています。原発輸出は、相手国住民の生命を奪い、生態系を破壊します。戦前日本がアジアを侵略したように再び日本が加害者になることです。他者及び外国籍住民を抑圧することは、ものが言えない社会(戦争)へと繋がります。排外主義を煽る朝鮮人へのヘイトスピ-チ、それに便乗する人たちが増え、再び戦争への道が準備され、ものが言えなくなっています。ものが言えないのは、自治体・教育現場・マスコミなどどこの世界も同じような状況だと思います。

企業社会は、経営者と組合幹部が「労使一体」という「協働(共生)」を謳い、民主主義を育て(た)ないように労働者を巧みに管理・支配しています。全国の自治体は、外国籍住民との「共生」を謳うものの、内閣法制局の見解(1953年)である「当然の法理」を理由に採用した外国籍地方公務員に許認可の職務、決裁権ある管理職に就くことを禁じています。これは植民地時代、朝鮮人・台湾人を2級市民扱いした現代版です。

戦争責任が問われなかったのは、原発体制の下で経済を優先する傲慢な経営体質に企業内組合、労働者が黙って従う絶対的価値観を持たされているからではないでしょうか。労働者は、生産活動の歯車とも言われ、生産から得られる莫大な利益は企業、国民国家を支え強化します。戦後70年、企業と労働組合の戦争責任を不問にしたことは、連合のような労働運動が体制化したことにも繋がりました。

一国主義の社会変革、柔軟性のない反原発・平和・人権運動は、愛国・排外主義を増長し、戦争責任を克服できないし、原発体制を打破できないと思います。

日立闘争、沈黙を強いる企業社会、「当然の法理」、メ-カ訴訟から見えたものは、声を出し続け、情報発信することが人間性の回復であり、弱者に犠牲を押し付け、差別を生み出す原発体制に抗することだということです。

国籍で朝鮮人の採用を取り消し、原発事故の謝罪もせず、労働者に沈黙を強いて原発を輸出する日立グル-プの経営、外国籍住民を2級市民扱いすることは「(企業内)植民地主義」であると私は理解します。

「植民地主義、在日、民族差別、従軍慰安婦問題などを出すと原告・サポ-タが離れるというか、敬遠する」「訴訟の会はメ-カ責任を問うのであって、在日、民族差別の問題を扱っている、目的と外れたことをやっている、とサポ-タあるいはWEBを閲覧した人から思われてしまう」という意見は、植民地主義、排外主義を助長するのではないかと危機感を感じています。

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