2014年7月3日木曜日

40年前の在日の「日立闘争」がどうして今の原発体制、「メーカー訴訟」に関係するのか?


伝統のある歴史学会である、東京歴史科学研究会に今年の2月、「日立闘争」元原告の朴鐘碩と「原発メーカー訴訟の会」事務局長の私が講演を依頼されました。最初は場違いだと思い断りたかったのですが、講座のタイトルが、「開かれた地域社会と真の「協働」を求めてー1970年「日立就職差別闘争」からの問題提起ー」ということでしたの引き受けさせていただきました。

講演内容:
朴 鐘碩「続・『日立闘争』から3・11後への問い」
崔 勝久「多文化共生と植民地主義についての問題提起」
コメント:加藤千香子(横浜国大教授)「『日立闘争』からの問い
『人民の歴史学』第200号 2014年6月より

まず何よりも、日立闘争とは、日立の国籍を理由にした民族差別によって入社試験に合格したにもかかわらず、朴が日本名と日本の住所を本籍地として申請したことが「嘘」であり、「嘘つき」は日立として雇うことはできないとする、日立に象徴される日本社会の差別との闘いとして捉えられたものでした。横浜地裁は日立の差別を認め、朴の完全勝利でした。そこで40年日立に勤め、昨年無事に定年退職を迎えた朴は、現在も同じ職場で嘱託として日立に勤めています。

朴鐘碩の講演録内容
1.日立就職差別裁判の経緯
2.企業社会における労使の共生体制と原発事故
3.企業内植民地主義
4.おわりに
という小見出しで日立の内部がいかに働く人たちにものを言わせぬ体制なのかをくわしく書いています。「企業・組合・組織は労働者の沈黙によって支えられている」と現状を、日立の中から分析し、そのような社内では福島事故のことも話題になることなく、「労働者は、原発製造・輸出に疑問を手も感じなくても、業務に追われ、自分の将来を考えて沈黙します。」と説明します。

彼は、「開かれた企業経営であってほしいと願い、日立製作所の会長・社長に抗議文・要望書を提出し、原発メーカーとしての社会・倫理的責任、被曝避難者への謝罪、原発事業からの撤退、輸出中止、廃炉技術・自然エネルギー開発への予算化をもとめ」たそうです。

「企業植民地」というのは、「ものが言えない正規労働者、雇用の調整弁として、低賃金で働く非正規・派遣・外国人の労働市場は、経団連・グローバル企業にとって「広大な植民地」と定義します。1000社を超える関連会社を含めると約35万人、その家族を含めると日立グループは日本の人口の1%になる大企業です。

そして最後に「原発メーカー訴訟」に触れ、「戦後の原発体制は、国内植民地主義に繋がりましたが、これを打破するためんびは、自分がどのような立場にいるのか、見つめ直す必要がある」ことを強調しています。


崔勝久の講演録の内容
私の講演録タイトルは、「多文化共生と植民地主義についての問題提起」です。「当然の法理」を取り上げ、それが「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員になるためには、日本国籍を必要とすべきである」という1953年の内閣法務局の見解でありながら、全国の地方自治体において今も
絶対的な基準になっていることを川崎を例にして説明します。

川崎市は全国で最も外国人市民への先鋭的な施策をする「多文化共生」の街として有名です。しかしその実態は国籍条項を撤廃し、外国人への門戸を開放しながらも、それは実は後ろ手で閉め、市民への命令する職務には就かせず、課長以上の職を禁じる、差別を制度化したものであるということを明らかにします。

そして「多文化共生」とは国民国家を前提にしたものであり、それは本質的に、外国人への差別を前提にしていることを明らかにしました。そのうえで多様性だとか、相互理解というのですが、それは差別の現実を克服するものではないのです。

「長い時間がかかりましたが、地域社会の問題に取り組んでわかったことは、「多文化共生とは、外国人なくしては成り立たなくなってきた日本社会の実所を反映するものであるということです。それは同じ市民(住民)として対等な関係にでなく、多分にパターナリズムの域をでません。私たちは「多文化共生」とは、多様性を大義名分にした、グローバル化が進み外国人が増大する中で国民国家の安定を求め、同時に廉価な労働力を確保するために政府主導策定された、「統合政策」を支える植民地主義のイデオロギーだとかんがえるようになりました。」と結論づけます。


加藤千香子さんのコメント内容
加藤千香子さんの二人の話しに対するコメントは、私たちの思いを的確に理解されたうえで、戦後史研究者のあり方を問うものでした。当事者として語る私たちの話しは「戦後史」への問い、だと受けとめようとされます。

「「日立闘争」で告発された「民族差別」、90年代の「共生」批判の運動を通して浮上した「当然の法理」の差別性、これらはいずれも戦後社会の論理に組み込まれていながら「見えない」問題であった。これらは、「国民史」を前提としてきた戦後研究者の発想を問い質ただすものである。」と述べられています。

最後に、私や朴が「原発メーカー訴訟」を始めたことに触れ、「「日立闘争」を起点とする運動経験を経て見出された崔や朴の視点は、一国内の問題だけにし視野を限定する多くの戦後史研究者が持ちえなかった」もではないだろうか。」
「歴史の現実にかかわってきた当事者としての崔と朴の問題提起は、戦後歴学が描いてきた「国民史」としての「戦後史」に対する挑戦であるあるとともに、その再考を促すものであることは間違いない。」

この『人民の歴史学』第200号は、記念特集として、「歴史研究の新たな地平」に関する様々な研究者の論文が掲載されています。一般書店ではお求めできないので、直接、研究会にご連絡いただければ幸いです。

東京歴史科学研究会: http:// www.torekiken.org/
電話・FAX:03-3949-3749、Email: torekiken@gmail.com

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