2014年5月8日木曜日

東アジアの平和と友好を創造するための被害者と加害者の課題ー 岡田 卓己

昨日、韓国から一時帰国している岡田さんと会いました。岡田さんは韓国第三の都市、大邱の大学で日本語を教えながら、博士過程で独島(竹島)の研究をされています。原発メーカー訴訟の運動を韓国でも展開し、被爆者2世の当事者とも深い信頼関係を築きながら韓国人と一緒になって、あくまでも加害者と被害者の日韓の歴史を直視しつつも、れを乗り越えることを目指して活躍されています。この夏には、タンポポ舎で講演される予定です。   崔 勝久

1回 
韓・日シンポジウム(大)―― <韓日友好と強制連行の問題を考える>

シンポジウムの趣旨
韓国・日本の研究者を中心に、各分野別の韓日交流について点検し、韓国人強制連行問題および最近話題となっている勤労挺身隊問題について論議する場を設けたいと思います。これを通じて、過去の歴史歪曲の雰囲気を見直し、韓日友好を進展させる土台を構築していきたいと願います。また、韓日間の懸案を打開するため、韓日市民の連帯と接点を模索する場になればと念じます。本シンポジウムに格別のご関心とご参加をお願いいたします。

日時2014() 午後2時~5時半 (受付は午後1時半より)
主催: 大邱KYC(大邱 韓国青年連合)
○ 後援 勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会, 圖書出版 學士院
場所大邱広域市 国債補償運動記念館 2階・ホール

≪≪≪ プログラム ≫≫≫
□ 受付 13:30 - 14:00

■ 開会 14:00 -1:10
開会辞 金正勲(全南科学大 教授)
□ 主催者挨拶 キムジョンス(大邱KYC代表)
司会(岡田卓己, 啓明文化大 教授)

<シンポジウム>
 * 司会 崔鳳泰 弁護士(大韓弁護士協会 日帝被害者人権特別委員会 委員長)
発表
14:10 - 14:30 岡田卓己(啓明文化大 教授)
東アジアの平和と友好を創造するための被害者と加害者の課題。
14:30 - 14:50 朴孟洙 (円光大 教授)
日本の北海道における強制連行の現状と全羅北道の例
14:50 - 15:5 茶谷六(元日本民族芸術研究所所長)
日本の東北地方における強制連行の実態について
特に秋田県花岡鉱山における七つ館事件を例として
15:5 – 15:20 質疑
休憩(15:20 - 15:30)
□ 音楽演奏・合唱 (15:30 – 15:40)

■ 発表(再開)
15:0 - 16:0 金昌禄(慶北大 教授)
法的側面から見た強制連行
16:00 - 16:20 金正勲(全南科学大 教授)
日本人作家の描いた強制連行と勤労挺身隊の問題
   16:30 – 16:35 質疑
   16:35 – 16:45 司会者によるまとめ(被害者に対する賠償をどう進めるかを含む)
16:45 シンポジウム終了


アジアの平和友好創造するための被害者加害者課題
啓明文化大学校  教授    岡田 卓己(おかだ たかし)


強制連行問題研究者ではなく、「平和める活動家」であるにとって、このシンポジウムにどうしたら貢献できるのかについてはかなりんだ。大学時代から現在るまで「被害者加害者課題」についてえてきた個人史率直ることが、にできる最大の「貢献」になるとう。ここでは、きな影響えた3つの書籍・講演・声明などを時代ごとに紹介することにする。現在めて韓国生活行動しているのか、理解してくださればいである。

1.「撫順奇跡日本軍兵士による侵略加害証言大学生 1973-4年頃
大学の3-年生頃一冊出会った。『侵略中国における日本戦犯告白-』(中国帰還者連絡会中帰連新読書社初版1958)である。中国への侵略った司令官・憲兵・兵士たちによる告白であり、そこには日本軍った殺戮やレイプが生々しく証言されていた。らは、シベリアでの捕虜から中国撫順戦犯としてられ、そこでに、人間としての待遇け、った行為証言するようになる。このをむさぼるようにわったあと、「何故日本人はこのような残虐行為ができたのだろうか」とえこんでしまった。そして当時の、「平和れ」とする日本平和運動原水爆禁止運動弱点があるとった。ベトナム侵略戦争当時強加担していた日本韓国同様であった)において、「平和るものではなく、創造するものだ」、「平和創造するためには、加害問題被害問題えなければならない」と意識した。つまり、過去戦争えるで「日本はアジアの諸国への加害者であった」ということこそ、第一強調されなければならない視点である。これがが、「加害者被害者問題」をえるようになった原点である。
参考撫順奇跡とはどのような奇跡

 高校教師年目にあたる1980毎日のように報道される新聞記事みながらしていた。もちろん、光州5.18民衆抗争記事である。そして故・金大中先生死刑判決には、東京韓国大使館けて抗議行動・示威もしていた。

 こうして、日本侵略戦争こし植民地化した国々生活し、市民同士過去をしっかりとつめ、未来ることによって、信頼平和アジアをりあげたいとえるようになった。家族説得し、2006定年退職まであと7辞職して韓国た。

2.和解について -ドイツ ASFChristian Staffa博士講演 (2009)
 ソウルで韓国語び、20079大邱での現在仕事勤務した2008より京都方々に、「『韓国強制併合100年市民ネットワク」を組織して、過去侵略植民地化をした日本での「反省和解」の運動びかけ、共同代表一人選出された。
その直後東京上智大学教授・光延一郎神父のおいをけ、Christian Staffa博士講演いた。当時(そしても)、反省和解」の問題最大関心事であり、「はたして加害から『和解』をいうことができるだろうか」とえていたにとって、必死でメモをとりった。そのメモは、今読しても新鮮である。一部紹介する。
 ドイツでの謝罪和解・賠償については、記憶責任および未来 基金」が有名であるが、その裾野にはASF(Aktion Su:hnezeichen Friedensdienste) 行動いのし」のような市民的がりをち、思想的にも運動があった。

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ASF創始者ロタクライシッヒ(Lothar kreyssig)は、ワイマ体制・民主主義反対し、ナチスに好意的なプロテスタントの体制的人物であり、ベルリン近郊裁判所判事だった。1930年代地域がい死亡急増していることに気付疑問ち、それをこしている被告)がであるかからないまま、裁判提訴した。すると司法省から、しがかかる。「がい命令しているのは、ヒットラではないが、ナチス上層人物だ。きている価値がないすのは当然とのことだ」とげられる。は、直接ヒットラえる行動ではなかったが、しているたちをえるという勇気ある行動た。
戦後、ニュルンベルク裁判では、こそ「判事」との評価けた。しかし、意識けた。「自分はしっかりと抵抗したのだろうか」と。そのは「自分にはがある」と表明。その当時くのドイツ加害者ではなく、被害者意識っていた。(1960年代まではその意識かった)。
こうしてASFは、ドイツの若者たちをんで、ナチスドイツによる被害国である、オランダ、ポランド、ノルウエ、イスラエルなどで、謝罪奉仕活動展開する。ナチスの虐殺にあったではげられたりもするが、アウシュビッツでは手作りで「国際ティングルム」をったり、加害国被害国若者共同行動などをっている。
これまでの長期プロジェクト(1215参加者7000短期プロジェクト(3~6ヶ参加者12000にものぼる。(20091月現在

Christian Staffa博士和解発言要旨以下りである。
和解」ということについて
 は「和解」という言葉批判的見解っている。
○「和解」についてASF内部で、しい議論わせた。
○「和解」とは、いの行動過程て、その結果としてることである。
○「和解」とは、加害者側からえる言葉なのだろうか。行動める最初から、「和解」が
るかどうかからない。被害者めてくれるかどうかもからない。
よって「いのし」とした。
い」とは、なる「補償」ではなく、「し」と「平和」をめること。

●「和解」のプロセスとどううか
歴史への興味・関心は 未来えたいから真実・真相究明という過程必要
宗教的文脈での「和解」とは
 ・平和れることを意味するが、しかしそれは、矛盾葛藤という側面がある。
 ・我々は「和解」よりも「い」という言葉適切える。
 和解」を他者被害者)へ、しつけることもしない。(実際拒否にもあった)
 い」の行為して、「和解」へることはありる。
○「す」「される」という関係は、具体的にはどういうことか?
 過去行為とその結果がなくなるではない。よって「和解」で、すべてを回復・解決でき
るとはわない。【岡田:ではどうすれば‥ 我々未来重要
心・人間的での「い」「和解」だけでは不十分である
 いのし」は、被害者へ政治的・法的補償へとかわなければならない。
 い」は、被害者れてもらうことだが、その、「い」の社会的実現
法的・政治的次元でうまくいくためには、社会的基盤形成必要
社会支持・信頼社会意識える。)
人間的)にも、法的制度)にも和解・償いを!
 被害者には、「補償はいらない」というもいる。しかし、「補償」はいことではな
く、必要でありうべきことである。一面的見方え、総合的えを!
過去問題に、今向うことの意味
 ・複雑問題であり、苦痛う。消極的になることもある(自己他者意思疎通)。
  我々過去経験っても、はどうしても間違いをす。しかし、かをえた
いのならミスをさざるをない。
 ・法にのみ依拠することはしい。まずは行動である。 But, You can just do it!
未解決現在は、未解決過去ざす。

最後に、言葉りたい。「たち全員が、社会現実一部である」
たち一人ひとりは、過去からわれた社会現実一部であるからこそ、過去未来
がある。
社会現実一部であるからこそ、社会えることができる。
社会現実一部であるからこそ、たちの行動他者よりもれたものではない。
宗教的言葉えば「たちは罪人である」ということにじる。

3.朝鮮女子勤労挺身隊問題名古屋市民、そして光州市民20135
「朝鮮女子勤労挺身隊」とは、1944年当時、小学校を卒業する幼い少女に対して「日本へ行けば、仕事をしてお金を得ながら、学校へも通うことができる」と騙し、名古屋・三菱重工業、富山・不二越、沼津・東京麻糸の3つの軍事工場へ連行して強制労働をさせた事件である。昨年5月、光州地方法院、名古屋三菱初公判前に、「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」事務局長(現・共同代表)李國彦氏が発した「真実の門を叩き続けて27年 - 国籍を越えた日本の良心-」と題する声明は、非常に重要である。
この声明では、最初韓日関係において、日本加害者たち韓国被害者という位置関係だけで等式化することができるだろうか」うている。1986地域歴史調査で、三菱重工業・勤労挺身隊事実った高橋真教員同僚小出裕教員当時)は、光州中心被害者日本裁判提訴し、名古屋市民に「名古屋訴訟支援」をげた。2007最高裁判決での敗訴後も、彼女らは毎週金曜日名古屋から片道約360km東京・三菱重工前で、抗議宣伝行動けた。こうした日本市民良心して、韓国社会ではりにされハルモニたちに援助もしていない自分たちを「ずかしく」じ、2009光州で「市民」を結成し、名古屋市民光州市民連帯まった。そして、昨年11日光州地方法院勝利判決った。ここにこそたちがばなければならない、国際連帯のありされている。それと同時に、在韓日本人であり大邱市民であるにとっては、「では、をしなければならないのか」という課題がつきつけられている。

4.わりには(たちは)をしなければならないのか?
こうして、個人史みると「はどうきればいいのか」という、「」をえずけてんでたようにえる。侵略戦争で、っても過言ではない殺戮し、中国戦犯教育らの人間性した元・日本兵たちのASF創設したロタクライシッヒと、ドイツのそれに世代勤労挺身隊被害けたハルモニたちを支援けている、名古屋市民光州市民。そのつひとつの「」が、現在教師でありつづけている。

現在日本は、継続している福島原発事故しんでいる。15万人にもおよぶ避難民どもたちには甲状腺癌高率発生汚染水しなどなど。しかし安倍政権は、国策として世界各国原発輸出しようとしている。他方事故こした原発製造は、原子力損害賠償法によって一切責任免責され輸出えている。たして韓国現状はどうであろうか。たちは二度加害者になってはならない。(ベトナム戦争時のように)

さらに、ハルモニを支援けている名古屋市民光州市民活動は、たちに被害しんでいる人々とどううか」という課題うている。
たちのらす大邱・嶺南地域は、日本広島・長崎被爆した方々とその子孫(2世・)が韓国でもらしている。広島・長崎被爆した70万人10万人朝鮮半島出身者だと推定されている(正確統計はない)。しかし、韓国社会では「広島と長崎に投下された原子爆弾は“神の懲罰”であり、日本軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐」という趣旨の論評(中央日報、2013年5月20日付)が掲載されるほど、韓国人被爆者の問題は忘れ去られている。まして、未だ遺伝による病気で苦しんでいる多くの被爆2世・3世の存在について、知っている人は多くない。2003年から毎期国会に提出されている「原爆被害者および子女のための特別法(案)」は、まともな審議さえもされずに毎回廃案になっている。このことは、大邱・嶺南地域市民であるたち)がわなければならない「課題」なのではないかと考えている。


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