2014年2月9日日曜日

素晴らしい出会いでした(その3)-ドイツ編






先月私は1月30日の原発メーカー訴訟の原告を募る為、台湾、フィリピン、インドネシア、ドイツを周りました。
   素晴らしい出会いでした(その1)ー台湾、フィリピン編
   http://oklos-che.blogspot.jp/2014/01/blog-post_22.html

   素晴らしい出会いでした(その2)ーインドネシア編
   http://oklos-che.blogspot.jp/2014/01/blog-post_23.html
 
ドイツでは一番最後に訪れたのがベルリンです。最後の夜にお会いしたのがベルリン在住の日本人女性でした。彼女たちは、「みどりの1kWh-ドイツから風にのって」というHPを作られ、みなさんで協議しながらドイツからさまざまな貴重な情報を提供されています。私が驚いたのは日本についての尽きない関心、愛情でした。表現は厳しく、ドイツで磨かれた感性や蓄えられた知識からご自分たちの意見を述べられるのですが、それらは適格であると同時に、これでいいのか日本は、という危機感にあふれたものでした。
http://midori1kwh.de/2014/02/09/4879

彼女たちのHPに私が原発メーカー訴訟について話した内容を載せていらっしゃいます。私は食事をしながらみなさんといろんな話をしました。どうして崔さんは日本籍をもたないの、なんか持っていいことがありますか(等など)。みなさんのドイツにいらした経過をもっとお聞きしたかったですね。楽しいひと時でした。

この写真には写っていませんが、実は大学の同級生がここにいます。40年前の大学闘争の時代のなんとも表現できない複雑な感情から、私は1学年200人という数少ない学生とも卒業後ほとんで会うことはありませんでした。しかし今回のドイツ行に際して、1年後輩にあたる女性(複数)には大変、お世話になりました。同級生がどのような人生を歩んできたのかも垣間見ることができました。また原告団の中にも1年先輩の女性がいらして、何か急に卒業した昔のことがなつかしくなりました。大学闘争の真っただ中、その渦中で誰もが自分の生き方を問い、そして今に至っているのです。70近くなってからの再会はわたしとってはとてもうれしいものでした。

ベルリンでは少し若い世代に属する反原発運動をしている方ともお会いしました。彼女は日本にいた時から運動をされていた方ではないようです。しかしなんとか若い世代にも原発に関心をもってもらおう、デモに参加してもらおうとさまざまな工夫をこらしているようでした。原発の専門知識を持つ方もいらして、人口300万人の国際都市ベルリンで、この輪がひろがり、ドイツ社会にも影響を与えるようになってほしいですね。

韓国の知人からの紹介でベルリン在住の韓国人とも会いました。彼らは私の話を聞き則、そうかメーカー責任ということまでは思いつかなかった、さっそく多くの人に広めようと話していました。
博士過程で学ぶ彼は家族で来ているのですが、ドイツでの生活を聞いてみると、冗談めかしてここは天国ですよ、ということでした。日本の人も基本的にはドイツ社会のあり方に深い尊敬の念を持っていると感じました。

 次はデユッセルドルフというむしろオランダに近い、日本人が一番沢山居住する都市での会合の様子です。右端の空色のチェックのシャツを着ていらっしゃる方が、今度、原発ゼロへのカウントダウンinかわさきの運営委員会で話をして下さる女性です。
デユッセルドルフは企業関係の人が多く、反核運動に関わるのは簡単ではない、と共同代表の高岡さんのお話でした。
 しかしこのように駅を模したビアホールで食事をしながら、私はどうしてドイツに来たのかという話をさせていただきました。
小さめのグラスであまりに美味しいビールとソーセージ類を食しながら、今日はもう何も話さなくてもいいかと思っていたのですが、高岡さんに促されて原発メーカー訴訟と、私の在日の立場から見えてきたことを話しました。ほとんでの人はここで帰る予定だったのですが、高岡さんの自宅の二次会に向かいました。
この写真撮影の時、「崔さん、わざわざドイツまで来てくださってありがとう」と涙される女性もいらして、私はこの運動にかかわるようにようになってよかったとしみじみと思った次第です。
 ここにはベルリンからいらしたフリーのカメラマンも参加しました。なんと彼は流ちょうな韓国語を話すではありませんか。韓国の従軍「慰安婦」のナヌムの家に3年いたとのことでした。
東京で3・11以降、体調を壊し九州に行ったがそこでも調子はよくなくドイツまでいらした女性もその中にいました。経営していたレストランを止め、子どもの為にドイツに来た御夫婦とも話しをしました。子どもはのびのびと学校生活をエンジョイしているようなので、よかったですね。


デユッセルドルフではベトナムの人との交流があるようでしたが、これからは韓国人をはじめ、アジアの人たちと一緒にデモをし、今後原発は世界の半分がアジアに集中するという時代になるのですから、アジアに対する関心と正確な情報をドイツにもたらし、大きな運動になってほしいと願います。
 

 
 この方はハイデルベルグの著名な神学者です。アジアの政治動向に関心があり、韓国の民主化闘争に40年も前から関わってこられた方です。
ソウルでお会いした時に、日本のなんともやりきれないばかりの閉塞状況を説明したときに彼の方から言われた言葉が、Revolutionary Patienceでした。韓国の独裁政権のときに留学したことのある私はその言葉を深く受けとめました。
彼は私の話を聞き、崔君、君は虎の尻尾を掴んだね、決して放すことなくまた油断することなくやっていかなければならない、また、ほとんどの人は表面的な理解しかしないかもしれないが、この原発メーカー訴訟は資本主義社会の根本的な問題の象徴だから、この闘いは他の分野にも大きな影響を与える、と話されました。 
ルクセンブルグには金融界、軍事産業などのロビー活動する人が千人もおり、彼らが見えないところで世界を動かしているそうです。韓国の金容福博士と共に今後のWCC(世界キリスト教協議会)へのアプローチについてご指導いただきたいと考えています。

 彼はドイツ最大の環境団体のBUNDの政治局長です。下の写真は技術畑の博士です。
ニュールンベルグはドイツ全体の中でも大きな組織らしいのですが、BUND全体として取り組みをどうするのかに関しては、弁護士の会長とよく相談するということでした。2次訴訟までは時間があまりないのですが、このようなBUNDやWCCという国際的な影響力をもつ団体とも話し合いを進めていきたいと考えています。
この博士に原告になる条件のことを話したのですが、まず、事業者とそれを支援する政府のお金はすべてパブリック・マネーで
結局、市民からとった電気量と税金で賠償金を支払うシステムになっているという点と、海外の原告が無料だということに驚いていました。弁護士への報酬はどうするのか?おっしゃる通り、私は弁護団の顔を思い浮かべながら、そうだよな、それが世界の常識だよなと納得しました。

これはニュールンベルグの駅から近い、商店街がある地域の様子です。近くには運河があり、このような古い教会が数多くありました。 

Wikipediaにはこのように書かれています。
この街はナチスにとって「帝国党大会の街」としてプロパガンダの上で重要な都市であった。1935年の党大会においてユダヤ人から市民権を剥奪する法(「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」)が定められ、一般的にはニュルンベルク法と呼ばれている。ナチスはこの法律により反ユダヤ主義思想の法的根拠を得たのである。このようにニュルンベルクは、ナチス党政権下のドイツを象徴する都市となった。
第二次世界大戦後、1945年から戦勝国はナチス独裁政権下の指導的戦争犯罪人に対する裁判、いわゆる「ニュルンベルク裁判」を実施した。 

ドイツのナチが合法的に権力を握りユダヤ人を虐殺したということは今の日本の政治状況を考えるとどういうことになるでしょうか。合法的に特定秘密法案を通し、憲法を「改悪」し、民意の名の下で権力者が好き放題する時代になってきました。
私はRevolutionary Patienceという言葉を受けとめ、今の日本の状況の中でやるべきことは何か、しっかりと考えていきたいと思います。

参考資料:ベルリンの「みどりの1kWhドイツから風にのって」HP より

                  原発メーカーを訴える

まる / 2014年2月9日
福島原発事故の責任は誰にあるのでしょうか? 東電? 国? 1月30日、東京地裁で、32カ国1415人が原発メーカー3社を相手に訴訟を起こしました。この「原発メーカー訴訟」の会事務局長、崔勝久(チェ•スング)さんに、ベルリンでお話をうかがう機会がありました。
だいたい、福島原発の原子炉をつくったのがどこのメーカーかを知っている人が、どれだけいるでしょうか? それはGE(ゼネラル•エレクトリック)、日立製作所、東芝です(1号機はGE、2号機はGEと東芝、3号機は東芝、4号機は日立)。でも、日本の原子力損害賠償法(原賠法)は、原発事故の賠償責任を電力会社だけに限定しており(これを「責任集中制」というそうです)、メーカーは免責されています。だから、これらのメーカーは福島の大惨事後も何の責任も問われることなく、は原発を外国に輸出しようとしてさえしています。日本政府も、安倍首相が自らトルコやベトナムにトップセールスに出かけるなど、福島原発事故を起こした当事国とは思えない動きをしています。
崔さんによれば、日本の原賠法は、「GEが日本初の原発をつくる時に作った法律」だそうです。当時はまだ原発の技術とノウハウを持っていなかった日本は、製造者責任を追及しない法律を作らなければ、原発を動かすのに必要な濃縮ウランを渡さないと米国や英国に強く迫られて、そういう法律を成立させたのだそうです。そして、GEの原子炉はマークI型といいますが、欠陥があることは分かっていながら日本に輸出され、それについては1976年に設計者が米国の上院で証言しました。
そもそも、この原賠法自体が憲法違反なのではないか? 国籍や民族に関係なく、「原子力の恐怖から逃れて生きる権利があるのでは?」ということで、この権利が侵害されていると裁判で主張するそうです。また、メーカー3社に責任を認めさせることが目的であり、求める損害賠償額の問題ではないので、原告一人当たり100円と低く抑えたということです。
2011年3月11日、福島原発事故を見て、「人間、国籍に関係なく、死ぬ時は死ぬ」と思った崔さんは、在日韓国人でキリスト教徒です。子供のころは日本名を使って生活し、大学入学時に本名を名のるようになり、卒業後は在日韓国人問題研究所の所長になった方です。居住地である川崎市などで「在日韓国・朝鮮人が本名で生きていける社会を作る」ため、さまざまな地域活動もされてきています。
さて、「原発メーカー訴訟」の会を代表するのは、自称“ロックン•ローヤー”の島昭宏さんです。「ロックンローラーでは世界は動かせない」と40歳で弁護士に転身したそうで、2012年に「シロクマ公害裁判」を起こして注目されました。(島昭宏さんによる「原発メーカー訴訟の法的根拠について」の説明はこれを参照→訴訟の法的根拠
崔さんは、「島さんがシロクマを原告に裁判を起こす発想のある人だからこそ、今回の裁判もできる」と言います。そして、崔さんをさらに力づけているのは、約40年前に関わった「日立闘争」で全面勝利した時の経験です。
1970年代初頭、当時18歳だった朴鐘碩(パク・チョンソク)さんが、当時使っていた日本名を使って日立製作所の入社試験を受けました。就職は内定したのですが、後日、朴さんが在日韓国人であることが分かると、日立は内定を取り消しました。そこで、朴さんは日立製作所を訴えました。日立は「そんな嘘をつく人間は雇えない」と内定取り消しを理由付けたものの、内部告発があり、実は「身体障害者、熱心な創価学会会員、共産主義者、外国人は雇わない」という社の方針があったことが明らかになりました。この闘争は日本国内外でも大いに注目を浴び、韓国や米国などで日立製品の不買運動が起きました。結局日立は、それまでにそのような差別があったことを認め、将来的には国籍や民族などによる差別をしないという誓約書に当時の常務が署名、決着が付いたそうです。そして、これをきっかけに、在日韓国•朝鮮人の方々の、日本企業での就職の道が開かれました。朴さんは、4年かかった裁判の後、日立製作所に就職。2013年夏に定年退職されました
崔さんは、モンゴル、台湾、フィリピン、インドネシアなども廻って原発体制に抗する国際的な連帯を作ることにも尽力されています。「福島に原発があることと沖縄に米軍基地を押しつけることは、弱いところ弱いところに犠牲をしわよせすることで共通している」と京都大学の小出裕章さんは言っていますが、これらの国々に原発を輸出したり、核のゴミを押し付けたりするのも、差別と格差を輸出すること、新たな植民地体制を作ることと同じだと私は思います。
また、ここ数年、在日の方たちに対するヘイトスピーチが日本の各地で堂々と行われていることは、ドイツにも伝わっています。スピーチの内容を聞くと恐ろしくなるし、日本がそんなことが許される社会であることにショックを受けます。そして私は、日本に住んでいた頃の自分が、在日の方たちに対する差別を意識しなかったのはなぜだろうと思っていました。崔さんのお話では今でも80〜90%くらいの在日の方たちが日本名を使って生活されているということです。ということは、彼らが私に見えていなかっただけ、だから意識もなかったのではないか、それって原発問題と一緒ではないかと思いました。「見ざる聞かざる」の日本社会では、見えないものは存在しないも等しいのです。
日本へ帰国された崔さんから届いたメールには、「今回のドイツ訪問で、私は在日として生きて求めて来たことと、今回の原発メーカー訴訟がいかに深くつながっているのか、その延長上にあるのかということをしっかりと理解いたしました」と書いてありました。
ベルリンで、「今回の訴訟は第2の日立闘争になるかもしれない」ときっぱりおっしゃった崔さんには、覚悟というか、自信さえ見られました。40年の時を経て、再び、世界の差別と抑圧と戦う舞台がやってきた。そんな感じがして、私もわくわくするのでした。
「原発メーカー訴訟」の会では、現在も、今年3月初旬に予定する第2提訴に向けて、世界中で原告を募集しています。原告になる条件は「福島原発事故で精神的ショックを受けた」こと。国籍や居住地は問いません。日本国内在住の原告は年間2000円を払うことになっていますが、海外在住の場合は無料です。
原告になりたい方、応援したい方はこのリンクをご参照ください。
訴訟の日本国内外での反応
崔 勝久さんのブログ
http://oklos-che.blogspot.de/
               

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