2013年11月19日火曜日

原発ゼロ運動は日本一国ではできない、このことを地域から提案しよう

また来る来年の3・11集会をもつにあたって何を考えるべきなのか

来年の「3・11集会」をどのようなものとして開催すべきかなのか、これは東京においても各地方においても検討されるべきものです。私の住む川崎市においても検討され始めています。恒例ということで2000人動員のための方法論の検討に終わらず、川崎集会の意義をさらに突き詰めるところから議論をはじめるべきだと考えます。そうすると具体的な催し物はすぐに発案されると思います。

(1)原発ゼロは日本一国でなく、市民の国際連帯によってのみ実現可能
1.日本のこれまでの運動はどうして日本国内のことに終始していたのか
日本全体で市民のもつ再稼働反対の気持ちが政治に反映されず、再稼働・新規建設をねらう自民党政権が大きく伸び権力を掌握したことをどのようにとらえるのかという大きな問題があります。選挙制度の問題にする意見もありますが、まず安倍政権を国民は支持している事実はしっかりと直視する必要があるでしょう。私はその第一は、不況からの脱却を謳う経済政策に多くの国民は賛同したのだと理解しています。

何よりも新経済政策として、先の民主党政権から引き続き原発輸出を安倍政権がさらに大がかりに進めようとしている点に注目すべきです。原発の即時廃止を謳った小泉元首相もその点に関しては意見を述べず記者からの質問もありませんでした。海外の目からは、再稼働を反対する国民が大多数のところで自己の経済発展のために原発輸出を進める政権を選び、その政策に反対の声がほとんどあがらないというのは理解できないようです。

3・11事故にもかかわらず、日本政府は安倍首相が率先してヴェトナム、トルコ、ヨルダンなどへの原発輸出を具体化させています。日本の原発メーカーは欧米の原子力メーカーを次々に買収し、今や世界最大級の企業になっています。

日本の原発輸出第一号の台湾の第四原発は、日立・東芝・三菱・GEが建設したもので、現在台湾ではその廃炉を巡って大きな運動になっています。しかしこの間、日本では台湾市民の要請に応えて彼らの廃炉を進める運動を支持し連帯することはほとんどなかったのです。これはどういうことでしょうか。

2.事故の責任を免責した「原賠法」の問題点
経済発展の為なら、不況脱却のためなら他国に事故の起こる可能性がある原発を輸出してもよいというのはまったく倫理的ではありません。ましてや福島事故の悲惨さを経験した国民がそのような他国への加害に至る事業を黙認すべきではありません。国民道徳の腐敗につながる危険な考え方です。しかし実はこれは日本国家が「原子力事業の健全な発達に資することを目的」にした原子力損害賠償法(原賠法)という法律を制定していたことに起因するということを皆さんはご存じだったでしょうか。この法律によって原発メーカーは事故の責任を免責されることになったのです。従って法曹界は勿論、マスコミ、原発反対論者の中でもメーカーの責任を追求する声が一切あがらなかったのです。

世界中がすべてそのようになっています。日本を代表する自然エネルギー提唱者がこのことをまったく知らなかったことに私は唖然としました。これは日本だけでなく、韓国も台湾も原発を持つ国々はすべてその法律をアメリカから作らされたのです。GEGeneral Electric)という世界最大のコングロマリットが日本に輸出する際に制定された法律です。
そして日本や韓国は今度は自分が輸出する段になってその相手国に同じ法律を作らせ事故が起こっても自分たちには害が及ばないようにしたのが原賠法です。原発体制というのはまさに戦後の植民地無き植民地主義だと看破した故西川長夫さんの仮説が見事にあてはまるように思います。

3.「原賠法」の背景―列強の核による世界支配の強化
ではどうしてアメリカは原賠法を各国に作らせたのでしょうか。それはNPT(核不拡散条約)体制といって、核をもつアメリカを中心にした世界の列強が自分達以外には核を持たせず、核によって世界を支配するためです。それを原子力の平和利用ということでアメリカは核兵器を作らせない条件に原発を作らせ、ウラン燃料の供給、原発建設の核心技術のライセンス提供によってNPT体制の強化を謀ったのです。残念ながら日本の全ての政党は原子力の平和利用というアメリカの戦略を受け入れ賛成してきました。日本の原発政策を問う根幹はこの原賠法の廃止にあると言っても過言ではありません。はたして日本の政党は謙虚にこのことに賛成してきた誤りを認めるでしょうか。

今や、原発と核兵器製造は紙一重、原発で製造されたプルトニウムはいつでも原爆に使われるという意味でコインの表裏だということは今回の福島事故によって明らかにされました。日本は世界最大であったウエスチンハウス(WH)社を東芝が買収したことで、今後のアジアにおける世界の半分を占める東北アジアでの原発建設のヘゲモニーを握ることになるでしょう。その原発の実験炉が川崎の東芝工場にあり、原発建設の下請け工場が川崎にあるのです。今後中国で建設される原発の部品は川崎から供給されることになるでしょう。
私たちは川崎の景気がよくなればいいということで知らん顔をするのでしょうか。それでは朝鮮戦争とヴェトナム戦争の特需で景気がよくなったと喜んできた過去の過ちを繰り返すことにならないでしょうか。

日本はアメリカの植民地下にありながら、核の傘下で核の恩恵を受けながら、いつでも核兵器を開発できるようにロケット技術と原発建設に邁進してきた潜在的核保有国なのです。
そして今度は自ら他国を植民地化すべく海外へ原発を売り込もうとしているというのが日本の現状です。このような現実を直視せず、原発問題をエネルギー問題としてだけを捉えることはいかに世界・歴史の実態に目をそむけたものかお分かりいただけると思います。

自然エネルギーが即原発に対置するまでに一定の時間がかかるということでアメリカのシェールガスが注目されています。しかしこれもアメリカの植民地支配の戦略として使われることは明らかでしょう。当分は石炭を利用したダブルコンバイン方式などこそ、石炭の多いモンゴルで有効活用されるべきだと思うのですが、そのモンゴルは2040年にオリンピックを開催し、原発を国内で作る計画を持っています。それを支えるのは実は日本です。日米モンゴル間のCFS(包括的燃料供給)構想では、ウランの発掘、精錬、輸出そして使用済み核燃料の輸入、埋蔵計画が明らかになりました。当局は必至に否定しますが、日本政府の異常なまでの肩入れは逆にその構想が行きていることを伺わせます。

(2)地域の民主主義と住民主権を求める運動を
1.川崎に脱核宣言を
川崎は非核宣言をした政令都市です。しかし安倍政権の間は、3・11によって核兵器と原発は表裏一体ということが明らかになったにも拘らず、脱核宣言をしようもせず、むしろ3・11事故による放射能によってゴミの焼却灰を内海に投下するという愚策を市民に説明なく実施しました。これは線量の高い汚染水でも希釈すれば海に投下してもよいという福島の汚染水処理の先駆けというべきもので、これは国の政策をいち早く川崎市は取り入れ、海中での生体濃縮はないなどと政府の代弁をしてきました。しかし新市長の下、
市民の不安を取り除くために情報の共有化を約束した福田市長は市民の期待に沿い、市民が行政と一緒になってこの難問になり組むことに一歩を踏み出すのか、注目すべきでしょう。

2.川崎をNuclear Free City
川崎にある東芝の実験原子炉は東芝と行政との説明にも拘らず、安全だと言いながら、
いざというときの場合に設置された対応拠点(オフサイトセンター)はあまりに大掛かりなものです。
  20111128日月曜日
  「川崎の実験炉 再稼働へ」(東京新聞 11/26) から思うこと
  http://oklos-che.blogspot.jp/2011/11/blog-post_28.html
脱核宣言をすること、そして川崎をNuclear Free Cityにする市民運動が不可欠です。そのことによって市民は、原子力の恐怖から逃れ平安な生活をする権利があることを宣言すべきだと考えます。もちろん、他国の市民にその人権を侵害するような産業を川崎で認めることはできません。そのような高い倫理性が市民に求められ、それに議会も応じるようになるような長期的な運動が必要でしょう。

3.臨海部の放射性物質の除去は東電の責任
現在高い放射線量の焼却灰はそのまま東京湾の埋立地である臨海部に放置されたままです。これなどは当然東京電力に請求すべきことですが、この間の市との交渉内容は公表されていません。一部は認めたらしいのですが、全容は不明です。このことも市民運動として問題にすべきことです。

4.すべての自然災害から市民の安全を
3・11の事故は津波、地震、原発事故が重なったものです。そのいずれの要因に対しても行政は市民の不安を解決する義務があるのです。今回のフィリピンの台風で、日本でも大型の台風による高潮の災害が起こる可能性が高いことがテレビで放映されていました。東京中心のもので神奈川県、川崎市ではその情報をどのように市民に伝えるのか、これまでの阿部市長のように、自助・共助の強調だけで公助という本来の行政の責任を放棄したような政策は早急に見直すべきでしょう。

津波・高潮による災害は川崎の場合、他都市と違って臨海部の石油コンビナートとの関連によってそこから流れ出される有害物質、石油などによって市民生活に大きな影響を与えるのですが、これまでは行政の縦割りで市民に十分な情報が与えられず、また市民が行政と一緒になって課題を検討するという場もありませんでした。放置されたままの焼却灰もいつ津波などが来るかわからない状況下で何の対応策も示されないのは行政の無責任、市民の権利意識の希薄さを物語ります。川崎市の民主主義は市民の自覚と共に、住民主権の実現を積み重ねる実践によってのみ可能になります。

5.外国人も地域住民として、当事者として災害問題に関わるべし
川崎市は外国人が多く居住し、多文化共生政策をいち早く打ちだした政令都市です。
しかし同じ住民であるということは自然災害や放射線物質などの災害には国籍や民族などの違いにかかわらず同じように被害に遭うということです。ですから文化や権益擁護の問題は重要ですが、同じ川崎市民として外国籍の市民もまた地方と都市、そして日本企業が原発輸出を敢行し加害者の立場になるような事態に対しては、同様の責任があるということの自覚は重要です。よそ者ではなく、まさに当事者として市民の生命にかかわる問題、

在日もまた日本に居住することで享受する利益に伴う責任があり、それに伴う行動を日本籍市民と共に担っていく責務があることを最後に付記します。

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