2013年7月23日火曜日

韓国の被爆2世からの心打つ、未来に向けたメッセージ

昨夜は、韓国の被爆者2世の女性お二人を川崎にお呼びしてお話を伺いました。「学歴もお金もなく」、心身ともに苦しみの中で生きてきた彼女たちからの口から、どうしてあのような社会の矛盾の本質を見抜き、新しい世界に立ち向かうとする勇気ある、素晴らしい言葉が発せられるのでしょうか。社会を変えるのは人の苦しみを担いあい、命をかけて闘う生き方をする人たちだということがよくわかりました。

韓国では被爆者1世、2世を問わず、被爆した人を支援する特別法の制定が議論されるところまでようやく来たそうです。患友会という被爆2世の集まりで、会長の韓正淳(ハン・ジョンスン)さんは3代目らしいのですが、事務局長のチン・ギョンスクさんと文字通り一心同体として筆舌に絶する心身の苦しみのなかで生きて来られ、そこから歩みはじめた女性です。すくっと現実の真っただ中に立つ一人の女性の生きざまに圧倒されます。

チン・ギョンスクさんのお話は具体的で、自分自身の環境を含め周りの被爆2世、3世の実態を説明されました。最後に言われたことは印象的です。自分たちは自分たちの苦しみの状態を訴えに来たのではない、被曝1世が亡くなれば問題は解決すると判断している日本、韓国政府に対して今から闘いがはじまる、この被爆による苦しみは韓国でも日本でもいつ原発事故によって誰もが経験する可能性があり、だからこそ人として手をとりあって原発の無い、平和な社会、人が人として生きていける社会を目指して歩みたい、と話されました。

一方、昨日のブログで証言内容を公開しましたが、ハン・ジョンスンは、民衆法廷では言えなかったが、来日した目的は自分たちの苦しみの状態を訴えることではない、ということで本音を話されました。

それは、広島・長崎で被爆した70万人の1割が朝鮮人であるなら残りの9割が日本人であるということであり、そのような多くの人の中で自分たちと同じように被爆2世、3世として肉体的な、精神的な苦しみを持って生きているはずであり、自分たちはそのような人と手を組んでいきたい、隠さないで、被爆の実態を明らかにして私たちと一緒にお互いの壁を乗り越えて行こう、というものでした。ご自分の経験から隠すことは解決にならない、という確信をお持ちのようでした。

原発を問う民衆法廷ー第10回東京最終法廷
http://oklos-che.blogspot.jp/2013/07/10.html

ご自身の経験と今の社会がもつ原発の問題をしっかりとひとつのものとして受けとめ、在韓被爆者の問題は、日本帝国主義とアメリカの非人道的な核兵器の投下という行為によって生じたと捉えています。まさにその通りでしょう。私はだからこそ、原発体制は戦後の植民地主義であり、反核(核兵器、核発電)、反格差の立場から原発の建設、原発の輸出に反対するという態度を明確にしなければならないと考えます。

圧倒的な右傾化が予想される日本で今後どのような活動をするのか、それは地域における具体的な活動であり、市民による反核国際連帯運動を進めることでしょう。

3 件のコメント:

  1. お疲れ様です。日本の原爆の被災者が差別を受けないために、隠し通してきたことが、韓国人ヒバクシャの問題・現在の福島の問題・日本海(便宜上こっち使います)沿岸の核施設の問題になってきているんですよね。
    原発の場合、少なくとも同じ土地で暮らしてきた日本人の方が、健康被害が大きいはずなので、どんな力が加わったのかと、勘ぐりたくなります。
    シェアさせていただきますm(__)m。

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  2. すみません。4行目のは、「原発」じゃなくて、「原爆」です。
    失礼しました。

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  3. 斎藤さん、ありがとうございます。
    差別に敢然と立ちあがって闘うべきだというのは、その通りの正論です。在日の差別の問題も
    ある意味では同じ質をもっていました。本名の使用もそうです。40年前の私が学生だったころ、
    私は差別と闘うこと、本名を使うことを主張した運動を展開しました。その結果、私の子どもはむみんな本名で生きていますし、差別との闘いというのは川崎で国籍条項の撤廃、民族差別と闘う砦づくりという地域活動は、今はふれあい館の実践につながてきていると思います。

    しかしそれから40年経って、私は在日の子どもを本名で行きるようにさせる日本人教師のに批判的です。どうして自分の在任中に成果を求めるのか、卒業して公務員になっても管理職にならせない、好きなやりたい仕事にも「公権力の行使」という仕事にも就けない、こういう実態を教師は自らの問題として闘い、社会を変えようとしているのか。正義だ、差別との闘いを促しながら、教師自身は段々きびしくなる職場でどのように生きているのか、そのような疑問がわきます。

    ですから、被爆者2世は差別と闘うべきだという一般論に私は与しないのです。しかし当事者である被爆者自身が同じ被曝者2世に呼びかけるのは別です。おなじ苦しみを持つ者同士が協力し合おうというのはよく理解できます。

    ですから今の私の考えは、民衆法廷の判決では触れられなかったのですが、日本の被爆者二世には差罰と闘うことをうながすのではなく、それは時間をかけてひたすら我慢強く見守り、待つしかないのですが、被爆者をして自分を隠して生きようとせざるを得ない社会の構成員(加害者)として、まず被爆遺伝に対する解明、被曝当事者には手厚い治療、生活保障、法的な整備、これらを整備することは自分たちの責任でやれることです。

    これらのことを民衆法廷は韓国から被爆者2世を招待し、彼女たちの生活の実態を聴いた以上、観念的に問われているのは自分自身だという言葉で終らず、韓国での2世の実態から、日本社会にも同じように苦しむ被爆者2世が存在するとしっかりと受けとめて、上記の点の実行を即急に実施すべきだと思います。

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