2013年6月5日水曜日

従軍「慰安婦」にされたハルモ二の手紙をもう一度読みませんか

期せずして私が共同代表をしている「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)のメンバーから日本の議員に充てた1997年当時の従軍「慰安婦」の手記とそれに対する意見が述べられていました。橋下発言や安倍政権の動向に対する危惧から発言されたものと思います。

もう一度読書のみなさんにも従軍「慰安婦」当事者のハルモ二の書かれた手紙を読んでいただきたいと思います。そしてこの問題は、韓国の憲法裁判所の決定により、日本政府が
「解決済み」として日韓協定3条の両国間の「紛争」(協定解釈における相違の意味)がある場合の手続きまで記されていることを無視しており、日本政府そして日本国民がその事実を直視し、具体的な解決(政府の公式な謝罪)をしなければ、それも早急に、ということであることを念頭においていただきたいと思います。

また鶴ヶ岡さんが言及されている、戦争中、捕虜の殺害を命じた上司の命令に背いて迫害を受け続けた兵士の短歌集『小さな抵抗』について私もブログでとりあげています。合わせて一読ください。
石原東京都知事、河村名古屋知事の発言を擁護ー「南京大虐殺」違う
http://www.oklos-che.com/2012/02/blog-post_25.html

いとしくていとしくたまらない心情で描かれた裸婦像を前にして
http://www.oklos-che.com/2013/02/blog-post_27.html
                                崔 勝久

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崔さん、ありがとうございます!
どうぞ、ブログにて用いて下されば光栄です。
崔さんには、韓国語は得意な言語だと思いますが、私を含めてそうではない方々のために、(1997年のナヌムの家からの)手紙全文(添付されてきた日本語訳)をここに掲載させてもらいます。

1997年当時、ナヌムの家と関わりを持たれてきた金沢カトリック教会のシスターから、ハルモ二達が日本の議員諸氏に出した手紙の、写しを送ってもらいました。もちろん、日本語訳付きですが、血判のような思いの滲んだハングル文字を見て驚き、何十枚もカラーコピーして、関わりのある平和活動家達に手渡したり送付したりしました。

日本の議会の議員の皆さんへ

「ナヌムの家」では、私たち9名の元日本軍慰安婦が、共同生活をしています。私たちには皆、いまだに部屋の入り口の鍵を閉めなければ、夜寝られない、という癖があります。絵を描いている金順徳(キム・スンドク)ハルモ二は、「日本が犯した犯罪は、過ぎ去った過去の問題ではなく、まだ続いている、いま、現在の痛みだ」と言っています。夜9時になると、なにかあるごとに目を覚まし、眠れないことが多いのです。もう、50年以上も過ぎ去ったというのに・・・。

 私たちは、この50年間、だれも戦場でそのようなことを経験したと言えず、沈黙を守って生きてきました。しかし日本は、私たちをそっとしておいてくれませんでした。当時の戦争被害者がいまでも生きているのに、日本政府は日本軍慰安婦問題について、自発的な商行為だったなどの歪曲した主張をしており、過去に恥辱の日々を体験した私たちは、憤怒しないわけにはいきません。

 日本人は戦争犠牲者であり、子孫たちに祖先が犯した恥ずかしい過去を残さないようにと、歴史教科書に記述された日本軍慰安婦問題を削除させようという動きが、現在起こっています。しかし、歴史の真実はいつか明らかにされるものです。

 戦争犠牲者である私たちが、苦痛の過去を探し出し暴露するのは、日本をやみくもに恨み非難するためではなく、これからの世代はこのような過去を再び繰り返してはいけないということを残すためなのです。日本人であるあなたたちの子孫が、過去の歴史を正しく理解して、その反省をもとに、過去を心から懺悔できるように、歴史の引導者となられることを、議員の皆様に心からお願いいたします。


1997年10月10日
「ナヌムの家」 ハルモ二一同        
キム・スンドク、ぺ・チュニ、イ・ヨッタム、ファン・オギム、キム・ワナム、
キム・ボクトン、パク・トゥリ、キム・オクチュ、パク・オンリョン

 船橋ご在住の、渡部良三さんという方がおられます。初年兵としての中国大陸で、度胸だめしに行われていた中国人捕虜の刺殺訓練を、その場で拒否。
その後、軍隊内部でありとあらゆるリンチを受けつつも、生きのび、帰国。戦後、長い時を数えてから、その時に密かに書いていた短歌を『小さな抵抗』として出版されています。『鳴りとよむ 大いなる者の声きこゆ 「虐殺こばめ生命を賭けよ」』 『慰安所に 足を向けざる兵もあり 虐殺拒みし安堵にも似る』 ~無教会の方です。
(渡部さんのお父様の弥一郎氏と、基督教独立学園開設者の鈴木弼美氏は、無教会主義キリスト者として、治安維持法違反の嫌疑で逮捕されています。)

「過去の歴史」を学ぶということや、「差別の現実」に学ぶということは、それが現在や未来に生かされてこそ、大いに意味があるものだと思います。物質的に豊富過ぎることや拝金主義の横行と共に、貪欲さやリベンジということがもてはやされる時代には、そのような大切なことが影を潜めてしまいがちになります。
だからこそ、明確にはっきりと主張しながら、自分の小さな人生=日常を歩いていきたいと願います。祈。

                                                        鶴ヶ岡裕一拝
                                   2013/06/04

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牧野時夫さんのFacobookより

●橋下市長は、慰安所制度は日本だけのものではなかったし、慰安所制度がない一方で戦利品として強姦を奨励する国もあったとする(wikipedia「慰安婦」の項によればソ連や朝鮮)ことから、強姦を防止する意味で必要だったと言いたかったのではないかと思う。在沖米軍に風俗の利用を勧めたというのも、米兵によるレイプ事件がなくならないことから、それによってレイプがなくなれば良いという考えで発言したものだろう。この風俗発言については、米国に失礼だったとして撤回して謝罪したが、慰安婦必要論については、自分がそう考えているのではなく各国の軍隊がそう考えていると言いたかったのだと、訳の分からぬ弁明をして撤回はしていない。いずれにしても、女性の人権を無視した発言だし、男性はみなそういうものだと決め付けるのも問題だ。外国だってひどいことをしていたのだから、日本は特別悪いわけじゃないというような屁理屈は、言い訳にもならない。

 旧日本軍であろうと、沖縄駐留のアメリカ海兵隊であろうと、軍隊そのものが、戦争をするための組織であり、人間性を無視した人殺しを目的としたものであることに、問題の本質があることは間違いがない。私自身は、軍隊という組織そのものに賛成しないし、戦争をしないために軍隊も持たないとした日本国憲法の精神を世界に広め、二度と従軍慰安婦の悲劇を生まないようにしたいと思う。



●日本人の考えの底流には、戦争時の特高警察権力に対する恐れとか、権力者自身の、倫理から大きく外れることに対する恐れの欠如、むしろ、それまでの抑圧された事への反発としての独裁志向などが未整理のままになっていて、未成熟の民主主義の中で、経済だけが突出した状況であるような気がします。口先だけの言い訳を臆面もなく強弁しあたかもそうした考えにも正当性があると思わせてゆく。こんな言動にもっと一般市民が発言し世論を形成してゆく意識と力を持たなければならないと痛切に感じます。

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