2013年4月13日土曜日

『近代の光と闇』(色川大吉)から学ぶこと


(民衆史、個人史の提唱者)
色川大吉は一筋縄ではいかない歴史家だと思いました。いろんな光を出すのですが、それは体系だった理論というより、民衆というものを基盤にして、そこからにじみ出るものを引き出し大切にしていく学者だという印象を強く受けます。

色川は既成概念に依拠せず、自分で一つひとつ地方の蔵で埋もれていた資料を探し出し、そこから明治の民衆の憲法草案やそこに盛り込まれた人権に対する熱い思いを嗅ぎ取ります。それはたまたま発見した五日市憲法草案を作りあげた多摩の人たちだけでなく、恐らく全国各地でそのような流れがあったのでしょう。

彼はマルクス主義による歴史観が大きな流れになっていた当時の学会にあって、「華々しい表現もしない多くの普通の民がいて、その人々が歴史を基底で支えている。・・・その人々の意識と行動を歴史の研究対象に据えない限り、今までの固定した考え方や学問からは脱却することはできない」という考え方から、民衆思想史という視点を出し、その「民衆史は硬直した、経済構造一元論のような、あるいは硬直した西欧中心の人間把握に対する否定であり、そのパラダイムを批判するという視点からうまれた」と記します。

従って大塚久雄や丸山真男らの近代主義的な思想史の方法には、「真っ向から挑戦する」ものにならざるをえないのですが、しかし民衆史も徐々に多数派になるにつれその戦闘性、批判性が薄れてしまい、「民衆史の持っていた積極的な意味というものが薄れるようになった」と本人も認めます。色川大吉は民衆思想史の研究を進めながら個人史の提唱者になります。それが今の自分史の出版ブームになってきたのです。

(近代の光と闇)
『近代の光と闇』は、五部構成になっており、作者はその中でも「近代の光と闇」論文を核心的な論考としています。光の部分は宮沢賢治であり、当時の閉塞した時代にあって国境を超える思想を文学の世界で展開できたところに注目し、こそに未来の可能性を見ようとするのです。

闇はオウム真理教の麻原影晃を取り上げ分析します。麻原の起こしたサリン事件は、新左翼運動の流れから出てきた「反日武装戦線」との類似性を持ちつつ、むしろ戦前の天皇制国家に酷似したものと見做します。マインドコントロールです。麻原は天皇性の解体をめざそうとして、同質の組織を作り上げました。色川はそこに近代社会の「手の施しようのない虚無感」を見るのです。

「現代日本人はこのオウム事件によって、その病理や矛盾や明日の可能性をも照射されたのである。さらにこれは日本の問題にとどまらない。世界の多くの工業国がこれから直面する難問でもあることを示している」と言う言葉で論文を終えます。

色川の歴史論集の中で、近代多摩における無名の人たちの人権、憲法にかける思いを記したくだりは大変興味深いものです。西欧の思想家の翻訳本から学びながら、天皇制を相対化して人権を掲げる思想を当時の人たちが既に持っていたことを示します。しかし明治憲法は、そのような市井において提案されてきた憲法案を完全に無視する形で作られました。色川たちの研究がなければ、私たちは教科書で知った明治憲法のことしか知らず、もっと開かれた考えをもった人たちが全国でもたくさんいたという事実を知ることはなかったでしょう。

(憲法論争ー占領軍から押しつけられたのか)
色川の「憲法についての三題」も興味深いものです。2000年5月に発表されたものですが、まさにこの7月の参議院選を前にして書かれているかのように思えます。彼は10数年前に今の事態を予測していたかのようです。その時の憲法論争の問題点の指摘は今、この時代において共有化されるべきものだと強く思います。

まず色川が問うのは、何故憲法改正論者が、第一条を問題にしないのかという点です。中曽根らが謀ってきたことは、「日本国の主権は万世一系の天皇にあり、天皇は日本の元首である」と変えたがっているということであり、「何年もかけてしわりじわりと既成事実を積み重ねがら国民世論の地ならしをして改憲賛成派議員を増やし」、可決させる目論見と捉えます。そしてまさに今、安倍政権になってそのような事態になってきました。憲法改正を容易にするために、その手続きの96条から変えようとしています。

色川は具体的な当時の事実を取り上げ、憲法が占領軍の押しつけであるという憲法改正派の主張は間違っていると断定します。無条件降伏をした日本は、ポツダム宣言で、「一、軍国主義を完全になくす 二、封建主義を根絶やしにする 三、天皇の地位を変える」の三原則を守ることを諸国に約束させられており、その三原則を入れた憲法を自分で作るよう、マッカーサーから指令を受けていました。

しかし日本政府の起草委員たちのサボタージュで草案はだされず、非公式の松本案は天皇主権で軍隊を残し基本的には明治憲法と変わらないものでした。天皇制を廃止せよと主張をしていたソ連、中国、オーストラリアが入った極東委員会の設置が決まり動き出す前に1週間の間に今の憲法の草案になるものがマッカーサーの指令で作られたのです。そこには、日本人研究者の優れた憲法草案が生かされています。「現憲法が日本の歴史や伝統を軽視した植民地憲法だという保守勢力の批判はたいへんな勉強不足です」という色川の主張はたいへん説得力に富みます。「私は今度の選挙で二十一世紀の日本の運命が決まるようにように思うのです」、これは2000年に色川が書いた言葉です。

(網野史観批判)
私自身は最後の短い、「六人の歴史学者」という論文の最後の「網野善彦と「網野史学」」という網野史観を批判した論文が印象的でした。網野善彦が反復主張したことは、これまでアプリオルに前提にされてきた、「日本」の虚像を壊すー国名(単一民族・国家)、「歴史の常識」を問い直す(百姓は農民ではない、稲作一元論)等などですが、色川は中世の専門家が近代を描く論文の問題点を、近代の専門家として根本的な批判をします。「失笑を買う」内容だというのです。

「「百姓は農民ではない」という、思いこみの強い一人の中世史家が、複雑な近代国家の権力者たちの政策や「心性」を単純化しすぎた粗雑な認識であり、誤りであると私は思う」。そして「刷りこまれる」という単語を多用する網野史観を「人民を受動的に見る彼の性向が彼の史学を制約していることを惜しむ」というのです。

私自身は網野の中世を描いた著作から多くを学び、何かこれまでの既成概念が取り除かれた思いがしたのですが、色川は網野の中世史の研究者としての業績を高く評価しながらも、「百姓は農民ではない」というキイ概念が、「日本像」と「日本の全歴史」を書きかえるに足る決定的な意味をもつものであるのか、「改めて検討し直す必要があろう。疑ってかかることから、歴史家網野善彦への真の理解をはじまる」と記します。

(色川の戦争体験から思うこと)
色川は日本の軍隊のあり方を全否定するかのような網野の記述に対して、戦場での指揮官と兵士の信頼関係、「圧倒的な米軍とあれほど勇敢に戦えたのか」ということを網野は「分かっていないのだ」と言うのです。一見、日本の軍隊を肯定するかのような表現ですが、そこには戦場での色川の経験があったと私は見ます。

すこし長くなりますが、戦争というものに対して、民間人を含めて日本人の加害者性を批判する学者への反論を紹介します。

「近年、わたしはこうした民間住民まで日本の侵略戦争に加担した責任をまぬがれないと断罪する進歩派の本を読んで唖然とした。もし、あのひとたちを裁きうるものがいるとしたら、それは日本国家に強制連行されて、陣地造りに就労させられていた朝鮮人や中国人、あるいは島の現地住民以外にないであろう。わたしは最近、硫黄島激戦の記録フィルムのなかに、洞窟から米軍に救出された瞬間の朝鮮人労働者たちの喜びの表情を見てとって、この人たちこそ今度の戦争を、民間日本人をふくめて真に裁きうる立場にあると直感した」。

これは差別の加害者性、被害者性を安易に語ってきた私たち在日が心しなければならない言葉だと思います。歴史の中で作られてきた社会構造にあって、人はそこから自由であるはずはありません。何らかの制約、制限を受けるのは当然です。しかしその制約のなかにあっても、色川が宮沢賢治をあげたように、そこから抜け出す可能性を見い出せるようなかすかな光があるのです。

色川は、国民国家を「終焉の時期に入った」と認識している人です。思想的な体系を作りそれを誇るような人でないことは明らかです。しかし根本的に、生きた無名の民衆の実態を知ることなくしては歴史はわからないと直感した色川大吉を私は尊敬します。

(私の意見)
かつて韓国の民主化闘争のなかで、民衆神学というものが流行りました。それを提唱した神学者には、民衆に対する思い、イエスへの信仰(信頼)があったことは疑う余地もありません。しかし思想、理論は絶えず、現実の中で検証され続けられなければならないのです。すべての思想もまた仮定(仮説)に過ぎないからです。

3・11以降、原発体制の実態を見るようになった私たちにはまた新たに、市民運動の根本的なあり方を模索し、現実を切り開く課題が与えらたのですが、それは実際の活動の中から見い出すほかはないのでしょう。また何年か経って色川大吉を読みたいと思います。そして自分史を書いてみたいと思います。




0 件のコメント:

コメントを投稿