2013年2月26日火曜日

信州沖縄塾との出会いから

2月24日(にち、信州沖縄塾での講演会では、私自身の歩んできた道、経験したことから見えてきた地平を一気に2時間話したので、聴いてくださったかたはさぞかしお疲れになったと思います。

信州沖縄塾の塾長の伊波敏男さんは沖縄出身でハンセン病であることをカミングアウトして施設ではなく社会の中でこれまで闘ってこられたかたです。無名の私のブログをずっと読まれ、天から与えられたゲストだと紹介を受けました。参加された方たちの好意的な眼差しのもと、二次会での会食の席でも未来につながる対話ができたこと、感謝のひとことです。

会場はわざわざ教会に設定してくださったのですが、なんと、1987年、明治9年に建てられた日本で二番目に古い教会だそうです。廃藩置県のあと、まだ本格的な天皇を中心とする国家体制ではなかったとしても、国民国家の成立の過程でクリスチャンになった下級武士はどんなことを思っていたのか、そのことから話し始めました。

藩士であることが自分自身を規定するもっとも重要な価値観であった時代から、その価値観によって階級格差を当然としていた時代から、一挙に大日本帝国の国民になり、ちょんまげや着物があたりまえのことであった時代、激動の幕府末から明治になってわずか9年、クリスチャンになった彼ら藩士はどのようなアイデンティティをもとうとしていたのでしょうか。

私は「捨てられた石」というタイトルで、在日として喪失したアイデンティティから自分をどのようなものとして捉え返して生きようとしたのかということから話しをはじめました。国民国家に収斂されるのではなく、むしろ国家や民族を相対化するようになってきたことをはなしたのですが、その詳細はこの集会での話はいずれ文字化されるそうですから、その時に公にいたします。

私の話を聴かれたかたは、私が抽象的な理想論や運動論でなく、自分でやってきたことを話しているのでよくわかったと後で話してくださいました。私のブログを読んでいらした方は私のことを怖い人で、在日の立場で厳しく日本社会を批判すると私のタイトルから判断していたが、私が一緒に闘おうとアピールされていることがよくわかりましたとおっしゃってました。

勿論、差別は歴然とあります。しかし私は差別する側とされる側、問う側と問われる側と関係を固定するのでなく、一緒に運動をしながらその中で、お互い話し合うことで学びあうことが重要だと強調しました。これは40年かかってようやく私に見えてきたことです。

塾長の伊波さんは、最初の挨拶で、われわれとか私たちということを主語にして話す人が多くなったが、まず私はどうか、自分はどのように思うのかということから始めるべきではないか、また、連帯ということも安易に使われているが、これは自ら闘いあう者同士が使う言葉であっていい加減につかうべきではない、ということを話されました。

私の「個からの出発」と韓国の民主化闘争連帯を口にしてきた日本の人たちに、それは連帯ではなく自分たちの足元の闘いがないのであれば支援をしてきたと言うべきではないかと話してきたことと一致します。

信州沖縄塾の方はみなさん、さまざまな闘争経験をお持ちで、おそらく失敗や砂をかむ思いを経験しながら、これからのあるべき社会を作ろうとされているのでしょう。どなたも一方的に自己主張をするのでなく、しっかりと相手側の意見を受けとめ、その上で自分自身を見直そうという姿勢をお持ちの方が多いように思いました。私の話を初めて聴いたといいながら反発するのでなく、噛みしめてよく考えてみたいという姿勢であったように強く感じました。

二次会では居酒屋でなく、レストランでの食事会で、その席でも伊波さんは、自分自身を問うこと、そして地域社会のあり方を考えること、それは崔さんと一緒だが、崔さんは国際社会にまで目を向けている、これは自分たちとは違うと話されたのですが、実は伊波さんたちこそ、「ハンセン病療養所入所者等にたいする補償金」を元に基金を作られ、フィリピンの地域医療危機を立ち直すために、フィリピン国立大学医学部レイテ分校の運営に貢献されているのです。
かぎやで風 伊波基金 http://www.kagiyade.com/

人の出会いはわからないものです。横浜からいらした「人民の力」のTさんとは15年ぶりくらいにお会いしました。信州沖縄塾の方はお話をするうちにもう何年も前から友人であるように感じました。これからもお互い連絡し合い、文字通り、連帯を求めて一緒に開かれた社会を求めていきたいと願います。

伊波さんをはじめ、信州沖縄塾の方、ありがとうございました。またその集会の為に礼拝堂を使わせてくださった上田教会の田中牧師、この集会のために私への連絡係りになられ、翌日は無言館、そして松代大本営の跡地を案内してくださった遠藤さんには心から感謝をいたします。無言館、松代大本営跡地、いずれも印象が深く、多くのことを考えさせられました。

3 件のコメント:

  1. 信州沖縄塾 伊波敏男2013年2月26日 15:43

    遠路、ご苦労さまでした。人の出会いは、やはり、目に見えない「縁」が結びつけてくれるものです。ありがとうございました。

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  2. 信州沖縄塾 遠藤正子2013年2月26日 21:36

    崔さんが繰返された「これ、おかしくないですか?」に励まされました。市民運動の原点と思います。ありがとうございました。

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  3. 寒いなか、ありがとうございました。
    軽井沢から上田までは40km。なんとか参加できる範囲です。信州は広い上に、山に遮られて交通の便が悪く、全県的な交流がむずかしいところです。

    私の場合は、沖縄塾以外の活動は佐久平を中心に行っています。佐久地方の人口は30万人ぐらいでしょうか、それが40km四方に住んでいますので、過疎ではありませんが停滞感は強いです。シャッター商店街があちらこちらにでき、郊外型量販店は群馬・新潟・中央の資本に席巻されています。奥地に較べると、若い世代はサービス業を中心に仕事はありますが、土日の集会には出にくいようです。

    3.11以後に活動を始めた若い親達の運動は、職場、学校、ジジババや地域社会との関係に縛られて、身動きがとれない状態。有機農業やエコロジー運動には若手や中堅もいますが、あまり表に出たがらず、忙しくて時間もないようです。地域活動をどのように・・・?、ともかく動いていなければ何も見えてこないし・・・というところでウロウロしています。地域社会・経済・行政など、地域そのものを掘り返す視点が必要な状況です。

    いただいたお話には、考えるきっかけになることがたくさんありました。ありがとうございます。
        寺山光廣 maystorm-j@xqh.biglobe.ne.jp
     


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