2013年2月12日火曜日

国民投票制度の陥穽とリトアニアへのアピール文

2月9日、CS神奈川懇談会主催のリトアニアの原発国民投票報告会に参加しました。以下のアピール文はそのとき、集会最後に採択されたものです。

実際にリトアニアの国民投票の実態を調査に行った人の報告で、報告者は国民投票の必要なこと、特に国民投票によって国民間の議論が盛んになること、市民の意見が政治に反映できる点を強調されていました。

その運動を日本において展開している人は、「国民」を日本国籍を持つ者に限定していない(日本に居住する衆、で国民としているということでしょうか)ということではその優れた見識を評価します。しかし国民投票による弊害(問題点)はまた、この数日、朝日新聞で積極的に報道していますが、国民投票の結果と国民によって選ばれた議員による政策が相反する場合、どうするのか。スイスの実例をあげながら、これは実に時間がかかる、そして何よりも徹底的に議論をするという意味で忍耐の求められることだというのがその趣旨でした。

発題者のリトアニアに実際に調査に行き、現地で若い人に積極的にインタービューをした報告者は、例えば、自分の考える反原発の立場と仮に国民投票でそれと反対の結果がでた場合(原発推進)、自分自身は反原発の立場で官邸前にハンストをしたが国民投票を進める側の人間としてどうするのかまだ自分にはよくわからないという発言をし、私はその率直な発言に救われた気持ちになりました。しかし結果はあきらかです。そんな国民投票の結果なんかに従うべきではないのです。

根本的に民主主義は多数決原理で決められるもので、その決定過程で議論が起こることがいいことで、その決定に従うことをすべての前提にするべきだという命題がそもそも成り立つのでしょうか? 私はその点、違う意見を持っています。まずヒットラーは選挙で全権を把握できたのです。そのように国民が選んだからです。ソクラテスの死の意味することは? イエスの十字架の意味することは? 真理は多数決で決められないということを認めるなら、多数決原理で決定されたことは必ずしも正しい決定ではないということは認めるべきでしょう。結果に対する不服従もまた認められるべきです。戦争に反対で戦争に行きたくないという人の権利も認められるべきなのです。

しかし日本の国民投票制度を求める運動は、そもそも日本の選挙が国民の意向と違う決定をしている、自分たちの意向を反映できてないという批判を制度化しようとするものだから、その趣旨は理解しても、さらにやるべきこと、考察すべきことがあるのではないのかという感想をもちます。

実際リトアニアへの調査団は、国民投票の調査に行ったのであり、日本の日立が原発を輸出しようとしていることを阻止すべきという考えが前提にされていません。その結果、国民投票という制度を日本でも推進することを正当化する意見の収集に熱心で、日立の原発輸出阻止のために何ができるのか、リトアニアの原発反対の意思を明確にした人たちとの連帯はいかに可能なのかということ模索する足跡はまったく見られませんでした。これは何かが違っています。日本の日立がリトアニア国民に被害をもたらす可能性があり、それを反対できない、許してしまっているということで、実は日本の国民(私の使う単語の意味において)もまた加害者性を問われているという点がまったく考察されていません。

私は在日として、少数者の意見が徹底的に議論され、その少数者のままで尊重されることを願っています。これは上野千鶴子がフェミニズムのあり方として主張することと通底します。そして少数者の意見が実は正しかったということはいくらでも例があります。原発立地地域での決定過程を見てみると例外なくそうだと言えるでしょう。しかし私は国民投票を進める人たちと連帯して、原発輸出阻止、再稼働反対運動をすることができると考えています。いかがでしょうか?


リトアニア大統領、首相、国会議員の皆さん、そしてすべての市民の皆さんへ

昨年10月14日、リトアニアの新たな原子力発電所建設の賛否を問う国民投票において、62%もの人々が反対の意思表明をしたことに対して、日本の私たちは心から敬意を表し強い連帯の気持ちをお伝え致します。

私たちには貴国の政治的状況は分かりません。しかし大統領と首相および議員の皆さまが、原発建設に反対の意を表した国民の気持ちを、しっかりと受け留めて下さいますようお願い致します。日本のフクシマ事故は津波によって引き起こされたという情報が、世界に伝わっていますが、未だその原因は定かではないのです。そして私たちは、日本の日立製原発が、貴国へ輸出されることを望んでいません。

原発と人類は共生できません。原発は一度事故が起こると取り返しのつかない悲劇をもたらし、自然を破壊するのです。人類の英知をもってしても、使用済み核燃料の処理さえできず、何万年何十万年も、地下深く埋めるしか方法はありません。

どうぞ、未来ある子どもたちへの健康被害が予想される原発を、建設しようなどとは考えないで下さい。それに代わるエネルギー源は他にもあります。経済成長だけを目的にして歩んだ結果、フクシマのような大災害を起こした日本のようにならないこと、その失敗から多くを学び心豊かな生活を送れるように、皆さまが一つになって努力されることを願います。

リトアニア市民と日本の川崎で集会をもった私たちが、連帯して歩むことが出来ますことを祈ります。

2013年2月9日 
「リトアニア原発国民投票」
現地報告集会 参加者一同

【CSk】リトアニアの原発国民投票
第23回CS神奈川懇話会 リトアニアの原発国民投票 報 告 1:「リトアニア原発国民投票現地報告」どっきょさん(「原発」国民投票リトアニア調査団) 報 告 2:「社民党ゲディミナス・キルキラス元首相インタビュー」「イグナリナ原発の廃炉作業」大島ロンさん(「都民投票の会」事務局長) 報 告 3:「リトアニア国民投票の法制度と当会の市民案」鹿野隆行さん(「原発」国民投票神奈川調整委員) 日  程:2013年2月9日(土曜日) 時  間:午後6時30分開始(6時開場) 場  所:中原市民館2F
http://blogs.yahoo.co.jp/tocka_jikkoi/64232468.html#64232468

5 件のコメント:

  1. 「小数異見の尊重」は民主主義の原則であることに強く同意しますが、道はまだまだ遠い感があります。リトアニアの個別事情には「ロシアに依存したくない」という独立志向が潜在しており、ここにも「大きな力が小さな力を封殺する」という帝国主義(現代ではグローバリズムとやらに言いかえられていますが)の原理に対抗するものとしてナショナリズムが登場しています。ナショナリズムによって、さらに小数の(声の弱い)層は抑圧されていく。なにやら日本の事情と相似しているようですね。この悪しき連鎖を根本的に断ち切る必要がありますね。

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  2. 崔 勝久さまへ
    .
    リトアニア調査報告会に参加していた、Tです。
    私もベトナムへの原発輸出問題に取り組んでおります。
    OCHLOS通信を読んで、まったく賛同致します。
    .
    私は、脱原発の大きな運動においては、
    A、認識など意見の違いや、
    B、脱原発の運動への関わり方の強弱やスタンスの違いなど、
    それらが在ることは、運動が生きている証拠だと、
    私は肯定的に理解しようと思っています。
    .
    何故なのか、その理由を考えてみました。
    一般論として言えば、
    A、認識の違いは全体の認識の前進に役立つ前提でもあります。
    また、
    B、運動への関わり方の強弱やスタンスの違いなどは、
    全体の運動が広がるにつれ、多様な人々が参加してくる証左なのでしょう。 
    .
    さて、
    その違いを運動のプラスにするものは何か、以下に考えてみました。
    .
    具体的・現実的に考察してみると、
    住民投票の会の人々は、
    原発に問題がある又は問題が多いと出発点では思い、
    今でも根底ではその思いはあると推定されます。
    だから、
    より広い人々を巻き込み、その認識を広げ判断を促したくて
    住民投票を推進しているのだと思います。
    この点で、私たちと部分的な共通点があると思います。
    .
    当日の報告会にいた私は、
    崔さんと同様、まだるっこしく感じて聞いていましたが、
    あなたの主張がよく分かりませんでしたが、
    OCHLOSを読んで氷解いたしました。
    .
    私たちとしては、
    ○単刀直入に問題を明るみに出して要求の運動にしていくこと、
    同時に、
    ○多様な立場も許容する、
    この2つが必要なのでしょうね。
    その際、
    崔さんのように、
    ○異なるスタンスや立場の人々とも、
    率直に意見交換することが極めて大切で、双方にとって重要なことです。
    そして、
    運動が広がるにつれ、同様なことに出会うことが多くなるものと思われます。
    .
    私は、崔さんがOCHLOS通信で再論し深めて書かれ、
    問題の所在を指摘し、かつ議論する事の大切さを示唆されたことで、
    私自身のあり方も深めることができました。
    ありがとうございます。
    これからも、よろしくお願い致します。

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  3. 今私が気にしているのは、原発体制の問題と、在日に対する
    新大久保で可視化された差別的言辞の放任の問題です。

    原発反対が環境問題やエネルギー問題に収斂されるのでなく、
    原発が核拡散防止からはじまったものでありながら原発が
    核兵器に必要なプルトニウムを作るという根本的矛盾を解決
    できないことがはっきりしてきた以上、それらを総合的に捉え、
    市民の立場で運動を進めることが必要だと思います。
    (朝日新聞2月13日、「耕ロ オピニオン」での「核が拡散する」参照)

    その場合、在日に対するハラッシュメントを容認する社会はそのような成熟した市民運動、議論を阻害します。身近な外国人を差別する言辞や行動を容認する社会は、偏狭なナショナリズムのうえでの全体主義国家に進む危険性が高いのです。

    もっともっと議論を盛んにやりましょう!

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    1. 崔 勝久さまへ
      .
      人類の科学研究の途上における
      物質の性質の発見とは区別されることですが、
      開発された原発の依って立つ「技術」が、
      戦争に起因して生まれ促成された奇形技術です。
      安全性より破壊力を優先利用し開発されました。
      その原発の生成物は、
      生産と消費の循環が無く、
      自然との循環が出来ないものです。
      その意味で、根本的な安全性に関わって、
      技術論の上からは未完了の危険な「技術」です。
      .
      原発生成物が増えるに従い、危険は増大します。
      他の無機の物質を汚染することで、自然との循環を破壊します。
      また、あらゆる生物に対してDNAを損傷し、
      現在と未来の人類と生物にとって危険なものです。
      また、
      社会体制において、
      原発とその産業連関上の「川上」と「川下」産業を含め、
      様々な形で差別システムと一体だと言うことも
      おっしゃるように重要な特徴ですね。
      .
      その意味で、
      原発の廃棄の運動は、
      社会システムの改革を促進するものになる必然性を含んでいます。
      おっしゃるように、
      運動において自覚化することが大切ですね。
      同感致します。

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  4. それにしても、そもそも日本国には
    今のところhate crime law がないのですが、
    これは何故でしょうか?

    どなたか、ご存知の方がいらっしゃれば、
    教えてくださいませ。

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