2013年1月27日日曜日

パブリックコメント(吉澤文寿):朝鮮学校にも高校無償化を認めよー朝鮮学校や在日朝鮮人社会は、日本社会にとって大切な存在です

朝鮮現代史、日朝関係史を専攻されている、新潟国際情報大学教授の吉澤文寿さんが朝鮮学校を高校無償化法適用対象外とする文科省令案について書かれたパブリックコメントをご紹介します(Facebookより)。

1.私は「公立高等学校にかかる授業料の不徴収および高等学校等就学支援金の支給に関する法律(以下、高校無償化法)施行規則の一部を改正する省令案」に反対します。周知の通り、この省令案の要点は朝鮮学校に高校無償化法を適用しないための「改正」ですので、この点に絞って意見を述べることにします。

2.多くの反対意見が指摘するように、朝鮮学校に高校無償化法を適用しないのは、国際人権規約に反する行為です。しんぶん赤旗のウェブサイトによると、日本政府は2012年9月13日までに、高校・大学までの段階的な無償化を定めた国際人権A規約(13条2項b、c)の適用の留保を撤回することを閣議決定し、国連に通告しました。とくに13条2項cにある「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」に注目すれば、「すべての者」とは国籍によって差別されないことは明らかです。それにもかかわらず、朝鮮学校への高校無償化法適用の道を閉ざす法令施行規則の「改正」案は、先述の日本政府の行動に逆行するもので、日本政府の国際的信用を落とす行為です。

3.東京新聞ウェブサイトによると、2012年12月28日に下村文科相は日本人拉致問題で進展がなく、朝鮮学校の人事や財政に朝鮮総聯の影響が及んでいることなどを理由に、「現時点では国民の理解を得られない」と述べました。しかし、特定の団体が学校法人の運営に関与することそのものに特段の問題はないはずです。創価学会をはじめとして、私立学校では直接的であれ、間接的であれ、学校法人とは異なる団体が運営に関与していることは有りうることです。

 下村文科相は同日の記者会見で、「子どもには罪はなく民族差別をするわけではないが、拉致問題や国交回復という一定の問題が解決された後に考えるべき問題」と述べました。しかし、日朝間の問題が解決されるまでは、他の外国人学校に適用されているものを適用しないという対応は明らかな差別です。文科相は「子どもに罪はない」というのですから、その差別性はいっそう明らかです。

 そもそも、朝鮮学校に高校無償化法を適用することと、日本人拉致問題などの日朝間の諸懸案はまったく関係がありません。朝鮮総聯や朝鮮学校に対して、他の外国人団体や外国人学校に適用している制度を適用しないという差別を行なうことで、日朝関係が改善することも考えられません。現に、日本政府は日本人拉致問題や朝鮮政府によるロケット発射、核実験に対して、独自の対朝制裁を実行していますが、それによって日本政府が望むような朝鮮政府の行動は実現していません。すなわち、朝鮮総聯や朝鮮学校への差別を実施しても、朝鮮政治や日朝関係が改善されるような実効性はありません。

4.朝鮮学校や在日朝鮮人社会は、日本社会にとって大切な存在です。私が住んでいる新潟には、新潟朝鮮初中級学校があります。この学校では年に一度、ミレフェスティバルというイベントを開催し、周辺の日本の公立学校の生徒たちや、地域住民と交流する機会があり、いつも盛況です。また、新潟の大学生や市民に対して、学校訪問を行なって、朝鮮学校についての説明会や、日本人も朝鮮人もともに考える授業やワークショップなどを実践してきました。

 1990年代後半から、朝鮮学校に子どもを通わせている父母たちが中心になって、日本社会で子どもたちが生きていくことを重視した教育内容を学校側に要望し、現在の教育内容もそのようになっています。日本社会で生き抜くマイノリティとして、民族的自尊心を涵養する教育を行なうことは重要ですし、そうだからといって、日本社会に敵愾心ばかりを抱かせるような実践ではなく、むしろ朝鮮人でありながらも、日本社会の一員としてどのように生きていくのかという大きなテーマを持って、教育実践をしている場が朝鮮学校です。

 朝鮮学校を卒業した子どもたちは、日本社会の様々な場面で活躍します。近年では日本の大学や企業に入る人も少なからずいます。日本人ばかりでは分からないような状況で、朝鮮人の仲間がいることで解決の道が見いだせることもあります。年に1万人以上の在日朝鮮人が帰化している状況ですが、同質性の強い日本社会で自己肯定感を持って朝鮮人たちが生きていけることは、日本社会にとっても有意義なことではないでしょうか。

 朝鮮学校の学園祭や、体育祭などを参観すると、子どもたちが本当に愛されて、自己肯定感を持って育っていると感じられます。最近の日本の教育は、「いじめ」や体罰の問題が注目されていますが、朝鮮学校での実践はこれらの問題を解決するヒントを与えるかも知れません。日本にとってとても貴重な存在である朝鮮学校に、高校無償化法が適用されることを願ってやみません。

3 件のコメント:

  1. FBで友人の吉田明彦さんもまたパブコメにご自身の意見をだされていたことがわかりました。ご紹介いたします。

    このたびの政令変更に断固反対し、朝鮮高級学校および朝鮮学園高級部生徒の授業料無償化のための支援を速やかに行うことを求めます。

    この政令変更は政治的理由をもって、全国の朝鮮高級学校および朝鮮学園高級部への授業料無償化のための支援に道を閉ざすものです。

    日本政府は、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)第13条2項(c)に基づき、すべての高等学校およびそれに準ずる各種学校に対し、授業料無償化を行う義務を負っており朝鮮高級学校および朝鮮学園高級部以外に対してはそれを進めてきました。

    同規約第2条2項には「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する。」とあり、この無償化の義務が「政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身」によって制限されてはいけないことを明記しています。

    人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際連合宣言)第4条には「すべての国家は、政府及び他の公的政策を再検討し及び人種差別を生じさせ又は永続化させる効果を有するいかなる法令も廃止するために効果的な措置をとらなければならない。すべての国家は差別を禁ずる法律を制定し及び人種差別に導く偏見と戦うあらゆる適当な措置をとらなければならない。」とあり、日本政府はあらゆる人種差別と偏見を生じさせ永続化させるいかなる法令も廃止しなければならないことを明記しています。

    今回の政令変更はこれらのすべてに抵触し、朝鮮高級学校、朝鮮学園高級部の生徒たち、家族らに大きな心の傷を負わせ、日本社会に根深い人種差別と偏見を根付かせるものです。

    また、この件は国連の各種人権委員会勧告に見られるように国際社会から注視されており、このようなあからさまな差別的・排外主義的な政令変更を強行することは、日本国を国際的非難の矢面に立たせ、国際社会での孤立を招くことにより国益を大きく損なうものです。

    今回の政令変更を行わず、朝鮮高級学校および朝鮮学園高級部生徒の授業料無償化のための支援を速やかに実施すべきです。

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  2. 新潟大学の藤石貴代さんのパブリックコメントです

    日本の大学で第二外国語科目としての韓国語(朝鮮語)教育に携わっている者として、以下、私見を申し述べます。

     毎年の授業で驚くことは、日本の公教育を12年間受けてきた学生たちが、大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国の人口すら知らないということです。まして歴史や風土、言語、文化について知る由もありません。大韓民国とは年間500万人が往来するほど経済的・文化的な交流が盛んな一方で領土や歴史認識の問題があり、朝鮮民主主義人民共和国とは言うまでもなく歴史的・政治的な問題が山積しています。双方に甚大な被害をもたらす軍事力(戦争)ではなく、対話力(外交)によって問題の解決を図るべくそのような人材を育てるには、日本の公教育の内容は隣国を軽視しており、不十分と言わざるを得ません

     たとえば、朝鮮に「時調」という日本の和歌にあたる詩歌の伝統がありますが、植民地時代に幼少期を過ごした在日朝鮮人の証言によれば、日本の敗戦による解放後に「私は朝鮮に詩があることをはじめて知った」と言います(尹学準『時調 朝鮮の詩心』創樹社、1978年、10頁)。「朝鮮語を使って勉強ができ、だれはばかることなしに、自由に朝鮮語を話し、遊んだりするということ、しばらくの間は、なにからなにまで感動の連続であった」(9頁)。もし、敗戦後の日本で教育用語が英語になり、万葉集も源氏物語も百人一首も教えられなくなっていたら、日本の伝統文化遺産とともに「日本人の誇り」も消滅したかも知れません。言語や文化を教えずして、自国への誇りも、他国・他文化への敬意も育てることはできないと考えます。したがって、日本の公教育は(「日本人」形成の場として当然ながら)朝鮮人を育てられる場ではなく、日本の子供たちにとっても隣国について学び、親しみを持てるような場になっていないのです。

     近年、「韓流」の影響で、芸能・飲食文化などは普及しましたが、そのことが隣国への理解を促したかと言えば、若い世代を中心にむしろ反発・反感(嫌韓流)を招いています。外国のドラマやハリウッド映画の流入に対しては異を唱えない彼らがなぜそのような言動に及ぶのか。それは、時代や世代がどれだけ変わっても日本社会に根強く残る「朝鮮人差別」意識のせいではないでしょうか。人が人を見下し、貶め、人間扱いせず、さらにそれを見て見ぬふりすることは卑劣で卑怯で卑屈な行為ですが、「人を傷つけて悲しい」「人を傷つけた自分が恥ずかしい」という意識や感情は、学習しないと芽生えません。人間が持つ悪意や獣性の矯正こそ教育の役割です。しかし、前述のとおり、日本の公教育は朝鮮への「無知(無視)・無関心」を放置しており、そのことが朝鮮(学校)に対する差別意識や偏見を再生産していると、教育現場に立つ私は感じています。

     朝鮮学校は、自国の言語や歴史、文化を学ぶことができなかった朝鮮人が子女のために建設したものであり、朝鮮民主主義人民共和国が「祖国」として教育資金を援助したことは事実です。しかし、現在、朝鮮学校では韓国籍や日本国籍の子供たちも学んでおり、それは、繰り返しになりますが「朝鮮語を使って勉強ができ、だれはばかることなしに、自由に朝鮮語を話し、遊んだりする」場が他に存在しないからでしょう。そのような場を保障し、保護することは、日本が他(異)文化を尊重する、排他的でない社会であることを示しますが、現実は違います。それが朝鮮学校の教育内容のせいであるなら、朝鮮人が(日本人も)朝鮮語や朝鮮について学べるよう、日本の公教育の場で早くに保障すべきであったと私は考えます。

     そもそも、戦前戦後を問わず、教育が「規律」と「愛国心」注入の場であることは否定できません。日本の愛国心は正しく称賛されるべきものであり、他国の、あるいは特定の国家や集団のそれは好ましくない、認められないと言うなら、同じことが日本に対しても言えます。また、戦前の日本が国際社会からの孤立と戦争への道を歩んで自滅した過去を想起するならば、朝鮮民主主義人民共和国の現体制を嘲笑するのではなく、日本がかつて陥ったような悲劇を繰り返さ(せ)ないために何ができるか、すべきかを考える教育こそが、東アジアの平和と安定に資するものです。

     日本で生まれ育った、朝鮮高級学校に通う子供たちは、日本に愛着を持っています。教育内容の是非は、彼ら自身が判断することでしょう。朝鮮語運用能力を生かし、韓国の大学への進学や韓国系企業への就職、スポーツの分野で活躍していることも知られています。就学支援金の支給は、日韓・日朝の架け橋になり得る人材である彼らを育てるという視点(視線)を日本社会が持つ契機となります。

     以上、今回の法律施行規則改正により不利益を被ることが予想される朝鮮高級学校への就学支援金支給の必要性について私見を申し述べました。(2000字)

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  3. 別にそんなに朝鮮半島のこと知らなくても何の問題もないでしょう?
    ルーマニアの人口知ってる?
    ポルトガルは?、ミャンマーは?

    嫌韓の原因ははっきりしているでしょう?
    隣人として恨み言しか言わないやつを歓迎できないということですよ。

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