2012年12月24日月曜日

キリスト教会の繁栄は喜ぶべきことかーイエスに従うということ


はじめに
教会に行かない人、キリスト教に関心もない人にとってもクリスマスという行事は定着しているようです。最近ではハロウィーンなどという訳のわからない行事も、人気があるのだそうです。私は学生時代から、在日としての自分の生き方(当時は、アイデンティティという単語でしたが)を求めて、在日韓国教会に通うことになりました。それから40年、教会生活はほそぼそと続けています。

一緒に住む妻と義母とは在日の韓国教会を出て、わけあってそれぞれ別々の教会に通っていますが、我が家では夕食の席では妻と義母が交代で祈ります。私はその祈りの真実なことに力づけられ、最後にアーメンと言いますが、私自身は人前で祈ることはありません。ですからクリスマスイブの今日、私はキリスト教の宣伝をしたくてブログを書いているのではありません。むしろ昨日の礼拝に出て、満席になった教会での、説教に満足し恍惚の表情をする多くの信者の姿を見て、「キリスト教会の繁栄は喜ぶべきことか?」という反語的な文書を書くことにしました。

もう20年前になるのでしょうか。いや、30年?在日韓国教会を出た私たち家族は、義母が若い韓国から嫁いできたお母さんたちと一緒に数人の新しい教会をつくりはじめ、私たちはその教会にある種の希望をもって通っていました。韓国から何百人という大きな教会で牧会する牧師を招き、彼もそこを離れて日本伝道に大きな夢をもって赴任することになりました。ビルの一室から始まった教会は、何年か後、保守的な教団に属し4階建てのビルをつくるほどに成長し(確かそのときはメンバー数は100名くらいでしたか)、その数年後、川崎駅に近いところで、6階建てのビルを新築するほどになりました(今では信者数は300名を超えるでしょう)。

教会の近況
韓国やアメリカで成功している宣教方法に目をつけた牧師は、教会員を10名単位のグループに分け家族教会として毎週礼拝とは別に食事をして聖書を学ぶやり方を導入し、新たしいメンバーを迎い入れ、10名を超えると別のグループに細胞分裂をしていくやり方で今では30を超えるグループになっています。2世教会員も成長し教会全体の平均年齢は30歳代らしいです。今では圧倒的に日本人が多くなり、7割くらいでしょうか。2部礼拝で1部は日本語、2部は韓国語での礼拝です。保守的な教団では宣教の成功例と評価されているようです。ローマ時代のアナロジーから、牧師は天皇がクリスチャンになることを願い、日本伝道での成功を確信しはじめているようです。

礼拝後の食事ではキムチはタブー、日本に嫁いできた若い韓国のお母さんは嬉々として和服に身を飾り、地域の子どもを英語塾に送る日本のお母さんは西洋的な雰囲気に好感をもっているようですし、家庭での様々な苦しみを経験する人たちは信者の交わり(家族教会)で友を得て、牧師の説教に全幅の信頼を置くというかたちになってきています。ただ礼拝に出席し、ただ一人、韓国語で賛美歌を歌い、礼拝後は食事もせず教会を出る私はかつて、教会建設にあたり韓国の労働者を保険もなく観光ビザで働かせていたことを批判したことがあり「サタン」とされていたのですが、今はそのようなことを知る人もなく、私の反原発活動を知る人も、それに関心を寄せる人もいません。勿論、私は家族教会にも属していません。十分の一献金と家族教会のメンバーであることを教会員の条件にする牧師の方針からすれば私はまさに異端でしかないようです。

地域で英語塾のようなものもはじめ、クリスマスの子どもによる英語劇には100名もの人が参加したそうです。そういう地域の人も参加しても昨日の礼拝は、1階だけでは収まり切れず、2階の礼拝堂、4階の食堂、そしてネット回線で富士山ろくの教会にもつながるまでに「成長」していました。確かにこれは教会的には成功例と言えるのでしょう。ここからが私の問題提起です。

私の問題提起
説教の最後のところで牧師は、キリスト教の本質は、経済的、社会的、政治的なものではなく、魂の救いであると結びました。キリスト教は貧困や、差別や社会的な問題とは本質的に関係がなく、ただ罪の許しを得る救いにあり、それが神の愛であり、その証しとしてイエス・キリストが私たちのために十字架にかかり復活されたという、伝統的なキリスト教の教義に基づく「正当な」説教であったのでしょう。私の活動のことを知る唯一の教会員に出口で会い、私は、キリスト教の救いは本当に経済的、社会的、政治的なものではないのですか、「マリア賛歌」はどうなるのでしょうか、と言いながら別れました。

「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のままで追い返されます。」(ルカ:1章51-53)。いわゆる「マリアの賛歌」として有名なくだりは、イエス誕生の記述の前に置かれています。礼拝の中で全員で唱えられる「使徒信条」ではイエスは処女マリアより生まれ、ローマ官僚のポンテオ・ピラトによって十字架にかかり殺され、その後蘇ったことが記されていますが、イエスがどのような生き方をしたのかは全く触れられていません。ですから私は、使徒信条は唱えません。

ではどうして教会に通うのか、キリスト教と決別すればいいではないかと言う方もいらっしゃるでしょう。しかし私はイエスに捕えられて離れることができないのです。「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(マルコ:8章31節)。

イエスは経済的、社会的、政治的なものとは関係がないどころか、当時のローマ帝国の植民地下にあった地域で、その支配者であるローマ権力と、ユダヤ社会の支配者である宗教家によって殺害されました。彼らは共同してその支配構造を根底的に批判するイエスを殺さざるをえなかったのです。自分の殺されることを知っていたイエスに従う、すべてを捨て、自分の十字架を背負って従う、こんなことができるのか、そこにあるイエスの姿は私の通う教会で語られ、嬉々として魂の救いなるものを求める多くの、さらに信者の増え続ける教会が求めるものとはあきらかに違います。

しかし私はその違いを言葉で言うことにはもう関心はありません。牧師を批判したいとも思いません。私は自分の置かれた状況で、3・11を経験し、国際連帯の運動によるその克服なしには人類は生きれないという確信から前に進むしかないのです。今年ももう何日も残っていません。クリスマスイブ、私は午後から日比谷公会堂での集会に参加し、妻との恒例のホームレスのひとが大部分の教会にでれなくなりました。教義で粉飾され、正当キリスト教が宣伝されるその中で、聖書が示すわずかなイエスの真の姿に私は魅せられます。

韓国の脱原発と民主化の模索を約束した野党候補が敗れました。統計がないのでなんとも断定的なことは言えませんが、おそらく人口の2割以上を占め、東洋のイスラエルを誇る韓国の教会は総動員して保守候補を支えたのだと思います(勿論、野党候補に希望を託した人も多くいます)。教会員の70-80%が保守候補に組織的に投票したのでしょうか。その1割でも野党候補に入れていたら、結果は違ったものになっていたと思われます。

イエスに従うということ
人類の歴史はなんと歯がゆいものでしょう。思うようにならないものなのでしょうか。しかし未来のことを知るよしのない私たちは、この世の全てを相対化する(神のみが絶対という)ことで、かろうじて理性をもち、将来に絶望せず、さらなる挑戦を続けることができます。そのシンボルが十字架でむなしく殺されていったあのイエスです。そこには何もきらびやかなものはありません。

そのイエスが求めることが、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」なのです。私はそこに全てを託したいと思います。そして何の保証もなく、安定も保障されないところで前に進みます。神の恵みなるものがあるとしたら、この人間的には絶望的な状況の中で、前に向かって、あるべき姿を求めて歩めること自体だというしかありません。このように生かされていることを私は感謝します。その生きる姿勢が祈りなのです。

みなさん、あらためましてメリークリスマス!イエスの誕生を心から祝います。


9 件のコメント:

  1. とても共感できました。私は、新約聖書に書いてあるような、イエスが神のひとり子として人類の罪の贖い主として死んだという神学に、疑問を感じています。イエスがどう生きたかということの方が重要であって、それがないがしろにされるのであれば、そのような信仰は、イエスが信じた神の国の正義を歪める誤った信仰ではないかと思います。魔女裁判や十字軍、植民地支配に至るまでキリスト教会が犯してきた罪を思うとき、聖書の解釈の問題もあるでしょうが、聖書そのものを客観的に読み問い直す必要もあると思います。

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  2. El Cheさま、
    Ochlosを拝見すると、まったく意外にも
    「いわゆる福音主義系」の教会に
    いらっしゃるのですね!実に意外でした!
    この系統の多くは「罪」という概念を
    個人の罪に限定 (神学的歪曲!) してしまうので、
    社会問題に取り組まないことが多いです。
    そんなところにワザワザ「非武装革命闘士」の
    El Cheさんが行ってらっしゃるというのは、
    私にはまったく意外でした。
    小規模のセル グループを作って聖書を学ばせるという
    流行のやり方も、この系統で広く見られる
    やり方で、ローマカトリックでも聖公会でも
    見かけません。

    正しくは「罪」というものは、この時空や
    人類社会の中に潜む何かで、たとえば
    ナチやファシズム、”植民地的支配”、
    クメール ルージュ、そしておそらくは
    産業社会と国民国家、その他もろもろに
    現れております。
    当然、Nuke World Order (ブッシュ前大統領の
    New World Orderをもじった、私の造語)も、
    「罪」の現れでありますね。

    ご覧のとおり、「罪」とは巨大な何かですから、
    それと闘うよりも、「個人の罪」に矮小化した
    ほうが、話が分かりやすいし、「教会経営」は
    やりやすいわけです。

    しかし、「経営」のために「罪」を矮小化し、
    それを「福音」と称して説くというのは、
    神学的には明らかに「本質的な歪曲」で
    ございます。(← これは、私も神学を学んだ一人
    として、断言いたします)

    ですから、当該教派とEl Cheさんがすれ違うのは
    神学的には当然のことですね。

    この歪曲・矮小化を避け、NWOに立ち向かうならば、
    最悪、ナザレのイエスがそうであったように、
    権力側により処刑されることも、覚悟することになります。

    ま、NNAAはキリスト教神学を論じる場所ではないので、
    この辺にしておきますが・・・
    ・・・ とにかく、私もEl CheさんとともにNWOと抗う
    覚悟でおります。一緒に”抗い”ましょう!

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    1. El Cheさま、

      \'(;; ◎o◎)/ りゃりゃりゃ! NNAAの ひで です。これは実は、私が昨日、Cheさんに送ったEメールのテキストでは、ございませぬか! また見に来て、びっくりしました!
      で、私のEメールからここに投稿されるのは、私にはまったく問題ないのですが、投稿者名がCheさんになっているので、他の読者の方々がご覧になると、<"(?o ? ;;) になってしまいますよ!

      てなわけで、みなさま、このコメントの文責はCheさんではなく、私 ひで にございます。何かご批判があれば、ご多忙なCheさんではなく、私におっしゃってくださいな。

      それと、Cheさんの記事自体が「当該教派」を主に取り上げていたので、私も上のコメントではその系統の教派の話に絞りましたが・・・
      公正のため、他の主要教派ではどうかというと~~
      さすがに、「罪」とは社会や文明の中に姿を現すという基本は、神学としては分かっているわけです。ところが、実際の活動となると・・・「いや、教会の中に日立や東芝、MHIの社員もいるんでね・・・」てなわけで、身動きができなかったりします。これだから、教会に限らず、人間の組織というものは~~

      やはり、本当に「覚悟を決めてNWOと抗う」キリスト者の集団が欲しければ、覚悟のできた有志が集まって、既存教派からは独立した新しい集団でも始めるしか、ないでしょうね。(どっかのネットワークのように、諸教派から集まって何もしないというんじゃなくて、あくまで既存教派から独立した新集団。で、その自由さを生かして、各方面と協力していくと)

      あるいは、どっかにすでに、そんな新集団がありませんかねえ?? もしどなたかご存知なら、教えてくださいませ! 私も、今の教派に失敬して、その新集団に移りますので。。(日本聖公会のみなさん、すいませんね~! でも、これ、私の本音なんですよね)

      では! 

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  3. 『喜びの日も涙の夜も―鈴木正久 聖想366日』と、『すべては神さまのプログラム(鈴木伶子著)』を購入しようと思っています。鈴木正久牧師の「王道」は読み終えたので、鈴木ファミリーの著作(非常に面白そうな中身)を読むことにします。


    生活保護関係の市民ネットや、支援者をしている人たちならば、福祉事務所というところが、「水際作戦」の上にのっかって仕事している人々であるということはご理解のはずです。私は、今、そういう人たちの中で働いています。生活保護受給者の人たちへの、眼差しや見方が彼らとは、明らかに違います。人として、面談を通して出来ることは限られていて微力ですが、それでも何らかの方法を駆使して精一杯やっていこうとしていますが、彼らには、気に入らない場合が多いようです。そこから、ここまではケースワーカーの仕事、そこからここまでは就労支援員の仕事と、きっぱりと分けたところで、最終的に、負荷がかかってきて重くなるのは、受給者の方ではないでしょうか。

    現在、生活保護が必要と思われる経済状態の人たちを「相対的貧困層」と呼ぶならば、その中で、生活保護を受給している人たちは、約20%(捕捉率)=212万人 つまり、残り80%=848万人は、今も、受給も出来ずに、しかも、受給者と同レベルの報酬によって苦しい生活を支えている状態なのです。政府施策は、それでも、生活保護受給者を切ろうとしています。こんなに、いっぱい、
    保護を現実的に必要としている人たちがいるのに、「水際作戦」ということで、保護申請の段階から、厳しく断っているようです。

    また、新政権の行方次第では、保護費基準が引き下げられることもありえます。 多くの職員からは、私がやり過ぎだと映ったりしているらしく、故に、例えば、私が席をはずしている最中に数人で私の机や持ち物を探ってみたりして、笑いにしてきているようです。(ただ、こちらとしても、福祉事務所に働いて9ヶ月、これまでいろんな、人間を歪めるようなことを見たり、聞いたりしてきていることは多いです。私は個人対個人が基本なので、私に話しのある人は話しにくればいいのだが、そのようなことはせずに、数人で企んで、いたずらするような人たちがいればいるほど、ここで見て聞いてきたことは、ネット等を通して、広く社会の皆様に読んでもらう以外にはないと思っています。)  大事なことは、私がやり過ぎているのではなくて、一人ひとりのケースワーカーが、担当する保護受給者の人たち一人ひとりに、きちんと向き合っていくということです。きちんと向き合い、相手が何を問題にしているのか、何が悩みになっているのかを、心を込めて聞かせてもらうという姿勢が大事だということです。(ちなみに欧州の捕捉率は、70%~80%です)


    これからのキリスト教界、難しいの一言に尽きます。
    スタッセンの「イエスの平和を生きる」からの一部ですが。勉強になります。
    『イエスは単なる個人的な愛だけを教えたのだろうか。それとも、預言者として行動し、この特権階級の権威にチャレンジして、それを弱めるような正義を教えたのだろうか。イザヤにおいてみたように、正義は善良なプライベートな生活を律するような、単なる規則ではない。・・・民に対する神のみ旨は、正義なしには成立しない。それであるから、我々は権力を持つ者の不正に対して、イエスがどのように対決したかを、福音書の中から系統的に探るのである。』
    (神学生という立場です。失礼します。)


    冬至の暗い日、主の生誕の喜びが、とりわけ、社会的に疎外された人々、心身に障がいをもつ人々、貧しい人々、震災被災者の人々、戦争によって今も苦しみを訴える人々、そのような、社会の底辺にいたり、苦しみのさ中にあるような人々に、真っ先に届き、福音が伝えられるようキリストのみ名によってお祈り申し上げます。

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  4. 崔 勝久 様
    オクロスの記述も拝見しました。
    使徒信条の理解に佐竹先生を思い出しました。
    確かにそうだと思いつつ、その信仰の故に殉教していった信徒がいて、いまの私がいることをおもい使徒信条を唱えます。
    自分なりの十字架を負っておられること敬意を表します。
    私は、これらのいと小さき者に為したるはすなわちわれに為したるなり、との教えを大事に、私の出来る隣人に心と体を捧げることに生涯を尽くすと決心しています。
    現実は、自分に大甘の毎日ですが。
    どんな聖書解釈の人でも、聖書を読むことを薦め、イエスにならえと教えるなら、聖霊が働き、教える人とは違う愛の解釈に基づく生き方の人が現れると望みをおいています。
    反原発のお働きに主の力が注がれていることを確信しています。

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  5. 崔勝久さんへ

     メリー・クリスマス!

    オクロス読みました。同感です。
    ただわたしはイエスはどんな人だったのか
    を追求していくうちに、「聖書」の限界、いや
    どうせ当時の権力者によって捏造された部分が
    たくさん含まれているのだと、確信しています(笑)

    エフェソ1:3~7までを読んでみると、イエス・キリストを
    とおしてわたしたちがすでに神の子であることを確認する
    のがクリスマスの目的で、偉大な霊的指導者を神格化して
    崇めるめるのはどうなのでしょう?

     また会っておはなしする機会を楽しみにしています。

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  6. キリスト教が政治や経済の救済を求めず、魂の救いのみを強調することは、政治権力の腐敗に目をつぶり(当時の宗教政治権力に命を懸けて立ち向かい処刑された)イエスからかけ離れていると思います。韓国のキリスト教会は軍事政権に反対し立派だと思っていましたが。。。

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    1. 3・11を踏まえて韓国の民主化闘争とは何であったのかを考えるー反原発運動の意味すること http://www.oklos-che.com/2012/06/blog-post_04.html … をご一読ください。

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    2. 韓国のキリスト教と軍事政権について御教示くださり、ありがとうございました。日本と韓国のキリスト教界の主流派がともに原発肯定であるということは、興味深いです。現代のキリスト教界が、誰の意思に従い、支配されているかが、暗示されているような気がします。。。

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