2012年11月26日月曜日

「原発メーカーの責任」を問う理論的根拠について-島昭宏 弁護士

原発メーカーの責任
                      2012.11.10
                      島 昭宏


昨年、私たち日本環境法律家連盟(JELF)は“クライメットJ”というプロジェクトを立ち上げ、電力会社11社を相手方に、原発なきCO2排出削減を求める「シロクマ公害調停」を申し立てました。この申立てでは、日本人約100人、韓国人約30人、温暖化による影響で水没が懸念されるツバルの人々約20人、そしてシロクマが申請人となっています。ところが、公害等調整委員会は、地球温暖化は公害ではないことを主な理由として、この申立てを却下しました。そこで、今年の5月、国を被告として、却下処分取消訴訟を提起し、現在係属中です。

今回、NNAAの方々から、原発事故に関してメーカーの責任が一切問われないのはおかしい、なんとかしたいという相談を受け、私も同様の問題意識を持っていたことから、みなさんと力を合わせて一緒にやっていきたいと決意するに至りました。

1.はじめに
他人を殴ってケガをさせればその責任をとる、賠償するというのは、法律を持ち出すまでもなく社会の基本的な考え方です。また、自転車に乗っていて他人にケガをさせた場合、故意がなく、単なる過失であっても、注意義務を怠ったということで賠償責任があることも当然でしょう。次に、ストーブからいきなり火を吹いてやけどをしたという場合、何らかの原因があったわけですが、メーカーの過失を立証しなければ誰にも責任を問えないということでは消費者のハードルがあまりに高い、ということで作られたのがPL法(製造物責任法)です。

大気汚染で国道等の傍に住む人が喘息などに罹った場合、その責任をどこに問えばいいのかという事例では、東京大気汚染訴訟というものがあります。自動車運転手、道路の供用者である国や東京都、自動車のメーカーがその相手と考えられますが、自動車の運転手に責任を負わせるというのは現実的ではないので、結局、国、東京都と自動車メーカーを相手に裁判をおこしました。自動車メーカーはその時の国の規定を守って生産したのですが、それでもトヨタをはじめ自動車メーカーは莫大な和解金を出しました。東京都も和解に向けて多くの努力を約束しました。


今回の福島原発事故の場合、相手方は明確で、国、東電、原発メーカーです。彼らに損害賠償を求めるのは当たり前で、何ら不都合な点はないはずです。しかし、どういうわけか原発メーカーは一切、その責任を問われず、莫大な利益を上げながら輸出を拡大しようという不思議なことになっています。彼らの法的責任を追及する弁護団は皆無でした。それの理由についてご説明いたします。

2.原発メーカーが法的に事故の責任を問われない理由
原子力損害賠償法という法律があり、その中で責任集中制度ということが謳われています。
第3条1項本文:電力会社の無過失責任、無限責任
 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない。
第4条1項  :責任集中
    前条の場合においては、同条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき原子力事業者以外の者は、その損害を賠償する責めに任じない。
    3項    :PL法の適用除外
    原子炉の運転等により生じた原子力損害については、商法 (明治三十二年法律第四十八号)第七百九十八条第一項 、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(昭和五十年法律第九十四号)及び製造物責任法 (平成六年法律第八十五号)の規定は、適用しない。

原賠法(原子力損害賠償法)に責任集中制度が定められた大義名分は2つあります。ひとつは、被害者にとって責任追及する相手方が分かり易い、過失証明を要せず電力会社の損害賠償を求めることができる、つまり被害者保護ということです。ふたつめは、保険の問題です。関係会社のみんなが責任を負うということは、みんな保険にはいらなければなりません。それで電力会社だけが保険に入り、すべての責任を負うということになったのです。賠償すべき金額は何兆円にもなるのですから。

しかし実際は、大きな事故は起こらないことが前提となっており、それも1200億円という限定された金額ですから、とても足りないわけです。今回は何兆円あるいは何十兆円もの賠償金が必要と言われており、電力会社1社では到底担いきれないという事態になっています。このことからも、責任集中制度が被害者保護に資するものではないことが明らかです。

そして、本当の理由は、先ほどの鈴木さんのお話にもあったように、イギリス、アメリカが当時、日本で原発建設を始めるにあたって圧力をかけ、原子炉提供者の免責を求めてきたことは、今では広く知られるようになっています。私も福島の弁護団で、東電に対する交渉に関わり実感するんですが、東電の対応は誠実だとはとても言えません。いや、むしろ信じられないぐらいに不誠実です。しかも、つい先日も政府に対し廃炉費用等の支援を要請していますが、それは(日本在住の外国人を含めて)国民の税金で支払われるわけですから、国民が負担することのなるのです。その一方、原発メーカーはなんのおとがめもなく莫大な利益を得て、恥ずかしげもなくイギリスの原子力会社を買収し、さらに海外輸出に励んでいるのです。この構図は不合理だとしか言いようがありません。ここに正義が存在しないことは明らかです。そして、このような構図を生み出す法的根拠が原賠法なのですから、こんな不合理な法律は改正すべきなのです。私たち弁護士としても、真剣に取り組むべき重要な課題だと思います。

では、実際に日本の裁判においてこの原賠法はどのような働きをしたのかということですが、1999年にJCO東海事業所における臨界事故の裁判例があります。当時の弁護団は、JCOでは賠償責任を負いきれないと判断し、その100%親会社であり、メーカーである住友金属鉱山を被告にしたのですが、
・原賠法は民法の特則であり、債務不履行又は不法行為の規定を排除している
・4条1項は、明確な規定であり、電力会社以外に損害賠償責任を負わせる余地はない
ということで、裁判の入口のところで原賠法を盾に退けられてしまったのです。

3.原賠法の責任集中制度を克服するための法律論
ではもうどうしようもないのか、不合理だとわかっていても手も足も出せないのかというと、私はそうではないと考えています。そこで、原賠法の責任集中制度を克服するための法律論について簡単に説明いたします。

(1)  PL法に基づく製造者責任:原賠法4条を排除
a)     原賠法4条の違憲無効
まず、原発メーカーの責任を免除している原賠法の4条を排除するためには、それがそもそも憲法に違反し無効だという主張です。この条項が無効であれば、メーカーに製造物責任を問うことができることになります。この場合、メーカーの過失を立証することなく賠償請求をすることができます。
憲法 第29条1項 財産権は、これを侵してはならない。
憲法 第32条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
例えば、財産の侵害に対する免責は29条1項に反する、また被害者の訴求に対し、裁判所が入口で却下し、実質的な裁判を受けられないということは32条に反するという主張が可能です。そのほかの違憲主張もあり得るでしょう。

b)     違憲無効とまではいえないとしても、今回のケースでの適用は違憲
次に、4条の条項自体が違憲無効とまではいえないとしても、立法当時、想定した範囲の事故や損害の程度の場合、あるいは電力会社に過失がなく請求の相手方が明確じゃない場合に限って合憲であるという、いわゆる合憲限定解釈を前提とする主張が可能です。すなわち、今回のように事故の範囲が広く、損害が甚大で、解決までに時間がかかるという場合、あるいは電力会社の過失が十分に認められ、損害賠償請求の相手方の特定が容易という場合にまで4条によってメーカーの免責を認めることは立法趣旨に反し不合理だとして、適用違憲となるという主張です。

(2)  民法上の不法行為責任
また、仮に4条が有効で、製造物責任を問うことはできないとしても、民法709条の不法行為責任を問うことが考えられます。

日弁連の編集による『原発事故・損害賠償マニュアル』でも、「違法に第三者に損害を与えた場合に、損害賠償責任を負うのは、根本的には社会の基本的な道徳の命ずることであり、また、近代法の大原則となっているところであり、特別な合理的理由がなければこの原則の排除は認められないと解すべきである。」と書かれているとおり、不法行為によって他人に損害を与えた者が免責されるということは通常、あり得ないことです。JCOの事件で、裁判所は、原賠法は民法の特則であり、原発の事件には民法の適用はないと述べましたが、特別な合理的な理由などどこにもなく、極めて不合理な判断だと思います。他人を殴って怪我をさせた人間ばかりでなく、後ろから押さえつけて殴らせた人間も共同不法行為責任を負うわけですから、違法行為に加担した者が免罪されるというのはありえないはずです。

もっともこの場合、メーカーの過失を立証しなければなりません。過失とは注意義務違反を言いますが、このハードルはかなり高いといえます。

しかし、福島事故の場合、メーカーの過失を証明することは不可能ではないと考えています。例えば、福島第一原発の1~4号機の原発はマークⅠと呼ばれているものですが、1972年のアメリカ原子力エネルギー委員会からは、マークⅠは設計上、格納機が小さく圧力に弱い、従って水素爆発で破裂する危険性があるとの指摘がありました。また1976年には元GEの技術者が同様の理由で原発の運転を停止することを要請していました。福島の1号機は1971年(GE製)、2号機1974年(GE、東芝)、3号機1976年(東芝)、4号機1978年(日立)に造られています。つまり、少なくとも2号機以降は、欠陥品であることが判明したにもかかわらず提供されていたのです。メーカーは、欠陥に関する情報や、その部分を補いながら運用するための助言の提供を行っていたのでしょうか。

次に、福島の事故の際の助言についてはどうでしょう。原発メーカーは原子力委員会や東電に比して圧倒的に技術的な知識をもっており、事故による被害を最小限に抑えるために最も適切な対処方法を提供できたはずです。事故の発生当時、どうしていいかわからず右往左往していた東電と原子力委員会、また政府に対してどのような対応をすべきかの助言をしたのかどうか、したとすればその内容は適切なものであったのか、それらの事実については全く明らかにされておらず、また検証もされていません。今後、このことを明らかにするなかで、メーカーの過失を炙り出せるかもしれないと考えています。

4.アジアとの連帯、世界の世論の形成
以上の話からもお分かりになったかと思いますが、原発メーカーの法的責任を問うことはハードルが高く、さまざまな障害があることは事実です。また、福島の被害者の方々は、十分な賠償を得られず、経済的にも、精神的にも、また体力の面でも大変疲弊しています。その彼らを、このような困難な訴訟の原告にするということはどうなんだろうか。社会運動の側面が強い今回のケースにおいては、十分に検討を要する問題だと思います。

これに対し、最初に申し上げたシロクマの裁判のように、現に被害を受けているわけではないが、近い将来確実に被害が発生すると考えられる人々、気候変動の場合、地球上のすべての人々ですが、この人たちが原告になって原発メーカーの法的責任を追及するような訴訟類型を考えることはできないだろうか。クリエィティブな発想でもって捉え返して、このような訴訟を具体化することも追求してみたいと考えています。

いずれにしろ私たちは、単なる裁判闘争ではなく、裁判を軸にしつつ、日本国内は勿論、ここに参加されたアジアの人々と一緒になって広く世界的な世論を巻き込み、世界に共通する責任集中制度の問題点を共有し、運動の力で裁判官の良心を引きずりだすことをイメージすべきだと思います。(自民党の河野太郎氏などもブログで明らかにしているように)原賠法の改正に向かう大きな流れを作り出すことができれば、判決を勝ち取ることによらなくとも、目的を達成することはできるはずです。そして、原賠法の改正こそが原発に関わる企業にとっての経済的合理性を失わせ、原発の息の根を止めることにつながるのです。

NNAAのみなさんとの連携を深めながら、この原発メーカーの法的責任を追及する訴訟を実現し、大きな運動へと発展させていきたいと考えています。ご清聴ありがとうございました。      (文責 NNAA事務局)

参考までに:
No Nukes Asia Actions (NNAA) 出発にあたって:原発輸出と闘うべき理論的根拠の確認
http://www.oklos-che.com/2012/11/no-nukes-asia-actions-nnaa.html

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