2012年9月19日水曜日

「日本の変わらなさ」を指摘する開沼博の言い分は当たってきている


開沼博の初評論集『フクシマの正義ー「日本の変わらなさ」との闘い」』(幻冬舎)を読みました。福島における原発の実態を調べ、それが日本の近代化の中でどのような意味をもっているのかということの考察から、地方(周縁)と中央の関係の理論化を目指すこの若い研修者はなかなかしたたかでした。

最初の著作は『「フクシマ論』で、東大の修士論文を書き上げたところで3・11に出会い、一挙に出版され、マスコミや運動体のなかで評判になり、思惑通り「時代の寵児」になった人物です。「デモで原発は止まるのか?」という挑発に乗って、彼の書いていることに「ムカつく」ことがすでに彼の戦略に乗せられたということになりましょう。

「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」(CNFE)は、今年1月にあった横浜脱原発世界会議で彼の著作を取り上げ、原発立地の地方の実態を知り、そこから私たちのやるべきことを考えるシンポジュームを持ちました。
(シンポジウム「国内原発立地地区の市民運動がかかえる困難さと今後の課題」(部屋313+314) 司会:鈴木怜子氏 パネラー: 玄海原発:石丸初美氏、浜岡原発:内藤新吾氏、六ヶ所村:岩田雅一氏)http://www.oklos-che.com/2012/01/blog-post_13.html

そして6月に「下北半島地域スタディ・ツアー」を開催し、六ヶ所村をはじめ下北半島をめぐり函館で集会・デモを持ちました。開沼の言うとおり、地方は疲弊し、地方選挙でも原発推進派が勝ち、3・11以降「何も変わっていない」ということがよくわかりました。そして3・11以前から地方が明治以降の国つくりの過程で内在的な発展ができず、中央に従属する形で生き延びながら高齢化・過疎化に悩んできた実態が3・11で露にされたということも実感しました。

国内植民地主義の内容の深化が不可避
開沼は戦後に地方の受けた搾取・差別を国内植民地主義ということで説明するのですが(しかしこれは概念の借用であり、その言葉の意味を彼なりに深めたものではありません)、ダワーにならい、中央と地方がお互い「抱きつく」関係であったものが、今は固定化、日常化されている、だからその強固な結びつきと地方の実態を中央の知識人が知りもせず、3・11によって日本は変わるだの、資本主義も終焉を迎えただの、デモができることはいいことだなどと、能天気なことを言うなと減らず口を叩くのです。

彼の挑発に乗らずに読み進めると逆に、彼らは時代の成長期が完全に終わったところで、いいことを何も知らずに社会に出始めた若い研究者であり、その位置、狙いがわかりはじめます。まあ、博士号をとっても就職できず、上野千鶴子、姜尚中のような「成功者」には簡単になれないとすれば、収入を得る道を一定確保しながら(原稿を書いたり、「小さく」IT企業を立ち上げたりしながら)、自分のスタンスとスタイルを新たに探すしかないわけで、開沼はここで上野千鶴子や姜尚中の、周縁から全体を見渡す「やり方」を学び、「フクシマ」から周縁と中央との関係を捉えるという視点を確立しようとしたようです。

具体的な処方箋や戦略などを訊ねられても、小賢しいことを言うべきではなく、まず地方(当事者)の実態を知ること、中央の目線でなく、また当時者でもないのに知った振りをして自分の理屈を正当化しようとする知識人(活動家)を批判しながら、時間をかけてやるしかないと言う開沼に、私は徐々に共鳴していきます。

「在日」と川崎をベースにして自分の生き方を模索してきた者として、彼の言い分の正しさ(全部ではないですが)を実感するところがあるのです。マイノリティ問題とはこんなものだと勝手に定義付けするんじゃないよ、自分の理屈(「多文化共生」)に合う都合のいいところだけ拾い出し、自分たちを批判する者には握手の手を引くような、そして本来やるべきマジョリティ批判をやらないで「在日」の文化だ、歌などとはしゃぐんじゃないよ、それって、まさに植民地主義者のパターナリズムじゃないの、とつい開沼調になります。

安易に使われる当事者性(高橋源一郎)
初の評論集としては散漫な印象をもちますが、何人かの対談を通して開沼博の姿が見える仕掛けになっており、私は参考になりました。高橋源一郎の軽妙な言い方でずばっと本質を突くような物言いにも感心したのですが、加藤典洋の「死んだ人間と直接加害を及ぼした人間以外は戦争の直接の当事者じゃないから、「僕は当事者じゃないと」と言えるんだ」という言葉を無批判に引用し、それと今回の震災の当事者の問題と関わらせる物言いは違うと思いますね。日本人の加害者性の問題は、過去の植民地の清算がなされず戦後社会のなかで新たな植民地主義といえる状況になっていることを認識したとき、さらに議論を深める必要があると思われます。この植民地主義の問題を開沼が今後どのように深めていくのか、見守りたいですね。

「3・11以降、何も変わっていない」という認識について
開沼の3・11以降も「何も変わってない」という言い分はここにいたり、当たっていると言わざるをえない状況になってきています。再稼動・再処理の承認、中断していた原発工事の再開、国会事故調の報告を受けとめようとしない国会議員、閣僚会議で「30年代の原発ゼロ」を決めなかった政府の姿勢、原発ゼロを批判する財界に迎合するかのような自民党党首候補者全員の発言、一番危ないことを引き受けてきた青森や福井の反発という、国内の原発体制けでなく、原発パートナーであるアメリカや、再処理を受けてきた英仏の反発など、国際的にも原発の維持発展を図る世界の原発体制が「原発ゼロ」をスローガンにした日本政府を批判し始めています。今の日本政府にはここを突破する思想もやる気もないように見えます。

原発は危険すぎてダメと言えばいいのに
私は「デモで原発で止まるのか?」と揶揄する開沼に対して、デモを続けることを評価し更なる発展を願うものです。開沼も対談者の古市も日本の運動が排外主義に陥る危険性に触れます。彼らには問題が見えているのでしょうが、原発輸出や核廃棄物を海外に持ち込む問題性を認識して指摘はしても、それに取り組むことはないようです。

私は開沼博が原発に反対でも賛成でもない立場からの発言でなく、原発は危険であり、日本だけでなく世界中でなくしていくようにしなければならないという立場を明確にしながら、現地や地域に固執しそのあり方を模索すると発言しても彼の姿勢や研究の価値は下がらないと踏むのですが、いかがでしょうか。

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