2012年6月17日日曜日

日立と原発についてー日立闘争元原告、朴鐘碩

日立就職差別裁判闘争の元原告で、裁判で完全勝利し日立に民族差別を謝罪させて日立に入社し、昨年無事定年退職をした朴鐘碩は、その後嘱託としてそのまま日立に勤務しています。彼は6月5-10日の「下北<核>半島地域スタディ・ツアー」の最終地の函館に合流し、韓国やスイスの人たちや参加した多くの人との対話の中から、日立に残った自分がやるべきことは何かについて、大きな糸口を見い出したようです。


参考までに:「今改めて、日立闘争の私にとって意味を問う」、朴君の定年退職を祝う集い  http://www.oklos-che.com/2012/01/blog-post_07.html


「在日」を排除してきた日本の企業は、「多文化共生」という植民地主義の現代のイデオロギーを使い、もはや就職差別はないかのような幻想を振りまいていますが、過去の強制連行の賃金やその責任を含め、広島・長崎で被曝した在韓(北朝鮮を含む)被爆者の問題、従軍慰安婦問題と同じく、外国人を排除し続ける地方自治体の「当然の法理」問題と合わせて、日本が戦後どのような道を歩んできたのかを根底的に捉え直す問題として、私は「原発体制」というものを捉えなければならないと考えます。原発問題をエネルギー問題に矮小化させるべきではありません(勿論、エネルギー転換は重要です)。あるべき社会を求める観点から、原発事故を起こした日本社会の歴史的な「病理」を直視する機会なのです。

そのような意味で、日立に入社後も40年、継続して日立の閉ざされた、社員にものを言わさせない体質を会社と労働組合を合わせて批判してきた朴鐘碩が、そのような体質をもつ大企業が実は原発メーカーであり、現在も生産を続けているということとの関連性を自分で考え、自分のことばで世界に情報発信してくれることを願ってやみません。それは韓国の民主化闘争の落ちいった陥穽と今後の韓国の向かうべき社会のあり方と連動するように私は予感します。日立闘争が韓国の民主化闘争と結びついていったように。     崔 勝久

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日立と原発ー朴 鐘碩  

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」HP 掲示板より
http://homepage3.nifty.com/hrv/krk/index2.html

朝日新聞 耕論 より 2012年5月21日 
原発建設が盛んな(ことは全く意識しなかった)1970年、私は、日本名で日立製作所の入社試験を受け採用を取り消され、4年にわたる日立就職差別裁判闘争に勝利し、74年に入社しました。昨年11月定年退職し、その後嘱託として働いています。

開かれた組織・経営を求めて会社・組合を批判してきた私は、退職後の道を考えていた時期に3・11が起こりました。「黙らない生き方」を選択した私は、3・11によって新たな道、生き方を考えなければならないと感じていましたが、65歳まで日立で働くことに決めました。定年退職の年に起こった3・11は、次の課題を与えてくれたのかも知れません。

スタディ・ツアで何度も原発メ-カである日立・東芝・三菱の名が出てきました。こうした企業は、どのような企業なのでしょうか。人災による福島第一原発事故の4号機は日立が納入し、東芝、三菱と並び原発の開発、製造で知られています。原発を推進する大前研一氏は、日立の原子力設計に携わったエンジニアです。原子力安全委員会には、日立技師長が委員になっています。

1997年1月28日、当時の日立製作所・第6代金井務取締役社長の防衛大学校で「経営理念・原子力」と題した講演記録があります。広島・江田島海軍兵学校にいた金井氏は、原子爆弾が投下されたとききのこ雲を目撃し、広島の惨状を目のあたりしたそうです。この経験が日立に入社後、原子力の開発に携わり、ビジネスに繋げたようです。また金井氏は、日本原燃監査役、日本原子力発電取締役に就任し、「原子力の平和利用」と住民を騙した当時から、日立は原子力の研究・開発・製造と深くつながっています。

しかし日立の経営理念は、環境ビジョンを謳っています。「日立グループは、環境・省エネ関連分野を今後注力する重点領域として位置づけ、持続可能な地球環境を築いていくため技術を通じた「環境価値創造」を推進すべくチャレンジを続けてまいります」

「日本における多文化共生とは何か」(新曜社2008年)の中で「続「日立闘争」-職場組織の中で」書いたように、企業社会は、労使一体で労働者がもの言えない、言わせない企業文化があります。技術開発に携わるビジネスパ-スンは言いたいことも言えずに抑圧されて生きています。沈黙を受け入れるか、おかしことはおかしいと言い続けて「冷や飯」を腹いっぱい食べるか選択しなければなりません。この企業文化は、企業内「植民地主義」を支えています。原発立地は、経済「繁栄」を支え、高効率なエネルギ-として、「安全神話」の中で多くの人たちを騙してきました。

事故を起こした4号機は、日立とその関連会社含めて千人近い労働者が被曝しながら復旧(あるいは廃炉)工事に携わっています。水素爆発した他号機(東芝)も同様です。解決の糸口さえ見えないまま、今後何年かかるのか、多くの労働者、資金が投入されることになります。被曝労働者は増えるでしょう。

連合は、原発推進「凍結宣言」しましたが、事故現場の状況については全く他の労働者には知らされません。職場で原発事故について問う労働者もいません。日立は、3・11後もリトアニアに原発を輸出する計画です。技術者が現地調査に入り国が後押しして売り込んでいるようです。

原発メ-カである日立、三菱は、戦前の朝鮮人強制連行に関わった企業として知られています。東芝・東電含めた4社(だけでなく経団連加盟企業のほとんど)は、日立就職差別裁判闘争勝利から5年後の1979年、「あらゆる差別の撤廃に向けて」結成された東京人権啓発企業連絡会(人企連)に加盟しています。この人企連に加盟している数社の経営者トップが、歴史を歪曲する「新しい歴史教科書をつくる会」賛同者となった経緯があります。人企連は、「全世界から、一切の差別撤廃を目指して、設立された「反差別国際運動(IMADR)日本委員会の趣旨に賛同し賛助会員に」もなっています。

私は、スタディ・ツア最終日の前夜から参加しました。韓国、スイス、地域で反・脱原発を訴える全国から集まった人たちと交流し、今後何をすべきか、何をしなければならないか見つけた気がします。
No.320 - 2012/06/16(Sat) 23:43:18



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