2012年5月16日水曜日

政府はどうしても再稼働を強行するのでしょうか?



5月19日の朝日の社説では、めずらしくはっきりと(?)「再稼働はあきらめよ」と主張しています。「早く脱・原発依存の具体策を示し、法律を通して抜本的な原子力規制の見直しを進める。それなしに再稼働に動こうとしても、国民の納得は得られない」。しかしこれはよく読んでみると、具体策と抜本的な原子力規制の見直しがあれば、再稼働はあるということではないのでしょうか?うがち過ぎでしょうか?「この夏の再稼働は見送るしかない」という表現が気になります。

私は5月5日の参議院会館での原子力関係の官僚たちとの交渉に参加して、官僚は既に4大臣の決定に従う、再稼働に何の条件を付けないで、再稼働を首相が決定すればただ実行するのみという腹を決めているように感じました。大衆的な動員で大飯3・4号機再稼働を阻止する提案もなされています。私はそれにしてもどうしても政府が再稼働をすると決めたとき、それを阻止する方法はないのか、気になります。再稼働がある場合、電力会社に差止め請求する訴訟の準備は進んでいるようですが、そもそも4大臣が決定する法的根拠はないという主張をして、4大臣の決定と命令は無効という差止め訴訟はできないのでしょうか?

私の疑問いに対して知人の原発訴訟に既に関わっている弁護士から返事がきました。以下、引用ですが、どなたか他の見解を持ち、いざという場合に即、差止め請求訴訟をやるという弁護士はいらっしゃいませんか?

「抽象的には政府の判断を違憲であるとして訴訟提起することもあり得ると思います。もっともそこで問題となるのは大きく以下の3点で,これらを考えるとなかなか憲法訴訟は難しいのではないかというのが第一印象です。
①     具体的な法律上の争訟性を何に求めるか?(日本の裁判所は抽象的に“違憲
であることの確認を求める”といった形の訴訟を受け付けません)
②     憲法何条に違反するから違憲と主張するのか?
③     仮に上記①②をクリアするとしても,結局裁判所は「統治行為論」(高度に政治的な判断については憲法判断をしないという憲法判断回避の手法)に逃げるのではないか?現実的な形態としては,これまで各地で見られるように,原発を実際に再稼働させる電力会社に対して差止めの訴訟を起こすということになるのだと思います。」

以下、再稼働の腹を決め、運動側が何を言ってもただ実行をするのみと考えている官僚の対応を振り返ってみましょう。


昨日、参議院会館での「大飯3・4号の再稼働を止めよう!5・5日政府交渉」に参加しました。毎回、九州や北海道など全国から100名以上の人が集まり、保安委、エネルギー庁など原子力行政に関わる官僚との火花を散らすような「論戦」が展開される、文字通り反原発運動の最戦線です。今回は大飯再稼働をめぐる攻防なので、大飯、小浜など福井からの参加者の発言が目立ちました。

最戦線での攻防であるのに大手マスコミの参加は限られています。これもまた現状です。毎回、この交渉に参加するたびに感心するのは、こちら側の用意周到な準備です。事前に質問書が関係各庁に送られており、その回答をめぐって質問をするという形をとります。

今回のテーマは以下のようになっていました。
1.新規制庁発足前の再稼働について
2.基準値震動と耐震安全評価について
3.避難ルートについて
4.原発の停止に伴う雇用や生活の支援・補償について
5.再稼働についての地元合意について

まず事前に交渉参加者に対して主催者側からの説明があります。1については、新規制庁が発足することが決められ現在審議中なので、大飯3・4号の再稼働については、審査基準が存在せず、4大臣の政治判断で決定されるということの是非をめぐる話です。しかしその政治判断の根拠は何に基づくのか、この点が問題です。

3・11以前の原発設置、変更の基準では対応できなかったので、ストレステスト一次評価の確認作業についても、原子力安全員会ではなく、新既成組織が担うということは細野原発事故担当相・環境相が公言しています。ではその新組織ができるまでは再稼働を決めることはないと考えるのが普通ですが、どういうわけか政府は大飯3・4号を例外的に進めようとしているのです。この点は、野田首相は「新組織とかにかかわりなく、再稼働の是非を決め従来の政府方針」(5・12東京新聞)を繰り返しています。

2.3.4.5のテーマ及び、昨日夜中に共同通信が報じた、「大飯原発近くの斜面が崩壊の恐れ、関電解析、14年度に工事へ」というニュースも、そもそも3・11事故で明らかにされた耐震性の問題点、現地の大間の避難場所、避難方法、経済的な補償の問題など、運動側は再稼働はそれらの問題点の解決を待つべきだという主張ですが、官僚は、鋭意検討、住民の理解を求めるの一点張りで、どのような問題も再稼働の前提にはしない、その判断は4大臣によって超法規的になされ、自分たちはそれに従うということです。

小浜からいらした住職は、小浜住民が全員30キロ内に入るにも拘らず、政府の「合意」の対象ではないということを批判していました。政府がそのような姿勢ですから関電もまともに小浜市と協定を結ぶという姿勢を見せないそうです。政府は当事者なるものを極小化して大飯と福井県に限定して、その合意を基に4大臣の政治判断で何が何でも再稼働をするという腹のようです。滋賀県、京都市、大阪市などには「理解」を求めるという対応をし、押し切る判断を既に終えていると私には感じられました。住民の意見を聴くのでなく、自分たちの判断を理解してもらう、即ち、結論を押し付けるという話です。

小浜、大飯の住民の切なる声は人の心を打ちます。大飯町議会が11対1の大差で再稼働賛成に回ったのも町の住民の雇用をめぐる切実な声を反映させたものでその痛みがわからないのか、という発言もありました。行政側は住民への経済的な補償は考慮すると地元での話しあいの席で公言したらしいのですが、結局は実態調査をするわけではなく、現実に即したいかに論理整合的な発言であっても、それにまともに応えないでなし崩し的に政治決着するという姿勢のようです。

広域での瓦礫処理を巡る話しと似た構造なのですが、そもそもが法的根拠なく、政治判断で物事を決めていくという手法に対抗する手段はないのでしょうか?政治判断は一定の、3・11事故の知見とそれを巡る学問的な検証をしたうえでの基準なくしてはなしえないはずなのですが、どういう訳かこの国では超法規的に物事を進めようとしています。それを運動側はまさに理にかなった、当然の主張をするのですが、運動の力で力づくの政策を止めることができるのか、まさにその点が問題になっています。

いざという場合、政府の再稼働の差止めを要求する司法的な手段は有効なのか、三権分離という民主主義の制度が単なる形式で最終的には国家権力の意向に沿ったものにすぎないのか、国の土台を揺るがす大惨事が起こり多くの住民が当事者として発言することを制度的に認めないこの国が民主主義国家だとはとても言えません。そのような対話に基づく決着をなしえないのであれば、私見では運動の力の結集をしながらも、どういうことがあっても再稼働を阻止するという最終手段を検討、実行するときが近づいているように思われます。自分自身と家族の命を守るのが何よりも優先させられるべきですから。

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