2012年2月24日金曜日

許せない、着々と進む歴史の改ざんー矢田部光昭

「脱原発かわさき市民」の仲間の谷田部さんのメールをご紹介します。(崔)
http://teyata.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/02/post_ecec.html


歴史の改ざんに手を染める仲井真沖縄県知事と、南京虐殺否定発言の河村たかし名古屋市長は同根だ!
2月24日 琉球新報
「慰安婦」を削除 第32軍司令部壕の説明板 県が方針決定

県によって「慰安婦」や「沖縄住民の虐殺」などの文言が二重線で削除された第32軍指令部壕説明文
 
那覇市の首里城公園近くにある旧日本軍沖縄守備隊・第32軍司令部壕の第1坑道入り口付近(園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の裏手)に設置予定の司令部壕説明板で、県は、第32軍司令部壕説明板設置検討委員会(会長・池田榮史琉球大教授)がまとめた説明文から、証言が分かれていることを理由に「慰安婦」という文言と、日本軍による住民虐殺に関する記述を削除することを23日までに決めた。同委は沖縄戦の実相を伝えるためには欠かせないとして同日午後、下地寛環境生活部長に削除撤回を求める意見書を提出した。
 
これに対し下地部長は「慰安婦の問題は明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない。虐殺についてもあったという証言と、なかったという証言の両方あって不確か。限られた範囲内で両論併記も難しい」と削除の方針を変えないとした。
 
検討委は昨年11月、壕の構築や司令部の南部撤退の経緯、壕内に女性軍属・慰安婦が雑居していたことや、壕周辺で日本軍にスパイ視された住民が殺害されたこと、司令部の南部撤退が多くの住民の命を奪う原因となったことなどを記した説明文を県に答申した。県は、答申された説明文のうち「司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」の一文から、「慰安婦」を削除した。さらに「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」という記述全てを削除した。沖縄戦研究者らは「2点の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」「もう少し歴史資料を踏まえて丁寧に書くべきだ」などとしている。

32軍司令部壕

沖縄守備軍・第32軍司令部が首里城の地下一帯に構築した壕。守礼門、園比屋武御嶽石門付近から金城町方向に延びる。司令部壕の規模は南北400メートル、総延長は1キロ超。壕構築は1944年12月上旬に開始、沖縄師範学校男子部の学生らが動員された。32軍司令部は米軍の猛攻撃を受け45年5月下旬に壕を放棄し本島南部に撤退。軍民が混在する地上戦が南部で展開され、犠牲者の増大を招いた。

2月24日 沖縄タイムス
両論ある中で慎重な判断 説明板で知事

那覇市の首里城公園近くにある第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)の説明板の設置を進めている県が、壕内の様子を紹介する説明文から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言削除を決定したことについて仲井真弘多知事は24日午前、1月20日ごろに担当部局から説明を受けたことを認め「いろんな意見がある中では、削らざるを得ない」と説明した。

仲井真知事は23日夕、説明板の文言削除について沖縄タイムスの取材に対し、「知らない」と答えていた。しかし翌24日午前には一転、(削除報告があったのを)「失念していたかもしれない」と釈明した。削除した判断について、「一つはいろんな意見があるということと、確認されていないということらしい。あったという意見と、なかったという意見がある。そうしたことを県の公的な表示板に書くのは慎重に、というのは当然のことだ」と述べた。

2月24日 沖縄タイムス
「住民虐殺」削る 司令部壕の説明板

那覇市の首里城公園近くにある第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)の説明板の設置を進めている県が、壕内の様子を紹介する説明文から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言を削除したことが23日、分かった。文案をまとめた有識者でつくる同壕説明板設置検討委員会(委員長・池田榮史琉大教授)は同日、県に削除した文言の復活を求める意見書を送付した。県環境生活部は削除理由を「二つの史実について県は確証が持てない」ためとした。「慰安婦はいなかっただろう」とする証言記録が1件あること、住民虐殺は「証言内容の場所が特定できない」ことなどを記述削除の根拠としている。

同検討委員会の池田委員長は「慰安婦や住民虐殺の記述を『行政の責任で抜きました』と県は説明したが、そのプロセスが理解できない。2回の委員会で県側から異論はなかった。県として沖縄戦をどう伝えるのかに関わる問題だ。記述削除の撤回を求め、県と話し合いを続けていきたい」とコメントした。

県は昨年から2回にわたり第32軍司令部壕を平和教育・学習の場として活用するための説明板を設置する目的で検討委員会を開催。委員会は同年11月に壕内部の様子などを説明する文案で「(壕内に)1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居」「壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」と明記した。

県平和・男女共同参画課は、この文案に対して県内外から「事実と違う」「証言は捏造(ねつぞう)だ」などのメールや電話、ファクスなどの抗議・意見82件が寄せられたため、部内で再度文案を検討。県平和祈念資料館所蔵の映像証言記録に、当時壕にいた男性の「韓国女性はいたが、慰安婦とは関係ないでしょうね」とする証言などを確認したとし、同課は「県として片方だけの意見を盛り込むことはできず、削除することを決めた」と説明した。

2月24日 琉球新報
社説 :南京虐殺否定発言 歴史の歪曲許されない

河村たかし名古屋市長の「南京大虐殺」否定発言が、波紋を広げている。
 
河村市長は、市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の訪日代表団に、旧日本軍の「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったのではないか」と発言した。この発言を、南京大虐殺記念館館長が「でたらめな話」と強く批判。姉妹都市提携を結んでいる南京市は、名古屋市との交流を当面中止した。
 
日本政府は南京大虐殺の事実を認めている。さらに、2010年の日中歴史共同研究報告書で虐殺の「事実」は確認済みだ。日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と指摘。中国側は「多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げた。重大な国際法違反」と記述した。河村市長の言う「戦闘行為」などではないことは明白だ。その後、河村市長は「30万人の一般市民を虐殺したと語り継がれている。(歴史認識を)正すのが私の社会的、政治的使命だ」と述べている。
 
犠牲者の数について、共同研究報告書で日米に認識の隔たりがあることは事実だ。中国は「30万人以上」とし、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」と指摘している。今後の研究の成果が待たれるところだ。しかし、犠牲者数の違いを持ち出して、南京大虐殺そのものを否定するようなやり方は無理がある。それに歴史認識や事実を正すのは、研究者の仕事であり、学問の世界に政治が介入してはならない。
 
これまで歴史認識の違いが日中両国民の感情を刺激し、しばしば政治問題に発展した。こうした歴史認識の溝を埋めるために、日本の呼び掛けで実現したのが日中歴史共同研究だ。この経緯と研究成果を軽んじてはならない。共同研究報告書は「(日中戦争で)被害を受けた中国民衆にとって、日本による侵略の記憶は深刻」との共通見解をまとめている。ことしは日中国交正常化40周年。日中共同研究で示された共通認識を踏まえ、両国の信頼をいかに深め、どのような未来志向の付き合いをしていくのか。その方向性を示す役割こそ、政治の使命ではないか。

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