2012年1月8日日曜日

ポスト「日立闘争」世代の留学生が語る「日立闘争」ーミン・ドンヨプ(横浜国大4年)

ポスト「日立闘争」世代の留学生が語る「日立闘争」
「在日であること」の(再)編成
―1970年代「日立就職差別反対闘争」をめぐるメディア言説に注目して―
(1月6日、シンポジューム「今改めて、日立闘争の私にとっての意味を問う」における発題レジュメ)
横浜国大大学4年   ミン・ドンヨプ

卒論へとたどり着く道
① 「韓国人」に同化できない私が持つ近年の「多文化共生」に対する違和感(グローバリゼーションの両義性)。
② 「日立闘争」の語られ方に対する違和感:ポスト「日立闘争」世代が接する「日立闘争=民族の勝利」。(在日韓人歴史資料館編『写真でみる在日コリアンの100年』明石書店、2008)
③ 「日立闘争」は「民族の勝利」だけで片づけられるべきか。そうでないとすればなぜ「日立闘争」は「民族の勝利」へと一元化して語られるのか。

卒論で何に注目し、どう問題化したか
●「日立闘争はなぜ注目され、どう言語化されたのか」。
―日立闘争の「そと」に注目し、1970年代日本・韓国・「在日」社会における「在日朝鮮人をめぐる力学」を問題化する。

●「日立闘争」と「在日朝鮮人」をどうとらえるか―歴史社会学のアプローチ
:「社会的現実 」としての「日立闘争」、「関係的思考」によって構築される「在日朝鮮人」というとらえ方 (By P・ブルデュー)

●「日立闘争」研究における「祖国=韓国」の重要性
1974年以降、「祖国=韓国」というアクターの登場に注目

本論
1970年代の韓国、日本、「在日社会」の状況と「日立闘争」の言語化
<日本社会>
「70年パラダイム」の登場
:「加害者」意識の台頭に伴い「日本人の問題」としての「在日朝鮮人問題」が注目される。しかし、「日立闘争」の後半になると、「日本人」と「在日朝鮮人」の枠組みを問うことなく、もっぱら「日本人の質」だけが問題化され、「在日朝鮮人」の主体性回復をあたたかく見守ることでその問題が解消されていく。

<韓国社会>
朴(パク)正(ジョン)煕(ヒ)軍事独裁政権に対する民主化運動の高揚―“真”の「民族解放」につながる「反日闘争」としての「日立闘争」
:韓国社会の民主化を励ましてくれる「日立闘争」を通し、「祖国」と「在日朝鮮人」を「母」と「息子」の関係として認識される。

<在日朝鮮人社会>
「祖国志向」から「在日志向」へ
:その移行は「民族主体性の確立」を条件としていた。

結論
「朴鐘碩」が「民族の良き姿」として生産/再生産されることの意味―「ナショナリズムの共犯関係」?
→「在日朝鮮人」が「日本社会」に「入る」ことの意味を問いかけ、「常識」の壁を越えようとした「日立闘争」は、他方で「主体的な民族」のモデルとしての「朴鐘碩」を前景化させた。そしてそれは「在日であること」を規定・固定化する意図せざる「結果」をももたらしてはいないだろうか。民族のヴィジョンとして言語化される「在日(民族)であること」は当時の韓国・日本・「在日」社会それぞれのまなざしが複雑に交差するなかで形成され、またそれぞれの社会においてナショナリズムを肯定する機能を果たしていたのではないだろうか。

★「日立闘争」の歴史化―2012年、「日立闘争」をどう受け継ぐか。
・「一国史」を超えるアプローチ:「国民国家のイデオロギー装置」である(在日朝鮮人史としての)「日立闘争像」を疑う。
→1970年代人種、民族、国民の「結果」?

・ 日立闘争」の「なか」と「そと」を統合した歴史像が与えてくれる示唆点は何であるのか。→日立闘争それ自体が「ナショナリズム」ではなく、ナショナルな公共圏の言説に収斂される形で「日立闘争」が再生産される。

・「ポスト国民国家」時代における「日立闘争」の位置づけ(1970年パラダイムの問題)
→「多文化共生」のはじまりとして記憶される「日立闘争」と「民族の勝利」としての「日立闘争」の親和性を問題化する:「民族の物語」が何を隠蔽してきたのか。


私にとっての「日立闘争」とは?
→「歴史上の出来事」としての「日立闘争」
「新たな課題」(現在との対話のなかで)
「民族を超えて」ではなく、「民族を内から破る」形でどうやって新しい連帯をつくっていくか。

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① ブルデューは「社会的現実」を、「不可視の関係の総体」であり、「それらの関係それ自体が、互いに外在的で、近接性、近隣性もしくは遠隔性、さらにまた上とか下とか、間とか真ん中とかいった、相対的位置によって、他との関係において規定される、そうした諸所の位置からなるひとつの空間を構成する」と述べ、社会的現実を実体論的思考で考えることを批判した(ピエール・ブルデュー『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待―ブルデュー、社会学を語る』藤原書店、2007)。

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あとがき

チェさん、昨日はほんとうにお疲れ様でした。

まだまだ未熟な学部生の私が昨日のような大舞台で発表できたことは、ほんとうにいい経験だったと思います。また、いろいろと勉強させていただきました。今後ともよろしくお願いします。

昨日のレジュメを添付して送ります。今日読み返してみたらやはりチェさんの指摘どおり、最後の「マイノリティ・ナショナリズム」の両義性は非常にわかりにくく、なお自分のなかでもまだはっきりと何なのかわからないなと思いましたので、そこだけ少しわかりやすい文章に変えてみました。

昨日の感想は、本当に人が多くてびっくりしました。笑
でも私にとってはあらかじめ自分が進めている論文の意味や、これからの院での活動など、いろいろと深く考えられる機会だったと思います。

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