2011年12月3日土曜日

「定年退職を前に」 ー 朴鐘碩

2011年11月19日(日)14:00~「JICA地球ひろば」
NPO法人Bridge For Peace(BFP:神直子代表理事 http://bridgeforpeace.jp/)主催  朝鮮半島プロジェクト 第2回ワ-クショップ<「多文化共生」を考える>講師として招かれる。

季節はずれの温かさと土砂降りの雨の中、高校生、学生、韓国・中国からの留学生、青年(労働者)、ソウルで育った日本人年配男性、数人の婦人など30名が集まる。「北朝鮮へのエクソダス」(テッサ・モーリス-スズキ著)に記述されている同世代のLさん、神代表理事の大学恩師S教授も参加された。

神代表理事からBFPの経緯説明。参加者全員3グル-プに分かれ、アイスブレイキング(自己紹介)の後、20分の日立就職差別闘争のDVD視聴。私は、約1時間、以下の内容で講演した。講演後、再度3グル-プで質疑、感想、全体ディスカッション、最後にS教授の「纏め」で締めくくった。

参加者の多くは、学生、青年であった。彼らの関心は今後の就職活動である。私が日立の経験を話すと、彼らの目は輝いたと思う。私を見る表情は、厳しいというか険しく感じられた。多国籍企業・日立の職場の実体を聞いて、これから就活するひとりの学生は、「これから社会に出て就職するのがこわくなった」と感想を漏らしていた。「裁判して、自由にものが言えない会社で働き、よく定年まで勤めた」という意見もあった。韓国からの留学生は、組織の非情さについて「上官の命令には絶対反抗できない」と兵役の経験を語ってくれた。「日本、韓国の企業も同じだと思います。韓国は、「民族」をしきりに主張していたが、最近は弱くなっているのではないか。日本の人たちも就職、原発、津波など多くの問題を抱えているから、特に日本に住む韓国人が「民族」だけを主張し生きていくことは難しいと思います。」と感想を述べた。

「当然の法理」を知る人は圧倒的に少なかった。また開発途上国を援助、支援する、足元であるJICAが職員あるいはボランティア採用で「国籍条項」で外国籍者を排除していると聞いて驚いた。「何故、JICAは国籍条項で外国籍者を排除するのか」という疑問が出る。

S教授は、「日本は戦前を引き摺っている。韓国人と徹底的に向き合い、個をぶつけ合うことが必要だ。鈴木正久牧師は戦争責任を告白した。日立闘争勝利は、亡くなった李仁夏牧師、中平健吉氏のようなキリスト者、教会が大きな力となった。日立製品不買運動に発展した。指紋押捺拒否闘争にも繫がり戦後人権運動の発端となった」と纏めた。

「裁判勝利して、日立に入社することに迷い、不安はなかったのか。何故定年まで勤めることができたのか」という質問も出された。参加者からの感想・意見・質問は、BFPで纏める。韓国料理店での2次会参加者は、学生4名、年配の日本人男性、Lさん、私の7名であった。(留)学生たちは、「今後の就職活動、生きるうえで役立った」と語り、年配の男性は、「日本人は戦争責任を追及して来なかった」と話した。

Lさんから朝日文庫本になった「北朝鮮へのエクソダス」をいただいた。私が生まれ育った西尾市から近い豊橋で18歳まで育った同世代のLさんは、名古屋・中京競馬場前の朝鮮高校を卒業し、私と同じように就職差別された経験を語った。

小学生の頃、日本人生徒から虐められ、私の家庭同様、バラック小屋同然の家で生活していた朝鮮人が北朝鮮に行ったこと、日本人と思っていた中学の同級生が朝鮮高校に通い、彼の家まで会いに行ったことを私は思い出した。

当時、民族組織は、日立就職差別裁判は「同化に繫がる」と批判したが、民族系の団体である在日韓人歴史資料館から講演依頼を受けた。
2012年2月4日(土)14:00~16:00 
テ-マ「日立闘争から41年、定年退職を迎えて」
106-8585港区南麻布1-7-32 tel 03-3457-1088 fax 03-3454-4926
URL http://j-koreans.org Mail info@j-koreans.org
東京メトロ南北線・都営大江戸線「麻布十番」駅下車2番出口から徒歩3分


「定年退職を前に」 JICA地球ひろば「402」
朴鐘碩(パク・チョンソク) 2011年11月19日
※講演内容は、追記・変更した

今日は。1970年に裁判を起こした、40年後の現在の朴鐘碩です。本日は、日立闘争の話をする場を与えて下さり、感謝申し上げます。

今、皆さんに見ていただいた日立闘争のビデオは何度も見ていますが、懐かしいというより、40年前のこの出来事が、つい昨日のことのように感じます。

私は日本人女性と結婚し、現在3人の息子の父親になりました。長男の息子は、国籍が問題となってアルバイトを拒否された経験があり、次男の息子はいくつもの企業にチャレンジしましたが、面接までいかず何度も落とされました。大学卒業しても企業から正規労働者として採用されることは難しい状況です。居酒屋、日雇いなどのアルバイトで何とか生活していましたが、最近、正規労働者として職に就くことができました。

私は、愛知県の高校の商業科を卒業し、トヨタの自動車関連の末端の小さな工場でプレス工として就職しましたが、そこはすぐに辞めました。「もっといい仕事はないか」と新聞の求人広告を眺めていました。「コンピュ-タ」という文字に引かれ、日立製作所の中途採用募集を知り、履歴書に日本名と現住所を記入して応募しました。試験に合格したものの「韓国人です」と知らせると採用を取り消されました。「合格」というつかの間の喜びは一瞬にして消えました。谷底に落とされた気持ちでした。

「こんなことが許されるのか。自分の人生はこんな筈ではなかった。このまま引き下がるわけにはいかない。何とかしなければならない。」と当時18歳であった私は怒りに燃えていました。

現在勤務している横浜・戸塚にあるソフトウエア事業部との交渉が決裂し、横浜駅西口でヘルメットを被ってチラシを配っていたベトナム反戦運動をしていた、慶応の学生たちと偶然出会いました。私の方から彼らに声をかけました。全く知らない、みすぼらしい朝鮮人青年から「日立製作所から就職差別された」と事情を聞いた学生は驚いていました。

学生たちは、弁護士を探して横浜地裁に提訴することができました。こうして日本の敗戦から25年、植民地支配から60年後の1970年に日立就職差別裁判が始まりました。

しかし、在日の民族組織は、「裁判は同化に繋がる」と批判し、共闘を拒否しました。民族組織の視線は、民族を前提にした祖国統一・民主化を課題として本国に向けられていました。

そんな中で多くの学生、青年の悩みは就職でした。9人姉兄の末っ子として育った私は、オモニ(母親)、アボジ(父親)、4人の姉・4人の兄たちの生き様を見ながら育ちました。姉たちは水商売、兄たちはトラック、タクシ-の運転手をしながら生活していました。朝鮮人は日本の企業に就職できないという現実、差別の壁は厚く、生きる道は制限され、選択の余地はありませんでした。当時、青年たちの将来の夢は、絶望的で「(就職)差別されるのは仕方ない、諦めるしかない」状況でした。

裁判が進行すると、私ひとりの問題ではなくなり、また単純な就職差別という問題だけでなく、日本の戦争責任を問いました。それ以上に、貧困家庭で育ち、同化した私自身の民族性、人間性を含めて生き方が厳しく問われました。私はこの時点から生き方を問われ、自らを問うことになりました。日本名を名乗って生きてきた私に「民族」というものは存在しませんでした。民族の主体性、アイデンティティ、人権運動、左翼用語など、これまで生きてきた生活では聞きなれない難しい言葉に出くわし圧倒されました。

俗世間のことは全くわからず、いつまで続くか解らない裁判への私のストレスは、集会で日本人を告発し糾弾することで自分を甘やかしたと思います。私は、生き方に悩み、挫折を経験しましたが学生たちはじっと我慢して私を見守ってくれました。また、多くの人たちに出会い、支えられ、生きる糧となりました。

当時の社会状況は、大学紛争、ベトナム反戦運動、入管闘争、三里塚・成田空港などの問題に青年、学生たちが関わり、新たな価値観、生き方を求めていた時代でした。

こうした状況も重なって日立闘争は、多くの青年、教師、教会の人たちが関わりました。また既成組織に頼らない、民族の路線から外れた青年たちは、差別社会で必死になって生き方を求めていました。朝鮮人子弟の教育、就職に直面している日本人教師にとって切実な問題でした。歴史を歪曲する教科書が教育委員会で採択されていますが、勝利判決後、日立闘争は、中学、高校の社会科の教科書に記述されようになりました。

昨年、7月29日の朝日新聞夕刊「窓 論説委員室から 弁護士政治家」に報道されましたが、仙谷由人元官房長官は、弁護団の一人でした。弁護士になって初めて担当した事件が日立就職差別裁判でした。当時20代だった仙谷弁護士は、弁護団会議に来られて、「この事件をやりたい」と積極的な姿勢でした。「何故、この事件に関わるのか?」問い、日本人の立場、生き方について学生たちと共に夜遅くまで議論したことを覚えています。弁護団会議は、韓国人、日本人の生き方を問いながら、緊張関係を保持しながら共に前進したことも完全勝利に導いた重要なファクタ-であったと思います。

提訴から3年半後の1974年6月に横浜地裁で勝利判決が下り、9月に22歳で職場に入りました。現在、日立製作所でコンピュ-タ・ソフトウエア開発技師として働いていますが、今月末ですが、後10日程で定年退職となります。

DVDを見ていただいたように、私は日立闘争を終えて日立に入社したわけですが、当時、私は、企業が利潤を求めて、その価値基準で労働者を評価し選別していくという-NHKのサラリ-マンNEOが風刺していますが-独特の企業風土に押されて「民族差別」を同僚たちと話すことさえできない、周囲の重圧に負けて、仕事に没頭するだけの弱い人間になっていました。ある意味で、私は会社・組合に「包摂」されていたというか埋没していたわけです。

業務に追われながら「裁判までして日立に入った私は本当に仕事だけしていればいいのか?何かおかしい?」と感じるようになり、思い切って自分の立場を同僚たちに訴えました。今でも思い出しますが、目の前は真っ暗でした。間もなく胃潰瘍で1ヶ月入院することになりました。入社して5年後の27歳の時でした。

入院しながら考えました。日立の民族差別を糾弾し、裁判闘争までして入社した自分は、何故入院する状況に追い込まれたのか?大企業で働く日本人労働者は、子どもでもわかるおかしいことはおかしいと素直に言わないのか?例えば、当時、暑い時は暑いと空調を入れるように会社・組合に要求せず額から汗を流し、団扇で扇ぎながら我慢して働いているのか?

相変わらず企業の不祥事が続いていますが、ニュ-ス報道でインタビュ-を拒否するビジネスパ-ソンの姿を見ますが、経営者が倫理観を失って犯罪をしても、何故労働者は経営陣を批判しないのか?労働者の権利を守る組合は、労働者の立場になって労働条件の改善を経営者に要求しているか?組合費はどのように使われているか?組合費で生活している組合幹部は普段何をしているか?仕事をしていない連合をはじめとする組合幹部は労働者なのか?と多くの疑問を感じ、民族差別と労働者の問題について考えざる得ない状況になってきました。

このことは、労働者の権利を擁護すべき労働組合、日立製作所労働組合が日立闘争を見て見ぬふりをしていたことにも繋がります。当時、何故彼ら、日立の労働者は沈黙していたのかということです。

企業・行政に就職すると、当事者の意思と無関係に頼みもしないのに組合に強制加入させられ、毎月、半日分の労働時間が組合費として給与天引き、チェック・オフされます。入社当時、組合活動に沈黙していた私は、組合は組合員の権利を守る砦として開かれた組織であるべきだと考え、職場集会で大きな声で発言するようになり、支部委員長にも立候補しました。職場集会は名ばかりで、評議員の一方的な説明のみで組合員から質問・意見・要望が出ることはありません。

「職場の秩序を乱す」ような、私の大きな声が気に入らなかったのか、邪魔になったのか、職場集会は突如説明もなく開かれなくなりました。組合は、組合員が自由に質問・意見・要望を言う場を無くしました。この状況は、現在も続いています。
私のように組合、会社の意向を無視し、周囲から冷たい視線を受けて組合役員選挙に自分勝手に立候補することは、かなり勇気が要ります。もし皆さんがこれから企業に就職して、職場集会で積極的に発言したり、組合選挙に立候補する時は、「異端者」として見られることを覚悟した方がいいと思います。

これまで何度も挑戦して選挙に敗れましたが、こうした活動を通じて逆に企業社会の矛盾、問題点、課題など見えたことがたくさんあります。意外にも当初は予想を超える30%近い得票でした。組合、会社にとって相当な打撃だったようです。選挙といっても、企業内組合選挙は予め役員を決定し、人事異動同様、会社と組合で当選確実な根回しがなされています。つまり組合活動に関心のない、沈黙している組合員が突如「自主的に立候補」させられ、対立候補がいない選挙で当選することになります。この方法は労使幹部が思い通りに、経営者にとって有利な労働条件を決定するのに役立ちます。このような状況の中での30%近い得票だったわけです。

組合幹部が提案した議案・方針は、既に会社側と話し合ったのか、結論となっています。それでも一応、民主主義を建前とした「選挙」によって選ばれた役員が集まって、形骸化した代議員制度の下で10億円以上の予算も満場一致で可決します。そこに一般組合員の意見・要望が反映されることはありません。ちなみに彼らはこのようなやり方を「民主主義」と言っています。

ものを言わない、組合を批判しない、抵抗しない組合員を各職場から委員として事前に決定し結論まで準備する周到な根回しは、上から与えられる、行政・企業主導の「市民参加」型のシンポジウム、外国人市民代表者会議、タウンミ-ティングなどの委員選出と共通点があります。

組合は、組合員の意見、要望を反映せず、春闘・一時金闘争などで労働条件改善を求めて会社側に提出し、妥結すれば説明もせず組合員に押し付けます。組合員が具体的な労働条件の改善あるいは改悪を知るのは、直属の上司からです。反論できないような雰囲気にして、会議室にひとり一人呼んで説明します。

春闘の最中に発生した震災後の日本の動きは、戦時体制思わせる、自粛、自粛、自己犠牲を強いるような、挙国一致の様相でした。春闘ニュ-スの報道はなくなりました。組合は、組合員に交渉経過を説明せず結論だけを知らせる組合発行の機関紙(HITACHI UNION NOW)を机上に、意図的に組合員が不在時に配布します。

不在時に配布するのは、私のように「黙って配布するな。内容を説明しろ。」と抗議する組合員を避けるというか、こういう組合員から逃げるためです。しかもこれは無料でありません。「組合員の購読料は組合費の中に含む。1部6円」と読めないくらい小さな字で書かれています。多くの組合員は、このような組合の機関紙、チラシは読まず、そのまま廃棄します。ですから組合員から質問・意見がでることもありません。また原発事故と津波災害の影響が気になるものの、社会問題について声を発する場がないため沈黙しています。

品川・名古屋間を1時間以内で結ぶリニア中央新幹線は、建設費用は「9兆300億円」以上です。「その使用電力量は544万Kw/日となり、原発5基分の電力が必要」(いのさん発 かわらばん10月5日NO.26)と言われ、原発推進が前提となっています。民間企業労働組合-民主党政権を支える連合-は、「原発推進を凍結する」と宣言しましたが、原発を設計・開発する日立・東芝などの労働組合、原発の電源供給を前提にリニアを開発するJRの労働組合は沈黙しています。原発・リニアを設計する、連合に加盟する組合員・エンジニアたちは、本当に開発、設計を凍結するのでしょうか。連合の「原発推進を凍結する」とは、どういう意味なのか、具体性がありません。私はまだ日立労組及び連合の組合員ですが、連合の役員幹部がどのように方法で選ばれているのか、知りません。選挙を実施したことも投票したこともありません。組合に聞いても教えてくれません。

表面上、組合員の声を反映すると謳い、職場の民衆である組合員の意見を一応聞くものの、予め決めた組合幹部の方針を採用し、最終的には組合員の意見を無視あるいは排除するやり方です。つまり包摂と排除です。ですから組合員である私からの質問、意見、要望は、完全に無視されています。

私は2000年から6回連続支部委員長に立候補していますが、ちなみにこの役員選挙公報には、対立候補である私へのあてつけなのか、執行部派の候補者の推薦文に、「自己中心的でなく、組合員全員の利益を守り、拡大するために行動する人、組合活動するにあたり一致協力した行動のとれる人」と書いています。

あまりにも酷いやり方に我慢できなくなった私は、労使幹部の春闘交渉現場に立ち会うことを決意し、組合員の声を無視したやり方はおかしいと、その場で発言したこともあります。私の行為は、組合の統制委員会に召喚されることになりました。詳しいことは、私のBlogに掲載しています。
日立製作所労働組合・統制委員会への公開書簡 2006年6月2日
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_111.htm

組合というか、組織というのは、延命を図るために「円滑な組織運営」を優先します。余計なノイズを排除するために権威を前面に出して批判する個人をパワ-ハラスメントします。個を潰す戦術を取ります。労働者の権利を擁護すべき組合の本来あるべき姿、あり方を求めて組織を批判すると責任を個に転嫁して潰す風潮になっています。生活を脅かす常套句で個を同化あるいは労使協調という「共生」を強制します。これは、働く人たちにものを言わせない企業文化、経営方針であると言えます。

人間を排除する組織は、例外なく内部において必ず矛盾・問題を起こしますが、その問題をどのように解決すればいいか、矛盾をどう止揚するかという徹底した話し合い、自らの生き方が問われる、足元に存在する「複雑で難しい」根本的課題を避け、企業の場合、生産効率と利潤を優先します。逆にそれを隠蔽し、弱い立場の人間を孤立するように追い込み、じっくり抑圧します。弱者が常に虐げられる不条理な格差社会ですが、この現象は人権運動体含めて組織が肥大化するほど顕著に現れるようです。

職場で人間性を求めることは、個の価値観の摩擦・衝突が起きますから、もの言う労働者は、普通孤立します。孤立しても生き方を模索するしかありません。孤立、批判を恐れていたら人権運動はできません。人間は孤立に耐えて鍛えられ、人間的に成長することもあります。

選別と競争の中で日々利潤・効率向上を最優先に、絶えず生産工程に追われ、自分の生活を守る、家族を養う、企業社会で生きる労働者は、声を出せる状況ではありません。仕事を終えてアルコ-ルを飲む時間はあっても原発のような社会問題、「他人事」である民族差別、他者を理解する余裕はありません。

日立闘争以後、企業は「人権研修」を実施しています。しかし、何故、自分たちが「人権研修」を受けなければならないのか、疑問を感じてもその疑問を提起する労働者はいません。「人権研修」が始まると、仕事の世界から離れて「一時の解放感を味わい休息の時間」となって疲労感から居眠りする労働者、エンジニアも少なくありません。現実と乖離した、眠たくなるような「人権研修」は、反発となり排外主義を強化することになります。
つまり、労働者はものが言えない、言わせない抑圧的な職場環境そのものが(民族)差別をつくっている、再生産していると私は気づいたのです。民族差別と労働者にものを言わせない、見えない抑圧は、表と裏で深く絡んでいます。これは社会全体にも言えることです。

また、会社と組合の労使協調という「共生」の下で、おかしいことはおかしいとものが言えない職場環境と製品の偽装・不良、原発のような人災事故と深く繋がっていると思います。新自由主義と市場原理に基づいた利潤追求、早期開発、経費・人員削減、効率向上など、上からの押し付けは労働者を精神的に追い込みます。

津波によって「想定外」の原発事故が起きていますが、偽装・事故が発生すれば徹底した原因調査と再発防止策が求められます。しかし、製品偽装・事故を起こすような抑圧的な職場環境を一切不問にした前提で現場の労働者は対策を講じなければなりません。どこまで真実を掘り下げればいいか設計者自身、何日も悩みます。

大人になったら本音と建前を区別しなければなりません。事故対策・製品開発に明け暮れ、徹夜作業が続くとさすがに私のような頑丈そうな体格の人間でも精神的・肉体的に追い込まれ疲れます。バブル経済崩壊前の70年代、80年代、職場で倒れたり、私のように入院したり、突然登社拒否する人、退職する人も少なくありませんでした。

企業の不祥事に対応して、日立は、倫理教育と称してJR西日本の事故を題材にして職場で議論する機会があったのですが、上司が一方的に説明するだけで部下は殆ど発言しません。私は、他社の事故ではなく日立就職差別裁判という素晴らしい素材あるのだから、この事件が何故起きたのか、この事件とものが言えない労働者の問題は深く関係しているからそれについて議論したらどうかと提案しましたが、反発する声もありました。

矛盾や疑問があっても抵抗せず組織に従い、組織・幹部の指示が全てに優先するという風潮・価値観が企業はじめとするあらゆる組織の癒着・不祥事・事故に繋がっていると思います。経営者・組織の不祥事、事故を防止するためには、会社経営・組織のあり方を根本から捉え直す必要があります。関わりのない末端労働者にノルマを課し、一時凌ぎ、その場限りの研修を重ねても問題は解決しません。

健全な開かれた会社・組織するためには、属する人たちが「個」として自立し、立場を越えて不正・不義を訴え是正しなければなりませんが、目に見えない、立ちはだかる厚い壁にぶち当たり、私自身もそうですが良心の呵責と無力さを感じながら悩んでいる人もいます。人間らしく生きるために最後まで何を失ってはいけないのか自問し、生き方に悩み、日々決断を迫られながら、私は静かに定年退職の日を待っている状況です。個を確立する意味は、組織の中で孤独と試練に耐えることかも知れません。

約230年前、米国独立戦争の時代。18世紀に生きた貿易商人John Hancockは生き延びるために次のように言っています。
The greatest ability in business is to get along with others and influence their actions.
A chip on the shoulder is too heavy a piece of baggage to carry through life.
(ビジネスにおける最もすばらしい能力とは、ほかの人と上手につきあい、彼らの行動に影響を与えることだ。けんか腰の態度は、一生持ち歩くには重すぎるお荷物だ)

4年近い「日立闘争」を経て、私は日立製作所に入りました。言いたいことも我慢し、「ほかの人と上手につきあい」ながら、仕事を覚え、コンピュ-タエンジニアである、「彼らの行動に影響を与え」ることができればと思いました。しかし、私は、これまで話してきたように、退職するまで「けんか腰の態度」で会社、組合の問題点、矛盾を批判してきたかも知れません。「けんか」してきた日立製作所で働き、悩み、失敗し、生き方を求めてきました。コンピュ-タのソフトウエア開発に神経を集中させ、緊張し、「けんか腰の態度」で閉鎖的な企業社会の壁を批判した私は、決して「一生持ち歩くには重すぎるお荷物だ」と感じませんでした。

逆に、19世紀後半の英国批評家、John Churton Collinsは、
「Always mistrust a subordinate who never finds fault with his superior.」
(上司を一言も非難しないような部下は、決して信用してはいけない)と書いていますが、先ほどもいいましたがおかしいことはおかしいと経営者幹部、直属の上司、組合幹部を批判することは、相当な勇気と生き方の決断が必要です。

どのような組織であろうと、たとえ一人になってもその中で人間性を求める課題は続くと思います。19歳で訴訟起こした「朴君」は、いつの間にか40年が過ぎて60歳を迎えるおじさんになり、無事に定年まで勤め職場から多くを学ぶことができました。

さきほどのビデオに映っていた、日立闘争の発端となった職場の建物は、偶然なのか、私の退職と同時になくなります。定年退職後、私は継続して嘱託として65歳まで働く予定です。日立労組の組合員でなくなり、これまでのように組合選挙に立候補し、組合にものを言う機会も少なくなりますが、大変なことですが、人間としておかしいことはおかしいと言い続けていこうと思います。

高い失業率、非正規、派遣労働者の問題、就職活動する後輩たちの取り巻く環境は、厳しい状況で改善する方向になっていません。偽装請負、欠陥製品、談合、原発事故など、経団連をはじめとする経営者の社会的責任が厳しく問われることもありません。入社試験に合格しても内定を獲得するまで繰り返される採用担当者との面接で、企業側の論理、判断基準で多くの学生が振り落とされ、選別されます。

要するに企業は、人間性を求める個性よりも、「上司の言うことを聞き、会社の経営方針を批判せず黙々と利潤と効率を求める個性」を持つ、組織に順応する、偏差値の高い大学の人材を採用します。これは、善悪は別にして「いい大学、いい会社」に入るための受験戦争の激化に繋がっています。

 酷な言い方になりますが、企業に就職するということは、ある意味で人間性を否定する「企業内植民地」で生きるということになります。こうした背景もあり日立闘争の意味を検証する意味で、横浜国立大学に招かれ、「貧困・差別・抑圧への抵抗」をテーマに、300名を超える学生たちにさきほどの日立闘争のビデオを見てもらい、講義しました。

私が日立製作所を訴えたのは、学生たちと同じ年頃で19歳の時でした。日立闘争を経験し22歳で入ったわけですが、多くの学生が日立にチャレンジすることを願って、採用拒否された時の心境、コマーシャルに出ている「技術の日立」で働くエンジニアたちの姿、職場の実態を話しました。

学生たちの目は輝き、真剣そのものでした。感想文を読むと「民族差別」を理解しなくても、これから就職活動する学生たちは、同じ立場になって似たような経験をするかもしれないと思ったのか、自分のことのように聞いてくれました。

黒い壁・津波に流されたタンクで3日間燃え続けた気仙沼で、私はボランティアの学生たちと出会いました。彼らは日立闘争のことを知っていました。彼らは私と出会い驚いていました。彼らの部屋に招かれ夜遅くまで話し、彼らも同じような反応でした。私は、学生たちと話しながら気仙沼に何しに来たのか、講演しにきたのかと思ったりしました。出会った学生のblogが以下に掲載されています。
朴さんとの出会い2011年6月9日 http://greenz.jp/hiro/?cat=1

私は、学生たちと同じ世代である3人の息子がいますが、家を出て自立することを願っているのですが、その気配がありません。ボランティア学生たちに相談すると「小さいことでも何でも徹底的に甘やかすことが必要だ。そうすれば嫌になって自ずと家を出る」と、一人の学生は自分の体験を話してくれました。親に知らせず気仙沼に来た学生もいました。九州・宮崎から往復ヒッチハイクでボランティアに来た青年もいました。彼(女)らの共通の悩みは、やはり就職でした。しかし、就職したが会社組織に馴染めず辞めてボランティアに来て新たな生き方を求める青年もいました。就職先は決まったが、被災地の状況を見て就職するかどうか迷い、悩んでいる青年もいました。

今年3月11日14時46分の地震と津波、原発事故によって破壊された街の再生は、今後どのように方法でなされていくのか、多くの難題があります。カナダの女性ジャ-ナリストが書いた「ショック・ドクトリン」(Naomi
Klein岩波書店2011年)を読みましたが、3・11後の東日本の復興事業は、莫大な国家予算が必要です。

新自由主義の下でその国家予算の成り行きをじっと伺っているのは、復興事業に参画できる大手企業です。天井知らずの莫大な予算の背後には、黒い影が見え隠れしています。公共事業のインフラ整備が最優先されますが、厳しい冬を迎える被災住民への福祉、医療は後手となっています。

「共生・人権」をスローガンにしている阿部孝夫川崎市長は、戦争を前提に「外国人は準会員」と発言し、未だに謝罪・撤回していません。内閣法制局の見解にすぎない、法律ではありません、「当然の法理」を理由に外国籍公務員に許認可の職務、決裁権ある管理職に就かせないという、差別待遇を禁じた労基法に違反する、1997年に「外国籍職員の任用に関する運用規程」を作りました。サブタイトルは、「外国籍職員のいきいき人事をめざして」となっています。逆にこれを見た日本人の職員は「では、日本人にいきいき人事はないのか」と反発すると思います。つまり、もともと日本人にも、外国籍公務員にも「いきいき人事」はないということです。

川崎市が外国籍職員に制限していた職務は、当初182でしたが、10年後の2007年、192に増やしています。このような「運用規程」を作らなかったものの、米軍基地、反戦運動が盛んな沖縄、「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書を中学で使用した、私が住んでいる横浜市、皆さんが住んでいる全ての自治体は、この川崎方式を採用しています。

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」が作成したこの「国籍条項完全撤廃」関連資料を読んだ知花昌一さんは、「立派な資料ですね。よくできましたね。沖縄は基地問題、反戦運動は盛んだが人権意識が低いことは、この資料を読んで分かりました。朝鮮人というか外国人の人権に関心がない」と言っていました。
ここで問題になるのは、基地問題を抱え反戦、平和を訴える沖縄の自治体、教育労働者および労組は、「当然の法理」が見えないということです。外国人というか朝鮮人が見えないということにも繋がっています。

私はボランティアとして気仙沼に行った時、学生たちから「パクさんはJICAの職員になったらいい」言われたことがあります。「外国籍は採用されない」と言うと、彼等は、「そんなことあるの。日本は考え方が狭い」と驚いていました。JICAから派遣されたボランティアにも会いました。この集会の主催グル-プは、JICAと関係しているようですが、「当然の法理」という言葉を使用していませんが、JICAも国籍条項で外国籍ボランティアを排除しています。

国際協力機構理事長・緒方貞子理事長は、「JICAは、「人間の安全保障」実現のため、「すべての人々が恩恵を受ける、ダイナミックな開発」(Inclusive and Dynamic Development)というビジョンを掲げて活動してまいりました。民族も、宗教も、性別も、世代も超えて、すべての人々が、自らの開発課題を認識し、それを解決するプロセスに参加し、その成果を共に享受できるような取り組み、そして、貧困削減と経済成長が好循環を生み出す途上国支援を目指してきました。」(2011年6月)と書いています。

開発途上国をはじめ「民族も、宗教も、性別も、世代も超え」るのであれば、JICA職員およびボランティア採用において、なぜ国籍条項で外国籍者を排除するのでしょうか。

東日本三陸沖災害救援は、世界各国から支援が寄せられ、韓国からも救援と連帯メッセージがありました。日本の自治体は、川崎市の「運用規程」と同じように、国籍を理由に外国籍公務員に職務を制限し、外国籍者は消防士になれないことも決めています。また外国籍の教員は正式教員でなく非常勤として扱われ、管理職にはなれません。

しかし、日本政府は、津波被害による人命救助、災害援助に世界各国から支援を受け入れています。国籍関係なく現場は人命救助しています。これを見て、戦後、外国籍(公務員)を排除してきた、「当然の法理」は破綻していると思いました。

福島の原発事故に対しては、脱原発、反原発の草の根運動がキリスト者、市民を中心に拡大しています。これは、日本だけでなく人類および世界の課題であり、レジメに書いてある「原発体制を問うキリスト者ネットワ-ク(CNFE)」のHP(http://wwwb.dcns.ne.jp/~yaginuma/report1.html)を見ていただければ解りますが、韓国、モンゴル、フィリピンなどの地元の人たちと国籍を超えた連帯に繫がっています。

戦後最大の災害をタ-ニング・ポイントにして、これから日本は今後どのような地域、自治を作り出そうとするのでしょうか。戦後同様、全てトップダウンで政策を決めるのか、外国籍住民を2級、3級市民扱いするのか、それとも同じ住民として対等な関係を作り、共に開かれた地域社会、組織を造るのか、問われています。

もともと民族差別の不当性を訴えた日立闘争というのは、結局は国籍、性、宗教、思想、障害の有無、学歴など関係なく人間が人間として受け入れられる、開かれた社会・組織を求める闘いであったということが職場で、言いたいこともいえないエンジニアというか労働者が黙々と働く姿を見て解りました。私はそれを自分の生きている足元からはじめようと職場で悩み、迷い、チャレンジしてきました。

自らの足元で開かれた社会・組織を求めて具体的な闘いを、他人のためにやるのではなく自分のために孤立してでも地道に続けること、それが人間らしく生きるということであり、新しい歴史を作ることになると思います。

たとえ失敗や後悔があったとしても、歴史の不条理に立ち向かい、日立闘争のように人権は上から与えられるものではなく勇気を奮い立たせて、自らの存在・生き方を賭けて獲得するものであるという開拓者精神で、胸を張って歩み続けることが大切であると思います。何でもそうですが本気でやればできるのではないかと思います。

理解できなかったことがあったかと思います。日立闘争から今日までの歩み、「人権・共生」をスローガンにしている川崎の「共生」の問題点を問う、「日本における多文化共生とは何か」「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」の資料も少し持ってきました。読んでいただければと思います。御清聴ありがとうございます。
No.313 - 2011/11/23(Wed) 12:23:01

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BFPのMさんから参加者の感想とアンケ-トを纏めていただきました。感謝申し上げます。

●感想
・朴さんのお話を聞けるということは、とても貴重な機会
・在日だけではなく、社会の仕組みについても知れた。
・企業内の話は共感
・エンジニアの話は納得しました。
・就活で悩むことよりももっと違う事で悩みたいと思いました。
・1人になっても(独立しても)人間らしく私らしく
・企業の中にある「違和感」みたいなものに私は耐えられるか、心配だなぁと思いました。
・18歳で企業を訴えるのがスゴい
・知る、分かる、理解するは「伝える」から始まる
・無駄な「我慢」は自分を殺すこと。
・価値観をぶつけ合うことによって理解のできる価値観が生まれる
・閉じられていることによるメリットもあるのでは?二択の問題ではない
・人間はどうせ動物だ。
・人間はどうせ動物で、自分のために生きています。子どもは本能に従っている。しかし・人間は自分の利益を譲りあえる。それが社会。
・差別が良いものとは思わないが、人が集まると(集団・団体になると)そこに属する。人の間に差が生じる。ことは集団がかかえる
・脱原発に人類の未来がかかっている。人間は機械じゃない。
・「開かれた社会」は「閉じられた社会」よりも良いものか?
・地方参政権について⇒開かれた地域社会

●これからの社会
・企業内の話は共感
・エンジニアの話は納得しました。
・就活で悩むことよりももっと違う事で悩みたいと思いました。
・1人になっても(独立しても)人間らしく私らしく
・企業の中にある「違和感」みたいなものに私は耐えられるか、心配だなぁと思いました。
・18歳で企業を訴えるのがスゴい
・知る、分かる、理解するは「伝える」から始まる
・無駄な「我慢」は自分を殺すこと。
・価値観をぶつけ合うことによって理解のできる価値観が生まれる
・閉じられていることによるメリットもあるのでは?二択の問題ではない
・人間はどうせ動物だ。
・人間はどうせ動物で、自分のために生きています。子どもは本能に従っている。しかし・人間は自分の利益を譲りあえる。それが社会。
・差別が良いものとは思わないが、人が集まると(集団・団体になると)そこに属する。人の間に差が生じる。ことは集団がかかえる
・脱原発に人類の未来がかかっている。人間は機械じゃない。
・「開かれた社会」は「閉じられた社会」よりも良いものか?
・ 地方参政権について⇒開かれた地域社会

●今の日本の問題
・外国人、女性などの採用状況は社風を知る1つの手段ではなか
・もっと知ってほしい朴さんのこと
・法律的な保障があっても会社に入ったら働きづらいではないか
・差別というものはお互いのことを理解していないことから生じるのだ
・差別を消すため、民衆の意識から変えるべき
・企業に都合の良い人材を作る教育
・企業内植民地
・企業と個人
・日本の企業社会の闇
・共生or包摂と排除
・御用組合
・コンプライアンス、倫理などの社内勉強会では上司が意見を言うだけ
・労働組合が実際には労働者の沈黙を強制している

●質問
・なぜ声だせない?
・日立の職場で支えてくれる人は?(陰でも)
・嫌な思いをさせられた会社に入社することに抵抗はありませんでしたか?
・異なるものを排除しようとする気持ちはなぜわくのか
・韓国も、これから外国人が増えて外国人差別が起きる可能性があるのですが、差別問題を理解するために一番重要なことは?
・労働者が意見を言えない。改善策は?

●企業と人
・日本の根強い企業差別に驚きました⇒「No」といえる人になりたい
・企業に入るコト=企業に合わせるコト
・企業と人間性って共存しない!?
・上司が言うべきことに従うべきか
・イデオロギー
・55年体制
・「DNA」をもっと意識したい。
・労働者の人権ばかりでなく人間性も破壊していることを感じる

●日本と外国
・「帰化」は差別語です。
・当然の法理:当たり前が当たり前じゃなかったり
・「当然の法理」という恣意的な言葉が日本社会の民族差別を象徴していると思う。

●無関心
・自分自身の人権に対する意識が乏しい。
・労働者の人権に無関心
・孤立した一人一人
・人権学習の時間が休み時間になりつつある。
・日本人である自分を問いなおすと「私たち」ということに謙虚になりました。

●朴さん
・孤立しても自分の意見を伝える勇気
・勇気ある行動だと思います。
・自分の立場をア改めて考えた。
・朴さんは熱い方!
・他者を理解する余裕
・勇気
・挑戦する勇気
・頑張ろうとおもった。
・日立に就職したあと同僚に日本国籍を持っていないと伝えた時、同僚は朴さんがそういう裁判を起こしたことを知らなかったのか
No.314 - 2011/11/23(Wed) 17:45:5

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