2011年11月28日月曜日

「川崎の実験炉 再稼働へ」(東京新聞 11/26) から思うこと

「古い炉は危険」「不安」「実験炉再稼働 川崎市民厳しい目」
東京新聞はこのような見出しで1面に川崎東芝の実験炉の再稼働のことを報道しています。東芝側は、「事故などで損書した原子炉の炉心管理技術の開発など、研究ニーズがある。大学生を招いた実験の予定もある」と広報室を通して説明しています。

川崎市は市民の不安に対応すべく事前通告するように東芝側に話し、その要請に応じて東芝側が通達したということのようです。新聞のトーンも原子炉の再稼働の危険性を報じるかたちになっています。私への電話インタビューがあり、「市民グループ「新しい川崎をつくる市民の会」事務局の崔勝久さん(幸区)は、同研究所対象とした緊急事態の対応拠点(オフサイトセンター)があることに触れ「実験炉熱出力が低く、たいしたことないともいわれているが、万一の時は住民の避難を指示する体制まで完備している。どう受け止めればいいのか」と不安を口にしている」とあります。

9月に対応拠点(オフサイトセンター)を訪問した時のことと、川崎市自慢のエコ発電地区を観た感想を記してるので参照ください。「周囲百メートルは、防災対策の重点地区(EPZ)」とありますが、いくら原子炉が小さいとは言っても、いざという場合の川崎の対策は大規模なもので、それこそ川崎全市を挙げて対策をとるようなシステムになっていました。
「東京湾の原子炉ー川崎の東芝の臨界実験原子炉について」(9/7)
http://www.oklos-che.com/2011/09/blog-post_07.html

小さくて危険でないのなら、どうしてこれほどの費用をかけて大々的な対応策をとっているのか、明らかに矛盾します。その点をオフセンターの職員に尋ねましたが、応えに窮していました。私は危険でないならばそれほどまでの費用をかけることはないということを言いたいがためにこの話しだしたのではなく、実は原子炉の事故が発生した場合、それほど全市的に対応策を準備しておかねばならないほど危険だということを市は知っておりながら、市民に隠しているのではないかということが頭に残りました。そうでなければ説明がつきません。

東京新聞のトーンもまた「市民の不安」という観点から記事にしているのですが、私は野田首相が国会で話した「世界最高水準の技術」=「先方の要請」=「アジアへの原発輸出」という構図が気になるのです。それは東芝の技術のことであり、そこにビル・ゲーツが私財を数千億円投資し、世界の古くなった原子炉に代わるものとして「安全、廉価、クリーン」という、またぞろこれまでと同じ論理で原発の開発・輸出を目指す拠点として、その東芝の原子炉があるのではないのか、この点が気になって仕方がありません。

それはモンゴルの2020年の原発建設と関係してくるはずです。モンゴルの原発推進学者が褒めちぎる原発がこの東芝の原子炉なのです。http://wwwb.dcns.ne.jp/~yaginuma/111122mongol1.html

私は今や原発に関することはすべて国際社会の中で考えることが必要だと思います。川崎市民が不安がる原子炉の再稼働が実はアジアへの原発輸出の元になっているという視点が不可欠ではないでしょうか。韓国では原子ムラ(クラスター)建設を画策し、日本に継ぎ、核燃料の再利用施設建設に躍起になっています。アジアで原発を輸出しようとしているのは、この韓国と日本だということを直視して今行われていることを見れば、いろんなことが見えてくるように思います。

その国際社会に目をやるというとき、実は自分の足元をどにょうに捉えるのかということを抜きにして語るとそれもまた抽象的な観念論に陥る可能性があります。川崎市民にとっては、東北地震規模で、臨海部に地震が起こった場合どのような対策が必要なのか、実はこの点を川崎市は未だに公にできずにいます。勿論、東大教授あたりに調査を依頼しているのでしょう。しかしどうして行政は学識者だけに災害対策の問題の検討を依頼し、その話に市民を交えて一緒になって考えていくということをしないのでしょうか。災害が起こった場合の被害者はまさに国籍を超えた住民なのですから、川崎の住民は自らの生命と家族の生命を守るために、民族や国籍を超えて、川崎市を変えていかなければならないはずです。

脱原発の運動は、自分たちの住む地域社会をいかに住みよい社会にするのか、住民自治、差別のない街、重工業に依存しないで街つくり(=臨海部の再開発)に結び付くのではないでしょうか。

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