2011年9月12日月曜日

釜ヶ崎の本田哲郎さんとの対談ー(その1)「良寛さんみたいな人や


「ネットワーク」のHPの立ち上げに際して、一番最初に本田神父との対談を掲載しようという話が持ち上がり、本田さんと面識がある私が連絡をとることになりました。内藤さんからの小冊子と私の文書をお送りしたうえで、お電話を差し上げアポを取らせていただきました。

その日の大阪は暑く、JR新今宮駅で降りた私は本田さんと待ち合わせをした「故郷の家」がわからず、通りがかりの「おっちゃん」に訊いたところ、今そこから来たと言って、私を案内してくれました。「故郷の家」に何の用か誰か知っている人がいるんかと尋ねられ、本田神父の名前を告げたとたん、あの人は「良寛さんみたいな人や」という応えが返ってきました。なるほど、釜の人に本田さんはそう思われてるのかと妙に納得して現地に向かいました。

久しぶりにお会いした本田さんは真っ黒に日焼けし、頭をそり上げ、肉体労働者そのもののように太い二の腕を出したシャツを着て迎えてくださいました。そして前回と同じく、本田さんのアポートに行き、そこでたっぷり2時間、お話を伺いました。

本田さんの部屋には余計なものは何もありません。まず物を置くスペースがなく、台所と聖書と辞書類を除いては小さな机とすこしばかりの本があり、二人が椅子を並べて座るともうそれで一杯です。クーラーはなく、壁に小さな扇風機が取り付けられていました。カトリック・フランシスコ会の日本管区長として勤めていらした面影はまったくありません。

釜ヶ崎に来るまでの自分の信仰は建前に終始し信仰の喜びがなかった、異端的であることが福音的と断言される本田さんは、神もイエスも知らなくていい、聖書も読まなくてもいい、教会や信仰が人を救うのではない、ただ「小さくされた仲間」に連なり隣人を自分と同じように愛することだけが人を救うとまで静かに話されるのです。対談の内容を以下のように整理してお知らせします。

1.寄場に変化はあるのか
2.逮捕事件
3.外国人労働者は減ってきた
4.<共生>について
5.<NPO>活動に一本化せず
6.釜の活動と根本的につながる反原発運動
7.どこで死んでもいい、教会の除名は恐れない
8.やることはただひとつだけ
9.対談後の雑談(本田さんと、上野千鶴子さん、田川建三さんの共通点)

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