2011年9月8日木曜日

「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」での議論の一部を公開します

http://wwwb.dcns.ne.jp/~yaginuma/

(1)神学は民衆・運動を導くものなのか
前回Hさんが提案された「脱原発の神学」への対応ができず、申し訳ありません。少し時間をください。私は若いころ、「在日」の生き方を模索する中で、J コーンの「黒人」神学などを読みました。そのときはよくわかったつもりでいました。しかし昨年、訳があって彼の黒人の讃美歌をとりあげた本を読み、かなり失望しました。素材は確かに黒人独自のものですが、それを支える根は西洋社会で培われてきた伝統的な神学を超えるものではないと感じました。

「解放」神学にしても、まず民衆の具体的な闘いがあり、神学や学問はそれを後追いして体系化しているものだと私は基本的に考えています。「在日」の神学や、「脱原発」の神学というものがありえるのか。或いは神学が民衆(市民・住民)を導くことができるのか、私はそれはないと考えています。

信仰に基づいてイラクを攻撃し、北朝鮮を倒すべきだと考えているキリスト者もおりそれを正当化する神学もあるそうです。原発に反対するのは信仰があるからなのか、そのように命じる神学の所為なのか。私はもっと人間の根源的な在り様、生き方の問題が優先するように思います。聖書は自分の生き方を正当化するためのものでなく、これでいいのかと絶えず根源的に自分自身を振り返り問い質すものであればと考えるのですが、これには異論があるでしょうね。

(2)東京湾にある東芝の臨界実験原子炉について
Hさんが川崎で東芝の原子炉を問題にする運動がどうしてないのかいぶかしく思うのは当然です。前に、武蔵工大の実験炉で事故があった時には運動があったらしいですが、今はそれを取り上げたのは、最近では何人もいないと思います。週刊紙や新聞は、私のブログを参考にしていました。

東京湾に原子炉があるということをジャーナリステックに言ってもだめですね、東芝の実験炉の実態を正確につかみ、ウランの量、処理の仕方、使用済み核燃料の処置、最悪の場合の地域の設定の根拠など等、私たちが正確に知らなければ運動にはなりません。勿論、運動の為に事実関係を知るというより、まず想定できる危険性についての正確な知識が自分自身のために必要です。ただ、それを問題にしていく主体がなかなか難しかったというは事実です。川崎の運動では否定はしないものの、私に賛同する人はごくわずかでした。私たちの「原発体制を問うキリスト者ネットワーク」で取り上げるのか、誰が担うのか、それと今後の運動の関係をどうするのか、ということなどをみなさんと率直に意見交換しませんか。

ビル・ゲイツがなぜ私財を数千億円も東芝に投資したのか、これは簡単です。彼はビジネスに鼻が利く男で、新しい、より安全で廉価で取扱いも簡単、場所も水際でなくともよい、核燃料は取り換える必要がない、ということで古くなった原発に代わるビジネスニーズがあると判断したのでしょう。中国やインドなどでは新しい原発建設の受容があるとマーケッティング調査の結果を得ており、世界的に、大丈夫、やれると踏んだものと思います。韓国などでも同じ志向で、世界の新規建設の20%を取る方針を出しているのでしょう。日本でも新規はだめだけど、30年過ぎた古いものと取り換える提案が東芝からだされるかもしれませんぞ。

という背景を考えると、私は、アジアを中心に原発が集中して建設される際に、その売り込み競争に東芝とビル・ゲイツ連合がきっと参加してくると見ています。だからこそ、私たちもまたその新しい原発の原理、彼らの謳い文句、そして何よりも欠点は知っておかなければならないと考えます。これ以上の議論は、他の人にも参加してもらってHP上でやりましょう。

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