2011年6月26日日曜日

「指輪事件」の波紋

仙台近郊の亘理(わたり)という小さな町で、網を使えるようにする前作業のボランティア活動に行ってきたことをブログで報告しました。「宮城県の小さな漁村での経験」 http://www.oklos-che.com/2011/06/blog-post_17.html 

明日川崎に戻るという最終日に私は現場の漁師さんから一緒に飲もうと誘われ、ご夫婦と1升日本酒を飲むことになり、そのときに私と同い年でペースメーカーを心臓にいれているご主人から指輪をいただきました。お前の指に入ったらやると言って私の指にはめてくれたらぴったり入ったのです。奥さんは笑いながら、もらっとけと言ってました。それが金とプラチナだと後で聞いたのですが、実は私はそのとき言葉を失っていました。私に指輪を託す彼とそれを笑ってみている奥さんの気持ちに言葉で応えようがなかったのです。

ところがブログに記したその「指輪事件」が思わぬ波紋を呼ぶことになりました。ボランティアに行って金品をもらうとは何事か、はやく返せという反応が私の所属する教会でありました。

以下、引用します(一部、不穏当な箇所は削ります)

崔君、元気ですか?
元気があれば、何でもできる。
元気があれば、指輪も返せる。

おや、おや。
韓国のことが分からないって。君は韓国人なのに、それは困ったことですね。別に僕は困らないけど、君自身が困るでしょ?先に、震災後、君が日本にとどまったことを評価すると書いたけど、それは単に、母国に君の居場所がないってことなんでしょうか?だとしたら、それは深刻だと思います。

聞いた話によると、在日韓国人は韓国人なのに、韓国では参政権が認められていないということを聞いた事があります。それは事実なんでしょうか?事実だとしたら、自国民に参政権を与えない国というのはおかしい。し、改革を望みます。ま、話がそれちゃいましたが。

さて、そんな友達の一人に今回の君の指輪事件を問うてみた。その子は「あり得ない」って言ってた。「ボランティア先で金品を受け取ったら、それはボランティアではない」ってさ。(その通り!)その子は、韓国人を代表して、君の行為を謝罪してました。やはり、ボランティア先で金品を受け取ってはいけません。君には、節度ある行動を望みます。(以上、引用)

最初は10名弱の韓国人が開拓伝道で始めた教会が韓国からの牧師を招聘し、20年経った今は300名になり、教会員の60%が若い日本人中心の教会になっています。この投書をした人は私より年上の日本人なのでしょう。彼が記した内容は、普通の日本人と韓国人が「在日」に対していかに何も知らないかという例になっています。しかし問題は、その後の部分です。彼はそれ以前の投稿でも執拗に私が現地の漁師から指輪をもらったことを金品をもらった、返すべきだと責めます。

正直、私は彼に反論しながらも重い気持ちでした。それが今日の礼拝後、たまたま私の隣に座った、最初一緒に仙台に行った「在日」が、私の話を聞き、それはよかったと喜んでくれました。彼の表情で、私は苦労人である彼は私の説明で、私に指輪を託した現地の人の気持ちを一瞬にして察したのだとわかりました。彼はボランティアとして現地の困っている人の手助けをすることは重要だが、これからは彼らが自立をするのに何が必要か、その必要な部分を一緒に話し合いながら支援していかなければならないという私の話に大きく頷いていました。

先ほど、NHKの大河ドラマ「江」に愚息が出演することを知らせた日本の婦人から、テレビを観たという電話をいただきました。話は私のブログのことに及び、彼女は、「指輪事件」を崔さん、本当に大事なことをよくやった、日立闘争も重要なことだが、今回のことを自分としては大変大切なことだと思うと言うのです。いつもは私には辛口の女性で、日本のオモニと冗談で呼んでいるのですが、私は彼女の激励の言葉を心から感謝しました。

私はこれまでも、民族や国籍を越えて、<協働>して地域社会を変えていかなければならないと唱えていましたが、実は、ネット社会では大変な拒絶反応を受けました。
「クソ朝鮮人!! 日本から出ていけ!」、協働なんておこがましい、自分の国に帰れ、日本から出ていけ、と言うのです。そしてGoogle Blogを3度使えなくされました。

これはごく一部の「右翼」だけでなく、日本社会は日本人のもので、「多文化共生」と言いながら外国人の政治参加や人権を認めず、一緒になってこの地域社会をよくしようということには実は多くの進歩的な日本人も反対しているのです。私は、その極端な「右翼」の発言の根は深いと考えています。即ち、国民国家を前提にし、ナショナル・アイデンティティを相対化できないのです。その指輪を返せという人物も、実は前史があり、私とは教会のHPで、自由社の教科書をめぐり論争をしていたのです。彼は、戦争を正当化する自由社や西尾幹二を称賛し、日本の歴史は(タイや韓国、中国より)古く、戦争に強い国であると、それを信仰と絡ませて自慢していました。

私は心の底からこの日本社会をよい社会、住みよい社会にしたいと思います。住民として生き延びれる社会にしなければならないと確信しています。だから原発は日本だけでなく、韓国においても、世界のどこにおいてもなくしていかなければならないのです。私に悪態をつくネット上の匿名(そういえば教会のこの人も匿名ですね)の「右翼」も、「敵」ではなく、社会の病から出るべくして出たのであり、そのような人を排出する社会構造を変えていかなければならないと、切実に思います。

だからこそ、匿名をいいことにネット上で、Hate Speech(ヘイト・スピーチ)を我が物顔でまき散らす人を許さないような社会にしなければならないのです。彼らもまた社会の病、歪みの犠牲者であるからこそ、そのような社会構造を正していくためにも、Hate Speechを許さない社会にしていかなければなりません。

結婚指輪ももう40年も外したままにしてる私は、亘理(わたり)でもらった指輪だけは大事にはめたままです。そこにいろんな思いを込めています。

Hate Speech(ヘイト・スピーチ)とは:国籍、人種、宗教、性別、出自などによって特定される集団に対して冒瀆、侮辱、または中傷する表現や発言をすることである。日本の刑法で規制されている名誉毀損罪や侮辱罪は個人の名誉を毀損した場合(や、個人を侮辱した場合ー崔)に適用されるが、ドイツなどでは、「民衆扇情罪」として処刑されている。(「朝鮮学校への嫌がらせは許されません」より)

2 件のコメント:

  1. ボランティアを「ただ働き」だと思っている人がいまだに多いのは困ったことですね(@∀@)
    おそらくあまり高度な教育を受けていないか、教育を受ける意欲のない人だと思います。

    ・volunteerと言う言葉には「無償で働く人」という意味はありません。
    ・東北でボランティアを行う人のために、チャーターバスや食事を用意する制度がありますが、もし「ボランティアスタッフは無償でやれ」というなら、このような制度も否定されることになります。結果としてボランティアは一部の経済的に余裕のある人しかできない行為になってしまい、東北では必要な労働力が確保されなくなります。
    ・実際に今回の東北原発震災では、ボランティアスタッフの人数が足りていません。これが「望ましい状態」でしょうか?(@∀@)
    ・一色登希彦版『日本沈没』では、「被災地に向かうボランティアスタッフに、自分の家で宿泊場所や食事を提供するボランティア」というものが登場します。こういう柔軟なボランティアの形態こそが、より多くの人を救うでしょう。
    ・ボランティアに「無償性」を要求する人は、英語が理解できていないというのみならず、法律で裁かれないだけで道義的には「人殺し」と同じではないでしょうか?(@∀@)

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  2. ときどき拝見させていただいております。(九郎政宗んさんも)
    ありがとう、という気持ちを指輪に表されたものを、素直に、ありがたく頂いて、どこが悪いのかわかりません。
    心の交流があったから、指輪がその記念に渡されたのでしょう。喜んで下さったものでしょう。
    ボランティアだから、とかいう問題ではないと思います。
    指輪でなくて、他の何かでも、同じ気持ちで受け取られたことでしょう。
    クリスチャンでも、そうでなくても、日本人でも、韓国人でも、同じだと思います。

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