2011年5月27日金曜日

俳優の山本太郎、出演予定のドラマ降板に 反原発発言が原因か 

こんなことが許されていいのでしょうか!

俳優であっても一社会人です。山本太郎というタケシのおちゃらけ番組でデビューした彼は、徐々にいい俳優になり、テレビでも活躍していました。今では中堅どころの俳優になったと言っても過言ではありません。

欧米の俳優が社会的な問題にもしっかりと自分の意見を言うことに共感を覚えていた私は、「在日」の本名宣言とか、あいつは実は「在日」なんだとささやき合う陰険な日本の芸能会の体質に随分と前から嫌気がさしていました。山本太郎が「在日」だというのではありません。そうではなく、本人の思想や属性が取りざたされ、俳優としての実力以外のことで話題になったり、評価されることがたまらなく陰湿でいやだったのです。

山本太郎がツイターで明らかにしたところによると、山本は23日に、福島から来た子を持つ親たち100人を含む多くの人たちと共に文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安「放射線量年間20ミリシーベルト」の撤回を訴えたばかりで、そのわずか2日後に7-8月に登板が予定されていた番組から突如、降ろされたというのです。


彼は迷惑がかかると、プロデューサー名も番組名も明らかにしていないそうです。彼は、「一俳優の終わりの始まりなんて大した事じゃない。そんな事より皆さんの正義感溢れるエネルギー、20mSV撤回、子供達の疎開、脱原発へ! 皆で日本の崩壊食い止めよう!」と、今後も変わらず、声を上げ続けていく覚悟を伝えているそうです(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110526-00000021-flix-movi)。立派なものですね。フレフレ、山本太郎! 思わず叫びたくなります。


電力会社がマスコミの最大のスポンサーだからと言われていますが、原発はまさに日本の民主主義の根を腐らせました。原発は民主主義の敵です。貧しい地域にターゲットを絞り、反対があっても
札束でほっぺたを叩くようにして学者を動員して安全をアピールさせ、札束攻撃で議員を買収して強引に原発賛成にしてしまいました。鎌田慧の『原発列島を行く』(集英社新書 2001)にはそのような例がいくつも明らかにされています。


原発によって何もなかった地域で仕事がでけるようになる、そんなふれこみだったのですが、実際には村は寂れ、村も街も自発的な発展ができず、人をそこを去ります。最初の原発で得た金で公共施設を作るものの、電力会社からの支援金がでなくなると運営ができなくなり、それが二基、三基、四基、ひどいところではなんと五基まで同一地域で原発を建設したところもあるそうです。「毒を食わば皿までも」ということなのでしょうか。なんとあさましい。


そんな会社だから、被曝を覚悟しないと働けない職場であってもそれを何とも思わない非人間的な感性が生まれてくるのでしょう。原発をやめるということは、それに代わる太陽エネルギーを使えばいいという問題ではないのです。人間がまともに生きていける社会、あらゆる差別のない社会、貧しい人、困っている人を大切にしていく社会、大量生産・大量消費・大量破棄を当たり前のこととしてきた資本主義のあり方を変えて環境やものを大切にしていく社会、そういう社会にしていくことが「脱原発」の目的なのです。


韓国からの飛行機で隣り合わせに座ったことがあり、成田までに2時間、「在日」の話しをしあった経験があります。好青年でした。がんばってほしいですね。応援します。

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