2011年5月23日月曜日

「在日」は今回の震災をどのように受けとめるのか ーー日本平和学会 文科会レジュメ

日本平和学会 「平和分化」第3文科会 発題レジュメ


「在日」は今回の震災をどのように受けとめるのか
――日本社会は外国人を地域社会のパートナーとして受け入れるのかーー
                              崔 勝久

東日本大震災(巨大地震、巨大津波、原発事故)は多重災害でしたが、この大災害によってはっきりとしたがありました。それは地域に住む全ての人がまったく同じように被害を受けたということです。災害は日本人だけを襲ったのではないのです。そこから得られる結論は、「在日」は生き延びるために、自分の住む地域社会に日本人住民と共に全的に関わらないといけないということです。

Sustainable Societyを日本の学者は「持続する社会」と翻訳し、地方自治体は「持続する」という形容詞を使った単語をよく使用するようになりましたが、私は「住民が生き延びる社会」と意訳しました。特にこの「持続する社会」は公害地域の「環境再生」と一体化して使われてきました。しかしその中に外国籍住民のことが含まれていたのでしょうか。「公共性」の概念に外国籍住民・市民をいれるべきだというような学説もでるようになりましたが、日本社会は外国人を地域社会を一緒によくするパートナーとして捉えてきたのでしょうか。

このことは戦後日本の政策を見ると一目瞭然です。憲法は外国人の人権を保障しているのか、この点に関しては学者の中でも完全に意見が分かれます。改善された面があるとは言え、日本政府は外国人の人権の制限に関しては一貫していると言って過言ではありません。国民国家の持つ善き面と歴史的な限界性を日本もまた踏襲しています。

「多文化共生」は日本の多様化をもたらすともてはやされていますが、「当然の法理」や、外国人の政治参加が制限(限りなく禁止に近い)されている実態は不問に付されています。「多文化共生」は外国人を二級市民化するもので、日本のナショナリズムを無批判に肯定します。

マイノリティ問題とは何か、これはマジョリティ社会によって作り出された社会構造によって生み出された社会現象です。マイノリティ問題という問題設定をする限り、いかなる善意であってもパターナリズムから抜け出ることはできないのではないかと私は考えます。「在日」として「当事者主権」の立場から、国籍・民族を越え<協働>によってマジョリティ社会そのものの変革を唱えたとき、ネット社会でどのような反応があったのか、実例を示し、参加者のご意見を伺いたいと願っています。


参考文献
崔勝久・加藤千香子共編『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』
(新曜社 2008)
――「人権の実現について―在日」の立場から」、斎藤純一『人権の実現』
(講座全5巻人権論の再定位 法律文化社 2011)
――「民族差別とは何か、対話と協働を求める立場からの考察―1999年花崎・徐論争の検証を通して」(『季刊ピープルズ・プラン』52、2010)
――「外国人の地方参政権についてーこれは外国人の権利の付与の問題なにか」『外国人参政権』(靖国・天皇制問題情報センター 2010)
西川長夫『<新>植民地主義論―グローバル時代の植民地主義を問う』
(平凡社 2006)
上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』(青土社 1998)
――『当事者主権』(岩波新書 2003)
斎藤純一『公共性』(岩波新書 2000)
永井 進編著『環境再生―川崎から公害地域の再生を考える』(有斐閣選書 2002)

崔勝久 ブログ:オクロス(民衆)http://www.oklos-che.com
「新しい川崎をつくる市民の会」の記録:http://www.justmystage.com/home/fmtajima/

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