2011年3月16日水曜日

「偏狭な国民性の脱却を目指す決意と行動をー東アジアの共感・連帯のために」加藤博之

加藤さんは私がブログで書きFaceBookにも流した「未曾有の大震災の後、日本はどうなっていくのでしょう」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_3423.html)に対して、「日本の『精神的偏狭』を解放する時―加藤博之」を記し(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_15.html)、また「日本大地震に対する韓国市民団体の声明」(http://anti-kyosei.blogspot.com/2011/03/blog-post_1473.html)について、「偏狭な国民性の脱却を目指す決意と行動をー東アジアの共感・連帯のために」を寄せてくれました。

日本社会が先の大戦において受けた経験から被害者意識に留まり、東アジアに対する「戦争責任」「加害者性」を明確にしなかった経験を踏まえ、今回の大震災や原発問題においても、韓国からのメッセージに応え、東アジアの共感と連帯のためには、「この国の偏狭な国民性を脱却する」「決意と行動が問われている」という、加藤さんのこれからの日本を考える重要な問題提起であると思い、公表させていただきます。

崔 勝久

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「偏狭な国民性の脱却を目指す決意と行動をー東アジアの共感・連帯のために」加藤博之

世界中の誰もが遭遇する可能性のあるという、ある意味「普遍的」な、大惨事の恐怖を共有した「時」に、瞬間的に時空を超越して真の連帯や互恵の「念」が芽生えると言うのは大変悲しい現実ですが、にも拘らず大変嬉しくそして希望を与えてくれるメッセージだと思います。

崔さんの言われるとおり、今回の大惨事が東アジアの共感・連帯と相互理解の新しいスタートの切欠になれば良いと心から思います。一方で台湾の国会議員が「日本人は犬だ!!何故助けなければならいのだ!!」と語ったとの報道もあります(勿論台湾でも大変な批判が出ているそうですが)。これが東アジアの日本を機軸とした冷酷な現実だと思います。

言葉が適切で無いのは承知の上で一言で言えば、明治以来の近過去の日本の東アジアへの「加害者としてコミットメント」に対する我々日本人!!の責任」を明確に自覚し行動することから始めないと、単に「議捐金を頂いて感謝する」などと同様の低いレベルでのヒューマニズムに堕するのではないかと思います。

先の大戦末期に蒙った「被害者としての日本人の塗炭の苦しみ」と「日本人の戦争責任=東アジアの国々への加害者責任」を明確に区別し、国家という「擬制的」な存在にその全ての責任を委ね、自らも被害者だったとの意識を捨て去ることをしなければ、常に責任を他者に委ねるこの国の偏狭な国民性を脱却することができないと思います(象徴的な出来事として、既に今回の原発自己を巡って、半国営企業の電力会社と主務官庁ならびに国家との、隷属・相互依存(持たれあい)・相互無責任体制が臆面もなく<露呈されています>。

崔さんから御紹介いただいた韓国の皆さんのメッセージに真に応えるためにはそうした私達の決意と行動が問われているように思えてなりません。相変わらずの言葉足らずで申し訳ありません。

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