2011年3月26日土曜日

川崎の地震・津波・原発対策はどのようになっているのかー「住民が生き延びる地域社会」をめざして

「Sustainable Community(住民が生き延びる地域―私訳)を実現させましょう。そこは外国人の政治参加は当然視され、老人などの弱者が安心して生きていける社会です。」

昨年のちょうどこの時期に私はこのようにブログに書きました。地震・津波・原発の実態を目のあたりにして、私はSustainable Communityを「持続する社会」とこれまで翻訳してきた学会や自治体に対して、「住民が生き延びる地域社会」とすることを提案します(「学問は未来を切り開くのか、現実の後追いなのかー『川崎都市白書を読んで』」)。
http://anti-kyosei.blogspot.com/2010/03/blog-post_16.html


そうです。「多文化共生」にしても、「持続する社会」にしてもそれは既存社会のあり方が肯定され、それが盤石なものとの前提で語られている言質です。私はそこに為政者や、マジョリティ(強者)のパターナリズムの臭いを感じてきました。

しかし今や、これまでの社会の根幹が問われる事態になったのです。為政者はこの事態を元の形に「復興」させ、小手先の手直しで、これまでの慣習、政治制度、大企業やジャーナリズムとの関係を維持することに必死になるでしょう。

既に被災地では、どの権力の介入のないところで、自発的に、生き延びるために、住民が力を合わせて運営する「自治」をはじめているとのテレビ放映がありました。「復興」の名の下で、地方自治体、そして国家が介入し、それらの「自治」の兆しを吸収しようとするでしょう。できるならば、その「自治」の実績によって、少なくとも、新たな地域社会の再生計画に参加する権利を主張して、住民の意思を実現してほしいと願います。この「自治」には政治家もいなければ政党もなく、自分たちで決めたリーダーの下、みんなで話合いで決めるという、民主主義の原型が見てとれます。

「持続する社会」を掲げてきた行政は結局、原発を容認し、川崎の場合、「福祉社会」を掲げて臨海部を犠牲にしてきました。石油コンビナート、鉄鋼、化学工場という装置産業を最優先して(国策に従って)、人が全く住むことのない地域にしてしまいました。その結果、全市の法人税の三分の一をその地域から得て、そのお金で「福祉」にまわすということを、戦後65年、革新も保守もやってきたのです。

これでは50年、100年先の川崎はどうなるのでしょうか。地震・震災・津波による被災の実態を見た私たちは、もはや未来を語ることから現実を糺すのでなく、「住民が生き延びる」ために地域社会を変革せざるを得なくなりました。何が私たちにできるのか、川崎における原発はどのようになっているのか、地震対策、液状化対策、これらを徹底的に考え直す時期に来たと、確信します。

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