2011年3月31日木曜日

投稿ー東北地方の被災者から学ぶこと

昨日のブログの内容、「東北の再生とは何かーNHKクローズアップ現代より」について、Kさんより返信がFaceBookで公表されました。みなさんにご紹介します。

日本の代表的な大企業に勤め、尊敬していた内橋克人の著作も観念的だと思うようになっていたが、改めて内橋さんの話を聴き、また私のブログを読み、被災に遭った東北には、「古くから培われた『共同体の連帯』や『相互信頼・互恵』」があり、それらを近代日本は犠牲にしてきたのではないかと発言しています。

最後にKさんは、「企業人としての傲慢や自己中心的な姿勢を捨てこうした観点から私なりに考え直してゆく機会を頂きました」と謙虚で、前向きな言葉で結んでいます。

私はこのような対話を、「在日」が最も多かった大阪の高校の同級生とこの歳になってできるとは考えてもみませんでした。FaceBookでの「再開」に感謝です。

崔 勝久

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

崔さん、諸事情これあり、久し振りにfacebookを開きました。

私も昔内橋克人の「匠の世界」シリーズを愛読しました。損保会社の社員として、産業や生産活動の「本当」の現場を知りたいとの気持ちから、「表向き」立派な一流企業を支えている「日本の産業・技術の原点」を現場で見据えた内橋さんに大いに触発された記憶があります。

ところが、少し前になりますが「悪魔のサイクル」や、最近の宇沢博文との共著「始まっている未来(新しい経済学を可能か)」などを読むと余りにも世界の現実とかけ離れた復古主...義的共同体主義に違和感を覚えてきました。

地球全体・全世界が戦後の日本のように自由主義・資本主義経済に立脚し勃興してくる大きな歴史的潮流の中で、内橋さんの議論は余りにも内向きで後退的で牧歌的にすぎると感じたからです。

当時の私はまだ現役の企業人として、必死に厳しい外部環境の中で社員を守るべく、理不尽な親会社や行政、そして苛烈な業界内競争等で戦っている時でしたから、なおさらそう感じたのかもしれません。しかし、昨日の「ク0-ズアップ現代」での内橋さんの議論やNHKラジオでの多くの視聴者が支持した番組などを聴いていると、その静かな語り口の中に、私などが到底知りえない深く広い実態観察(あるいはフィールドワーク)から導かれた深い洞察を感じました。

今回の大災害を契機に崔さんの投稿を拝見し、現役を離れた一個人・一生活人としてとして深く考え直す必要を痛感しました。今回の大災害の被災者の皆さんが極限状態にありながらも示す「人間としての気高さや大らかさ」は今の日本の東京や大都市にはとっくに失われた資質だと思います。

そしてその原点には古くから培われた「共同体の連帯」や「相互信頼・互恵」があるのだと思います。そして、この素晴らしい本当の意味での東北の「日本人」を近代日本はその発展過程において多くの困難と犠牲(搾取と言っても良いかもしれません)を強いてきたのです。あたかもか沖縄の人々に対してと同様にです。

企業人としての傲慢や自己中心的な姿勢を捨てこうした観点から私なりに考え直してゆく機会を頂きました。崔さん有難うございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿