2011年2月25日金曜日

25日のTwitterでの論争の一部を公開します(その2)

5.地方自治体の実態について
――地方自治体はいかがですか。川崎は政令都市として外国人施策ではもっとも進んだ都市とされていました。その市長が、「いざというときに戦争に行かない外国人は『準会員』としたのです。日本人との違いがあって当たり前だと。崔・加藤共編『日本における~』参照。
(沼)自治体は首長に大きく左右されます。首長次第で、自治体レベルの行政サービスには大きな差が出ます。しかし、国の施策から自由にはなれない。
――そんなことはありません。「当然の法理」は首長が決断すれば、それですむのです。橋下や河村でさえ、あれだけのことをやっているではありませんか。外国籍公務員を管理職にすることを最高裁も違憲とは言っていません。
(沼)橋本や河村は騒ぎを起こしているだけです。何も実質的なことはできてやしません。まして、「普通」の首長の下の「普通」の自治体は、今でも常に「上級官庁」にお伺いを立て、その「指示」に従います。それを批判していた方が、上級官庁のトップにおなりになりましたけど。
――高知の橋本ですか、大阪の橋下ですか?前者の橋本はそれなりに政府の意向に反して外国人の門戸の開放を具体化しました。川崎の伊藤市長は、政府の方針に反して、指紋押捺問題でそれを拒否した外国人の告発をしませんでした。地方自治体は何もできない、ということはありません。
(沼)大阪の橋下のほう。
(沼)何もできないとは言ってないでしょ。

6.「多文化主義」=「共生」
(沼)私は、外国人参政権にも外国人被選挙権にも外国籍公務員にも全然反対ではないし、むしろ賛成ですから。念のため。
――「多文化主義」=「共生」とは日本政府の方針ですよ。それにそれがおかしいという議論はほとんどありません。地方自治体においては、「多文化共生の実現」を謳ってもそれは政治参加を認めず、生活権を認めず、最先端のところでも川崎のように二級市民化しているだけです。
(沼)だから、私はヨーロッパ的な社会「統合」を、怪しい多文化主義とごっちゃにして多文化共生=統合みたいに言うのはおかしいと言いたいだけです。
(沼)おかしいという議論をしていこうではありませんか。
――喜んで。「おかしい」の実態がまず重要です。それと「おかしい」と判断する思想的な根拠も重要です。先ほどのヨーロッパを「多文化主義」の例とされたのは過ちです。その点はいかがですか?
(沼)舌足らずなら誤りますが、ヨーロッパを多文化主義の例とは申しておりません。「社会統合」の例と申しております。
――それは私の間違いでした。「社会統合」はその通りですが、「多文化主義=統合」は日本の政府、地方自治体を含めての基本路線ですよ。そうすると、地方自治体の「多文化共生社会の実現」は根本において間違いであると沼崎さんは考えているのですか?

7.「移民の人権問題」
(沼)「多文化共生」の名の下の日本政府の基本路線といっても、法務省、総務省、厚労省、文科省など、それぞれ微妙に、時にはかなり違いますね。ただ、「移民の人権問題」を正面から捉えていないという点では、共通で、それは誤りだと思っています。
――「移民の人権問題を正面から捉えてない」点はその通りです。それでは日本に居住している外国人の人権問題(政治参加を含めて)はどうなのでしょうか。「当然の法理」をアプリオルなものとしていませんか。そしてそのことを運動側も問題視できなかったことはいかがですか?
(沼)運動側とは、誰のことでしょうか?
――運動側とは、民族差別と闘い、「多文化共生」を実現すべきだと主張、活動してきた、例えば川崎では市職労であったり、民闘連のような運動体のことです。
(沼)なるほど。そちらの事情になると、私は詳しく存じ上げません。私が多少知っているのは、仙台および東北地方のことなの

8.地方自治体の「多文化共生」施策
(沼)地方自治体の「多文化共生」施策のほうは、地域によっても自治体によっても様々なので、一概には言えませんが、評価できるものと、そうでないものとがあるという認識です。
――地方自治体の「多文化共生」で評価できるものとは?まさか「外国人市民代表者会議」などは言わないでしょすね。沼崎さんは川崎を含めた地方自治体の実態を調べたのでしょうか。鄭香均の最高裁判決以降、人事において評価すべき制度を打ち出したところがあるのでしょうか

9.ミクロな取り組み
(沼)私は、参政権問題方面については調査しておりません。外国人労働者の「集住」地域や、そうでない地域の国際結婚、様々な市民グループの活動などを、少し調査しています。私が評価するのは、ものすごくミクロな取り組みのほうが多いです。
――ミクロな取り組みは必要です。苦労がおおいと思います。しかし世界の国民国家の歴史の中で、「多文化主義」とか日本の「多文化共生」の持つ意味は何かという思想の問題はしっかりと論議したいですね。それと政治参加抜きにした人権はありえません。

10.外国人の政治参加は既成社会への「埋没」か「変革」か
――日本の住民自治がないという議論にならず、「外国人市民代表者会議」を外国人の政治参加と位置つけたということは、既存社会への埋没ではないですか。私は「賛成派」の思想、論理を問題にしているのです。そこに日本の住民自治の問題の変革につながる質があるのかと。
――外国人の政治参加が認められていないのは、実は、日本人そのものが地域社会において「住民主権に基づく地方自治」になっていないから、日本人同士の対話による協働作業が保障されていないから、と私は見ています。私たちは、自ら参加して「埋没」ではなく「変革」を求めます。
(沼)日本に住民自治はありません。自治体行政は全て総務省(旧内務省)の管轄下にあり、全ての部署に中央省庁からの出向職員がおり、県警の本部長など警察庁のキャリアです。議員は、後援者の「御用聞き」であり、民の陳情を官に伝えるだけ。全て根本的な変革が必要です。
――この点は同意します。しかし往々にして外国人の政治参加の問題を権利の付与と捉え、日本の住民自治がまともでないと認識していないなかで、外国人の参政権の問題が語られています。それはいびつな日本の住民自治への埋没なのです。この点はいかがですか?
(沼)そもそも住民自治がないのだから、ないところには埋没もできないかと思いますが、外国人参政権への「反対派」の方々の物言いがあまりにも支離滅裂なので、なんとお答えしていいか分かりませんね
――日本の住民自治がないという議論にならず、「外国人市民代表者会議」を外国人の政治参加と位置つけたということは、既存社会への埋没ではないですか。私は「賛成派」の思想、論理を問題にしているのです。そこに日本の住民自治の問題の変革につながる質があるのかと。
(沼)「賛成派」が誰のことかよくわかりませんが、「外国人市民代表者会議」は外国人参政権をむしろ否定するものでしょう?
――「賛成派」とは「外国人・・会議」を推進してきた人たちです。「共生」推進論者と言ってもいいと思います。彼らは「参政権」を否定する人ではありません。しかし住民自治の問題と切り離して、外国人だけの独自のカテゴリー設定を画策しました。それが二級市民化です。

11.最後に
(沼)「外国人市民代表者会議」と聞くと、台湾総督府評議会を連想してしまいますね。台湾研究が本職なもので。
――沼崎さん、「連想」は結構ですが、「外国人・・会議」がどのようないきさつでできたのか、その経過は把握されるべきですね。仙台においても「多文化共生社会の実現」ということで「外国人・・会議」の提案があるかもしれませんよ。
(沼)どうも。
――沼崎さんへ、昨日は長時間のお付き合い、ありがとうございました。これでお互いのバックグランドがわかりました。さらに話を深めていきましょう。沼崎さんのミクロの実践から見える世界と、私のいう「多文化共生」のマクロ問題点を共有化し、具体的な実践課題まで見えてくればと願いま
す。

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